〜Fate Hollow Early Days〜
〜月見酒〜
柳洞寺の長い石階段は山裾に面しており、頂上の山頂付近からは、下方に深山町が、遠き彼方には冬木市の夜景が一望できる。
夜景の見栄えこそ良いものの、薄暗い石段と、夜の寒さのせいか、この時分に、ここを訪れるものは皆無である。
「シロウ、本当に行うのですか?」
完全装備に身を固め、それでも彼女らしからぬ、不明瞭な決意に揺らいでいるセイバー。
彼女は山門を見上げ……そこに居る守護者の気配を、いち早く察知していたのだろう。その表情は険しく、門番であるアサシンを、敵としてしかみなしていないようだった。
「何を今更、貴方だって明確には反対しなかったではありませんか」
そんなセイバーに声を掛けたのは、普段着に身を包んだライダー。その隣には桜の姿もある。
今日は、秋の夜長にしては、そこそこ暖かく――――桜も俺も普段着のままで、交差点を抜け、この界隈にやってきたのである。
「それは、確かに夜半に宴を催すというのは聞いていましたが、何もこんな所で――――」
「……すまん、セイバー。前に一度――――酒と一緒にセイバー達も連れて、遊びに来いってアサシンに言われたのを思い出してな」
ま、そうでなきゃ夜中のこの時間、こんな山寺を訪れようとは欠片ほども思わないだろうし。
不満そうなセイバー、我関せずなライダー。二人とは対照的に、桜はなんだか楽しそうである。
「私は楽しみですよ。せっかくお弁当も作ったことだし、ピクニックみたいで良いじゃないですか」
いや、ピクニックってのは明るいうちにやるものだろ。これはどっちかって言うと、肝試しの部類に入るんじゃないだろーか。
なにせ、幽霊の類なら――――山門を守るために、今夜も不眠不休であそこに立っていらっしゃるわけだし。
「ま、桜がそういってくれるなら助かるけど。ほら、こんな所で立っててもしょうがないし、セイバーも機嫌直してくれ」
「はぁ――――しょうがないですね。いいでしょう、シロウの料理に免じて、ここは譲るとしましょうか」
不満はまだ残るものの、セイバーもしぶしぶとした風に納得してくれた。そんなわけで、3人を連れて山門を登りだす。
向こうからも、こっちの様子は見えていることだろう。さて、思いつきで始めたわけだが、これから先はどうなるか、想像外であることはたしかだった。
「ほう、このような月夜の晩に珍客が訪れるとは、退屈な門衛も繰り返してみるものだな」
「――――」
秋の夜長に、月光の明かりを受け、山門に立つ剣士の魂。無言で、セイバーは剣を構え、前に出ようとする。
どうも、根幹的にアサシンとは目が合っただけで双方戦闘体勢に移行してしまうようだった。俺はそんなセイバーの前に出て、押しとどめる。
「そうじゃないだろ、セイバー。今日は戦いに来たわけじゃないんだから」
「む――――……しかし、ですね。あれを見るたび、どうも無意識に構えてしまうというか、なんと言うか」
俺に注意され、セイバーは構えを解く。それでも、やっぱりアサシンを警戒しているのか、表情は険しいままだ。
そんな様子を見て、何を思ったのか、アサシンは楽しげに笑う。そんな彼に、俺は手に持った包みを掲げて見せた。
「アサシン、今日は戦いに来たわけじゃないんだ。ほら、いつか言っただろ。今度来るときは差し入れをもってこいとか何とか――――」
「――――ああ、そういえば……そのような事もあったか。しかし、それを真に受けるとは、律儀なものだな」
ほんの少し虚を突かれたような表情を見せた後、アサシンは再び笑顔を見せる。心なしか、なっきよりも警戒感が薄れているようだった。
そんなアサシンの前に出て、一礼をする影一つ。俺と一緒に来た桜は、初対面であろうアサシンに、笑顔で話しかけた。
「初めまして、アサシンの英霊さん。私はライダーのマスターの、間桐桜といいます」
「アサシンの佐々木小次郎と申す。ひょっとして桜殿は、キャスターの話に出ていた、あの桜殿なのかな」
「――――え?」
アサシンの言葉に、びっくりしたのか、桜は驚いたように目を見開く。その様子を肯定と採ったのか、アサシンは桜の立ち姿を一瞥すると、なるほど、と頷いた。
「可愛い娘になつかれるのは、悪い気はしないと言っていたが。さもありなん。キャスターが気に入るのも当然か」
「あの、キャスターさんは何て言ってましたか……?」
「いやなに、大した事は話してはくれぬよ。しかし、あのキャスターに弟子のような者ができるとは――――ま、言わぬが花というやつだろうな」
「?」
納得したようなアサシンと、言わんとすることが良く分からず困惑する桜。両者のすれ違いは、キャスターの本性を知っているか知らないかの違いだろう。
パッと見は、良家の若奥様、理想の女性像にも見えるキャスター。しかしてその実体は、家事全般が苦手な、不器用な若奥様だったのである。
「それで、来て良かったんだよな? せっかく酒と料理も用意したんだ。いやなら、このまま帰るしかないんだけど」
「――――そうよな、この山門をくぐる者には刃を向けねばならぬが、そうでなければ特には構わぬよ。いざとなったら桜殿の名前でも持ち出しておけば、キャスターも文句はあるまい」
そう言うと、背中の鞘に剣を収め、長刀を肩から外すと、アサシンは石畳の上に胡坐をかいた。
どうやら、許可が下りたと思っても良いようだった。正直、もう少し説得は難航するかと思ったが、向こうも案外、暇を持て余してしまっているのかも知れない。
「桜、ビニールシートを広げるから、手伝ってくれ」
「はい、先輩」
そんなわけで、石の階段を上りきった踊り場に、大きめのビニールシート敷いて、料理と酒を並べた即席の宴会場が出来上がった。
缶ビールに日本酒、つまみに作った料理と、あと俺と桜の飲み物用に、烏龍茶のペットボトルが何本か。それで準備は整った。
それぞれ、紙のコップに飲み物を注ぎ、乾杯の音頭とともに、そうして慎ましやかな宴は始まったのである。
しばらくの後、場はまったりとした雰囲気に包まれていた。基本的に饒舌な人間はこの場には居ない。
それでも、時折に交わされる会話は穏やかで、流れる空気は清涼に、どこまでも澄んだままで夜を渡っていく。
「夜の帳に掛かる灯火を見つつ、酒を飲むのは中々に風雅なものだな」
「――――そうだな、確かにここからは、新都の方まで良く見える」
深山町の西、円蔵山の中腹からは、深山町と新都の町並みが遠くに見渡せる。ミニチュアのような建物のあちこちより、生活の明かりが漏れ出でる。
もっとも、そろそろ刻限は真夜中になろうとしている。新都のほうは兎も角、深山町のほうは眠りにつくためか、家の明かりは徐々にではあるが減りつつあった。
しかし、それは幻想的な光景だった。眼下に広がる灯火が、時を経つごとにその数を減らしてゆく。まるで、夜空に星が出でる光景を巻き戻すかのように。
結局、大きな盛り上がりを見せることは無かったが、参加した誰もが、そのことに不満を持つことなく宴はお開きとなった。
後片付けを済ませ、アサシンに別れの挨拶を済ませてから、俺達は帰路についた。
石階段を降り終えてから、俺はふと心づいて、山門を見上げた。長く険しい石階段の上の山門に、ポツリと佇むアサシンの姿。
アサシンはこれからも、あの門を護り、時を過ごしてゆくのだろう。しかし、それは決して寂しさが募るものではない。
あの男は、どのような状況でも自らを打ちたてて、そこに在り続けることが出来るのだろうから。
「先輩、楽しかったですね。また来ましょう」
「ああ、今度は、遠坂たちも誘ってくるか……」
桜の言葉に、俺は頷く。久しぶりに、静かで穏やかな時間を味わった俺達は、そうして夜の街を、家へと戻っていったのである。
それは、月が白く、空は漆黒に塗りこまれた、そんな夜の日の出来事だった――――。