〜Fate GoldenMoon〜 

〜大聖杯のもとへ〜



桜の容態が安定し、連れ立って屋敷を出ることが出来たのは、夕方の頃――――。
皆で連れ添って、外に出る俺達を向かえたのは、冷夏のような冷たい風交じりの空気と、紅い夕焼けであった。

「風が流れているな……稀有なる事象であるが、やはり何者かが、この祭事を行っているのだろう」

空を流れる雲に目をやり、呟いたのはギルガメッシュ。今から事の本元である、大聖杯の元へと行くのだが、その表情には微塵の不安もない。
その立ち振る舞いは、いつもどおり。彼は常にそこにあって、あくまでも自らを曲げようとはしない。その豪胆さが、今は何となく頼もしく思えた。

「…………」

その言葉に、俺の隣にいたイリヤが、繋いだ手にぎゅっと力を込めた。
傍にはバーサーカーの姿は見えない。外に出るのに、その巨体は人目に付くので、霊体となってイリヤの近くに控えていた。

「――――準備としては心もとないけど、あまり時間を掛けるわけにもいかないわね。もし聖杯を手に入れられたら、私達の不利は否めないわ」
「……つまり、時間との勝負と言う事ですか」

傍らでは、遠坂とジャネットが話を続けている。
ツインテールの黒髪の少女と、金髪の小柄な少女……それは、在りし日の光景を思い出す事象であった。

玄関の戸が開き、ライダーの姿が現れたのはその時。その背には、桜の姿があった。

「お待たせしました。桜の着替えに少々手間取りましたので」

すらりとした高い身長の、ライダーに背負われた桜は、昏々と眠り続けているようである。
桜の顔色は優れない。吹きすさぶ冷たい風は一刻ごとに、桜の生命そのものを削り取っていくかのようであった。

「それじゃあ、行くとしようか。出来れば、夕飯までには帰って来たいし」

俺の言葉に、皆は思い思いの表情で頷く。それは、世界の黄昏時――――迷走する物語は、最後の舞台へと流れていく。
歩く先は、落日の方向……長く伸びた影法師を背負い、俺達は歩き出した。



いつもの交差点を抜け、流れる雲に従うように、俺達は柳洞寺へとたどり着く。
夕焼けに照らされた山門――――半年前、セイバーと二人で見上げたそれは、未だ変わらずにそこに鎮座している。

「聖杯の儀式自体は、山上にある祭壇で行われますが、大元である大聖杯の入り口は、山の裏手にあります。ついて来て下さい」

桜を背負ったライダーは、重さを感じさせない軽快な足取りで、森内へと踏み込んでいく。
見失わないように、早足で後を追いながら、俺は、傍らに声を掛けた。

「そうだ、言い忘れてたけど、この場所には英霊を入れない為の結界が張られてるんだ。通れない事は無いだろうけど、ダメージは覚悟しておいてくれ」
「ふ――――懸念は無用だ。今ここにいるのは、大英雄に匹敵するものばかりだぞ。その程度の事で傷を負うものはおらぬ」

俺の言葉に、ギルガメッシュは呆れたようにそう応じ、同感といった風に、ジャネットも頷いた。
そうして、道の無い山の裏手の森林に、俺達は足を踏み入れていった――――。

ライダーを先導に、道なき道を歩く。舗装もされてない道は、ろくに歩けるものではなく、結局、イリヤを抱きかかえながらの強行軍となった。
立ち並ぶ木々の間を縫うように歩き、絶壁まがいの岩肌を降りる。そうして、どれほど歩いたであろうか。

「ここが入り口です。他にも入り口が在るかもしれませんが、ゾウケンに教えられた入り口はここだけですので」

ライダーが足を止めたのは、乱立する木々を縫うように流れる清流の先――――水の流れる先にある岩肌に面した場所であった。
岩の折り重なる入り口のような場所……見た感じ、すぐに行き止まりに見えるが、ライダーは躊躇無くその空間へと踏み込んでいく。
すると、桜を背負ったそのままで、ライダーは岩の中に吸い込まれるように消えていった。

「――――なるほど、魔術による偽装ね」

納得したように頷くと、遠坂はジャネットと共に洞窟へと入っていく。同じように、二人は岩肌の中に吸い込まれるように消えていった。
そうして残ったのは、俺とイリヤ、ギルガメッシュのみ。

「殿軍は、任せてもらおう」
「――――ああ、頼む。行こう、イリヤ」

ギルガメッシュの言葉に頷くと、俺はイリヤを抱きかかえたままで、その岩肌へと足を踏み入れた。
とたん、視界は漆黒の闇に覆われた。一条の光も差さない闇。距離感が狂い、とたん、平衡感覚が危うくなる。

「シロウ、何も見えないわ」

その時、平常心を取り戻せたのは、抱きかかえていたイリヤの囁く言葉のおかげであった。
不安に包まれていた心理に、落ち着きが戻る。冷たい闇の中、間近の体温だけが、頼れる命綱のように思えた。

「イリヤ、しっかり捕まってろよ」

イリヤを抱きかかえながら、急な斜面を下る。背をつけ、ゆっくりと降りなければ、たちまち闇の中へと転落してしまいそうだった。
まるで、窒息してしまいそうな窮屈な感じ――――それは、身体に纏わりつくように常に付きまとっていた。
そうして、螺旋状に、おおよそ百メートルほど下った事だっただろうか。坂道は終わりを告げ、薄明かりに包まれた洞窟が、俺達の前に出現していた。



轟々と、唸りを上げるような風の音――――光苔に包まれた洞窟は、精気に満ちた空気に包まれていた。
大気に含まれるは、禍々しいまでの生命力――――生み出されたもの、集められたものが、見ることは出来ないが、そこには確かにあった。

「……ここまで来ると、さすがに影響を受けますね。桜の身体は順調に回復していくようです」
「そう、よかったわ。もっとも、こんな洞窟にずっと、住み着くわけには行かないでしょうけどね」

ライダーの言葉に、ひとまずはホッとした表情で、遠坂は言う。
何だかんだ言って、桜のことを心配していたんだろう。その顔はとても穏やかで、優しげであった。

後ろを向くと、俺とイリヤに少し遅れて、ギルガメッシュがこの場に到着したのが見えた。
と、その視界を遮るように巨大な身体が姿を現す。鉄のような雄々しき巨体――――それは、イリヤの英霊、バーサーカーであった。

「もう、姿を見せても大丈夫でしょ。ここまでくれば、誰かに見られることもないし」
「あ、ああ……そうだな」

近くにいるのは分かっていたが、さすがに目の前に現れると、その雰囲気は流石に圧倒的だった。
それに、何となく敵意のような感じが、俺に向けられているような気がする。ひょっとして、イリヤを抱きかかえているからだろうか?

「じゃあ、イリヤはバーサーカーと一緒に行動してくれ。ここから先、いつ投影を使うか分からないから、両手は開けておきたいからな」
「うん、分かったわ。バーサーカー」

イリヤが声を掛けると、バーサーカーが動く。腕が動き、岩のような大きさの手が差し出される。イリヤはその手に腰掛けるように飛び乗った。
小柄な身体を持ち上げるように、イリヤをその肩に乗せる。それは一枚の壁画の様に見惚れるような光景であった。

「皆、そろったわね、それじゃあ進みましょう。ジャネット……近くに敵はいる?」
「――――いいえ、それらしいものは感じられません」

遠坂の言葉に、ジャネットは静かに首を振る。そうして、困惑したように彼女は言葉を続けた。

「感じられないと言うか――――変ですね、周囲には似たような視覚が察知できません。もっとも、目を閉じてるだけかもしれませんが」
「そう、それじゃあ油断しないように進みましょう。ジャネットが先頭に、次は私と士郎。ライダーはイリヤの近くにいて。で、金ぴかは一番後ろってことで」

テキパキした遠坂の指示に、皆が納得したように頷いた。もっとも、一人、金ぴか呼ばわりされたのを、不満そうに顔に出してるギルガメッシュの姿があったが。
そうして、俺達は洞窟を進む。慎重に進むが、さしたる妨害も無く――――俺達はその場所へとたどり着いた。



そこは、広大な空間にしつらえられた祭壇。篝火をくべる炉のように、天に向かって据立する禍々しい存在。
遠めにも分かる巨大なものは、ひときわ高い丘の上にしつらえられた物。

そうして、その丘の麓に、一つの人影が佇んでいる。それは、

「随分と、ゆっくりとした到着だな。もう少し、早く来ると思っていたが」

赤い外套に身を包んだその姿で、俺達を出迎える。半年間で背の伸びた、俺よりも尚も高いその長身。
浅黒い肌に、逆立った白髪――――その手には既に、対の双刀が握られていた。

「アーチャー……」

遠坂の声は、流石に硬い。予想はしていただろう、覚悟はあっただろう。それでも、目の前の現実は流石に冷たかった。
周囲には、アーチャー以外に人影の姿は無い。あるのは、大聖杯が唸りをあげ続ける、気味の悪い音だけ。

「ちょっと、あなた一人なの!? ランサーを殺した、あの子供はどうしたのよ!?」

停滞するような空気の中……イリヤの叫びが空洞内に、こだまする。
憎しみと怒りに満ちた、イリヤのその言葉を受け、アーチャーは幾度と見た冷笑を浮かべた。

「ああ、あれなら倒したさ。少々、都合が悪くなったからな」
「倒した……?」

意外な言葉に、イリヤを始め、俺達は意外な顛末に呆然となった。
話の筋からすると、アーチャーと、その少年は仲間であると思っていたんだが。

「そうだ。あれのマスター共々、微塵も残さず消滅させた。私の目的を達成するのに、利用価値がなくなったからだ」
「目的ですって……?」
「そういえば、君には話していなかったな、凛。なにぶん無価値な願いだからこそ、聖杯を手に入れるまで黙っていようと思っていたが」

遠坂を見据え、アーチャーは笑う。その表情は、かつてのマスターに対しても冷たく、突き放したものだった。
その瞳が、こちらを向く。とたんに、嫌な不快感が込み上げてきた。

「願いは簡単なことだよ。私は一人の人間を殺す。そんな簡単な事が、私の願いだ」
「そこで、俺を見るってことは、そういうことなんだろうな。そう言えば、前に会った時も俺を殺そうとしてたし……なんでだ?」
「ん?」

俺の言葉に、アーチャーは面白そうに俺を見る。なんだか、馬鹿にされているようで、妙に腹が立った。

「無価値って言っても、意味はあるんだろ? アンタが俺を殺して、何のメリットがあるって言うんだ」
「――――意味など、無いさ」

その声は、静かに苦味を噛み締めるように……その男は後悔と苦渋に満ちていた。
そうして、その男は――――、

「そう、意味など無い。言うなればこれは、自殺行為のようなものなのだよ。”俺の”な」

そんな――――ヨクワカラナイことを、口にした。

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