〜Fate Hollow Early Days〜 

〜謎の訪問者〜



「ふぅ……平和だなぁ」

お茶をすすりながら、居間で一服をする。この時分、藤ねえはイリヤと、遠坂はセイバーと、ライダーは桜と、それぞれ新都へ出かけている。
賑やかなのが嫌いというわけではないが、時にはこうやって、何事もない心の平穏を満喫したいところである。
本を読むわけでもなく、テレビをつけるわけでもなく、黙って思考の裡に沈んでいく。それは、座禅に似ていて――――、

ピンポーン

そんな平穏な時間は、一本のチャイムによって破られることになった。どうやらこの束の間のひと時に、訪問者があらわれたようである。
少なくとも、我が家の家人ではないだろう。この時間、玄関は開け放ってあるし、わざわざチャイムを鳴らして入る必要は無い。

「しょうがないな……訪問販売か、セールスマンでも来たのかな?」

そういえば、ここ最近は……かなりしつこい新聞の勧誘員が居るとライダーが辟易していたのを思い出す。
どうも生真面目なライダーは、のらりくらりとした勧誘員というものが苦手らしい。そのうち、面倒だからって石化の魔眼を使わなきゃいいけど。

ピンポーン ピンポーン

「はいはい、今でますよ……っと」

玄関に置いてある、サンダルを履き、鳴り止まないチャイムを耳にしながら、俺はガラガラと扉を開け――――そこには、誰も居なかった。

「――――あれ?」

周りを見渡すが、やっぱり誰も居ない。少し待つが……誰かが出てくる分けでもなかった。俺は、首を傾げながら、戸を閉め、玄関から廊下へと上がる。

ピンポーン ピンポーン

「――――え?」

そうすると、またチャイムが鳴り出した。変だなーと思って外に出ると――――インターホンは鳴り止み、そこには誰も居なかった。
俺は少し考えると、先ほどと同じように踵を返して扉を閉め――――フェイント気味にすぐに外に出る! そこには――――

ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン

「…………」

鳴り止まないチャイム。しかし、鳴らすべき相手はどこにも見当たらない。こ、これはまさに超常現象――――!?
魔術師とか、英霊とか、藤ねえとかの規格外なものばかりが集まった衛宮邸は、とうとう超常現象まで呼び込んだというのだろうか――――?

ん、いや、ちょっとまて。何か変なものが地面に張り付いている。地面を這う蛇のように伸びているそれは、赤い色の布であった。
それは、門の外から投げ放たれたのか、外壁に掛かりつつ、地面を伝い、こっちに向かって伸びており、その先端は――――

ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン

ペシペシと、今もインターホンのボタンを叩きまくっていたりするのだった。
…………なるほど、さっきからチャイムを鳴らしまくっているのはこいつが原因か。しかし――――、

「何だ、これ?」

一般人なら誰もが当然に思うことを口にし、俺は赤い布に手を伸ばし――――しゅるっ、と布が伸ばした腕に巻きついた。
あ、なんかこういうの、どこかであったような――――そんなことを思いながら、俺は内心で十字を切ってみるが、何の意味も無かった。

「うわ――――」

ぐいっ、と凄まじい力で引っ張られ、まるで吊り上げられた魚みたいに――――俺は宙を飛び、塀を飛び越えて……地面に落下した。
どすっ、と身体が地面に叩きつけられ、息が詰まる。そんな俺を、呆れたように見下ろす釣り人が一人。

「大物ゲット――――こんにちは、衛宮士郎」
「ああ、やっぱりカレンか。相変わらず乱暴極まりないやつだな」



俺の言葉に、カレンはちょっと不満顔をする。彼女の操る赤い布は、いずこかへ消え去り、そこには清楚なシスター然とした彼女の姿があった。
群青を思わせる法衣に、同色の帽子――――カレン・オルテンシアは昼下がりの日の中で、紫陽花の華のように慎ましやかにそこに存在していた。

とはいえ、油断は禁物である。ほんのちょっとでも気を抜けば、こちらの言葉尻からチクチクと弱点を突付くのが、カレンの流儀だからだ。
そんなカレンであるが、俺の物言いがお気に召さなかったのか、つーんとした表情で、顔をふいっと逸らした。

「顔合わせの挨拶にしては、失礼ですね。まるで私が、貴方に乱暴を働いたみたいじゃないですか」

うわー……彼女にとっては、俺を吊り上げたり、聖骸布でピンポンダッシュまがいの事をするのは、これっぽっちも悪いことじゃないらしい。
彼女は基本的に自分の価値観で行動するから、傍から見たら面白いかもしれないだろうが、巻き込まれるこっちは良い迷惑である。

「あのなぁ、わざわざ手の込んだ事しなくても、普通に玄関に入れば良いじゃないか。それと、一体どうしたんだ? こんな所まで」
「――――呆れた、忘れたのですか? 貴方が『気が向いたら顔を出してくれ、お茶で良いなら歓迎する』と言ったのですが」
「ぁ――――そう言えば、公園かどこかで、そんな約束をしたっけ……ひょっとして、律儀にその約束を守って来てくれたのか?」

俺の言葉に、カレンはコクリと頷く。そうか――――覚えていてくれたんだな。そっけない約束を律儀に守るところは、やっぱり彼女らしい。

「そっか――――ようこそ、カレン。お茶を用意するから、上がってってくれよ」
「残念ですが、それは出来ません」
「え、なんでさ?」

俺の質問に、カレンはなにやら呆れ顔。どうやら家に上がれない原因があるようなのだが――――。
その理由が皆目見当がつかない。見知らぬ家に招待されるのが苦手、というわけではないようだし、一体何が――――。

「魔術師なのに、こんな物騒な屋敷に住んでいて気がつかないんですか? ここには防衛用の結界が、十重二重に張られています」
「防衛用の、結界――――?」
「ええ、一般人には害はありませんが、部外者の魔術師やそれに近しい者が立ち寄った場合、すぐに起動するようになっています」

カレンは仰々しく言うが、そんなものがあったんだろうか――――確かに、侵入者用の警報があるにはあったが、それも大したものじゃないし……。

「貴方の仕業ではありませんね。そんな器用で綿密で、陰湿で捻じ曲がったようなことが出来るタイプじゃないですから」
「――――褒めてるのか、それ?」
「いいえ、ただ単に魔術師としては不甲斐ないといっているのです。少なくともこの結界を張った者達は、貴方よりも長けていて……私にとって、からかいがいが有りそうですから」

ぐっ……そりゃあ自分でも未熟者だって分かっているけど、そんなに言うこと無いじゃないか……って、

「結界を張った者『達』――――?」
「ええ、おそらくは、遠坂、間桐、アインツベルン……それに、何者かの古来の神殿結界まで付与されてます。防衛というより、城砦ですね、これは」

カレンの言葉に、頭が痛くなった。ライダーまで加わって、いったい何をしているんだよ……我が家を改築でもするつもりかっ!?

「多分、ここの暮らしを邪魔されたくないのでしょうね。この結界には、そんな思いが込められていそうです」

そう言って、武家屋敷に視線を向けるカレン。その足はそこから一歩も動いておらず、まるで其処がデットラインであると示しているようだった。

「もっとも、四日目の夜にはあまり効果があるものではないのでしょうけど……もとより部外者を排除するといっても、彼女等もそれ以外の存在には思い至らなかったのでしょうね」
「…………何の話だ?」
「貴方には意味の無いことですよ。兎も角、そういうわけで、私はこれ以上は進めません。ですから手間をかけて、聖骸布まで使って、貴方を呼んでみたのですから」

カレンの言葉に納得する。だからわざわざ、回りくどい事をしてたんだな…………。

「そうか、俺を引っ張りあげたのも、自分が近づくわけにはいかなかったからか――――」
「あ、いえ。それはなんというか――――なぜか貴方の身体に触れた時、こう条件反射で、ぐいっと」

フィッシュしたわけですか。どうやら俺の身体は、彼女の聖骸布に気に入られでもしたらしい。今後、また釣られなきゃいいけど……。

「まぁ、釣り上げるのは金輪際、勘弁してくれ。そうだな、今後は挨拶の前に……背後から抱きついてみるってのは、どうだろう」
「――――それは、新しい試みですね。考えて見ます」
「嘘です、勘弁してください。誰もいないなら兎も角、我が家の家人の前でそんな事をやられた日には……命が無い」

半ば本気で、カレンを説得するが、聞く耳を持つか――――いや、逆に、俺の今の言葉でやる気になってしまっているかも。
なにせ、彼女は幸せ状態にある相手を、チクチクと突っつくのが大好きなのだ。俺の冗談は渡りに船だったかも…………。

「さて、話も一区切りついたことだし、私は別の場所に行ってみます。お茶は残念ですが――――それはまた、次の機会に」
「そうか、悪いな。わざわざ無理して遠出させてるのに」
「お気遣い無く。それでは…………」

そう言って、彼女は踵を返し、新都の方へと歩み去っていく。俺はなんと無しに、その背中に声をかけた。

「今度は、商店街のほうにでも足を運んでくれよ。俺はけっこう、あの辺りで買い物をしてるからさ、会うことがあったら、今度こそお茶にしようぜ」
「――――」

俺の言葉が意外だったのだろうか、カレンは驚いたように振り向くと、困惑したように視線をゆるゆると彼方此方(あちこち)に動かした。
そうして、深呼吸を一つすると、なぜだか照れたように、彼女にしては珍しい微笑みを浮かべた。

「貴方は出会うたびに、約束を取り付けるのですね――――こちらにも、都合があるというのに」
「あ、悪い――――迷惑だったか?」
「いいえ、時としてその愚昧さが、私の可能性を広げてくれるような、そんな気がしただけです。気分を害したわけではありません」

言うだけ言うと、カレンはスタスタと歩き去っていってしまった。しかし、最後のはどういう意味だったんだろう。
なんと言うか、どこまでもつかみ所のない相手だよな、カレンって――――さて、一人でこうしても仕方ない。

「よく考えたら俺、サンダルのままなんだよな…………このままじゃ出かけるわけにもいかないし、屋敷に戻るか」

皆が帰ってくるまで、もう少し時間がある。思わぬ事件があったが、残りの時間は夕食の献立でも考えながら、ゆったりと過ごすことにしよう。