〜Fate GoldenMoon〜
〜幕間・貴方と私〜
「――――っ、えくしっ! うう、今日はなんだか冷えるわね」
穂群原学園の校舎内を歩きながら、愚痴をこぼす影が一つ。
縞々模様の服を着た、藤ねえは、久方ぶりの寒さにさすがに滅入っているようである。
時刻は昼の過ぎくらい。弓道部の合宿は未だに続いていて、今は昼食の準備におおわらわであった。
「え〜と、入ってもいいのかな……」
校内を歩いて行き着いた先は、保健室。昨夜に担ぎ込まれた、葛木先生の婚約者のお見舞いに来たのである。
ドアをノックするが、返答はない。朝方は、入らないようにとの葛木先生の声があったので、どうやら入っても良いのだろう。
「おじゃましまーす……」
保健室のドアを開けて、中に入る。消毒液のツンとした匂いが、室内に満ちており、藤ねえの鼻腔を刺激した。
蛍光灯で照らされた室内――――部屋の隅に置かれたベッドには、包帯だらけのメディアと、その傍らに椅子を置いて座り、様子を見る葛木先生の姿があった。
「葛木先生、どうですか、メディアさんの様子?」
「……藤村先生、特に問題はありません、容態は安定していますので」
藤ねえの言葉に応じる、葛木先生の口調はさすがに疲労が隠せない。学校にメディアを運んだ後、どうやら寝ずに看病を続けていたようだった。
ベッドの近くへと歩み寄り、藤ねえはメディアの様子をのぞき見てみた。
顔の部分を含む、身体のあちこちに包帯を巻かれ、メディアは眠り姫のように昏々と眠っていた。
「しかし、ほんとについてないですね。学校の外にでるなり、交通事故にあうなんて」
「…………ええ、慣れていますので、手当ての方は即急に済ませる事が出来ましたが」
慣れている、ってのも変な言い方だな〜、と藤ねえは思ったが、突っ込みを入れるのもなんだと思ったのか、葛木先生の言葉を聞き流し、メディアさんの様子を再度見る。
美しい顔は、血の気の引いたように青ざめていて、容態は決して良いとは言えなかった。
病院に連れて行ったらどうか、と藤ねえは葛木先生に何度か言ったが、そのたびに頑なに断られていた。
(……まぁ、こうして見る限り、命に別状は無いみたいだけどね)
「それで、一体何の用件ですか?」
「――――あ、ああ、そうだった」
葛木先生に声をかけられ、藤ねえはハッと我に帰った。メディアさんの様子が気になって、ここに来た目的を忘れるところであった。
藤ねえは、葛木先生の顔を見る。もとより痩せていたその長身の身体は、貫徹の看護で、流石にくたびれているようであった。
「看病を交代する為にここに来たんですよ。朝もお昼も、食べてらっしゃらないんでしょ? 弓道部に食事の用意も出来てますから、行ってきたらどうですか?」
それは、藤ねえの個人的な意見というより、弓道部の生徒の総意のようなものであった。
無骨であるが、年長になるほど人望が厚くなる葛木先生は、生徒達にも慕われており、そのため、今回のような運びに相成ったのであった。
それに対し、葛木先生は考えるまでもないのか、静かに首を振った。
「申し出はありがたいのですが、今、この場を離れるわけには行かないので」
「あ〜、やっぱりそうですよね。婚約者を放っておくわけにも行かないだろうし」
納得したように頷くが、藤ねえの顔は、やっぱりどこか残念そうであった。
その様子を見てか、葛木先生はしばらく考えに浸るように黙考すると、再び口を開いた。
「――――この場を離れるわけには行きませんが、食事は摂りたいものです。出来れば、持ってきていただくと、ありがたいのですが」
その言葉に、藤ねえの顔が輝いた。満面の笑みを浮かべて微笑むと、保健室のドアを開ける。
外にでながら、藤ねえは室内の葛木先生を顧みた。
「分かりました、持ってきますね。メディアさんの分はどうします? おかゆか何か、用意しましょうか?」
「……そうですね、お願いしましょう」
葛木先生の返事を受け、藤ねえは改めて保健室を出て、弓道場に向かった。
足音が遠ざかる――――保健室には、ベットに横たわるメディアと、葛木先生が残された。
「――――本当に、騒がしい方ですね、あの人は」
「起きていたのか」
藤ねえが、保健室を出て行ってしばらく後、唐突にメディアの瞳がパチリと開かれた。
突然の事であるが、葛木宗一郎は驚く事も無く、彼女の頬に手を当てる。整った顔に当てた手は暖かく、それがメディアを安心させた。
「ええ、午睡を楽しめる状況ではありませんから、意識はずっと外に向けていたんです」
「そうか、それで……身体の方は完治できるのか?」
問う葛木先生の言葉に、メディアは彼を見る瞳を細め、幸福そうに微笑んだ。
生きながらえたこの身――――どれほど保つか分からぬが、それでも最後の時まで、この人の傍にいたいと思った。
「大丈夫です、この位で消えるほど、私は脆弱ではありませんから」
「そうか、そうだったな」
頷く葛木先生と、微笑むメディア。
それは、世界の隅に忘れられた命――――物語の果てより始まった、いつ果てるか分からない、二人の世界。
物語が終局に向かいつつある中、二人はあくまでも、そのままの二人であった。
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