〜Fate GoldenMoon〜
〜幕間・狂兵因縁〜
城壁に囲まれた古城。それを一望できる場所に陣取り、二つの人影が佇んでいた。
一つは学生服の少年。そしてもう一つは、赤い外套に身を包んだ騎士。
「ここにいるの? その、聖杯の器になるって娘は」
「――――ああ、銀髪の娘、名前はイリヤスフィールだ。彼女はあの時、確かに聖杯として孔を開いていた」
少年の問いに、淡々と赤い騎士は答える。その様子は、なんら興味もないという仕草。
もともとの記憶、記録の断片を引き出した結果、自らとイリヤスフィールとの間に絆があったのも覚えている。
――――しかし、それは過去の出来事……永く磨耗した時に、その思いは最早、なんの価値もなくなっていた。
「――――行こう、ここにいないとすれば、おそらくは衛宮士郎の住んでいる屋敷のほうだ。即急に調べ上げ、場合によっては策を弄さねばならないだろう」
「そうだね。それじゃあ、さっさと済ませちゃおうか」
アーチャーの言葉に少年は頷くと、その手に一枚の敷布が姿を現した。
少年はそれを宙に投げ上げ――――そして、獣すら恐れさせる咆哮が、周囲を支配した。
「と、いうわけよ。話がバラバラで分かりづらかっただろうけど、ともかく今は、こうやって仲間を集めているってわけ」
「はぁ――――そうなんですか」
分かっているような、分かっていないような表情で、イリヤの言葉に相槌を打つヒルダ。
実際、イリヤの話は本人の主観で語られている上、話があちこちに飛ぶため、整合するのが大変そうであった。
ともかく、ヒルダは最も気になった質問を、イリヤにしてみることにする。
「しかし、それで本元の方が納得するんでしょうか?」
「大丈夫でしょ。そもそも、何百年も手に入れられない聖杯を、使用する事が出来るようになるんですもの。納得しなきゃ、罰が当たるわ」
当たると思う、ではなく、当たると断定するあたり、イリヤは本家の方と事を構える気が満々のようであった。
ともかく、と前置きをし、イリヤはヒルダを見つめ、静かな口調で言う。
「アインツベルンに連なる獣の一族。竜に従い、その役目を果たしなさい」
「――――――――」
どうしたものか、と言う表情で、空になった自分とイリヤのカップに紅茶を注ぐヒルダ。
彼女はイリヤに対し、好意を抱いているものの、本家に無断でイリヤに手を貸すのが正しいのか、判断がつかなかったのである。
迷いつつ、紅茶を口に含むヒルダ。それにつられて、イリヤも紅茶を飲み――――急に、咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「ケホケホっ――――な、なんなのよ、この甘ったるい紅茶はぁっ!」
「え?」
怒りの声をあげるイリヤに、ヒルダはキョトンとした表情をし、手元に視線を落とす。見ると、砂糖を入れた容器の中身が、いつの間にか無くなっていた。
どうやら、イリヤの話を聞きながら、無意識のうちに紅茶の容器に入れていたらしい。
「すいません、私には分からないものですから……すぐに、代わりの紅茶を用意してもらいますね」
「え…………あなた、ひょっとして」
何かに思い当たったのか、謝るヒルダに声をかけようと、イリヤは口を開き――――、
「――――――――!!!」
その時、雷鳴のような咆哮が、遥か彼方より聞こえてきた。城内にいるものたちは、皆一様に、驚いたように身を硬くする。
いや、ただ一人、驚いたような表情で、声のした方角へと向くイリヤの姿があった。
彼女は手近な窓へと駆け寄ると、窓を開け放つ。なおも咆哮は続き、城壁を揺らし、窓をもビリビリと動かそうというほど。
その叫びには、理性はなく、知性はなく、ただ殺戮の本能に支配された響きがあった。
「シグ…………!」
「ちっ、火を見せて追い払ったのはいいが、またやってきたか。どうやらこの城に、何か未練があるみたいだな」
舌打ちをし、シグルドは窓から身を躍らせる。城の中腹、下方まで十メートル以上ある空間を落下し、地面に降り立つと、城門の外へと駆け去っていく。
迎撃するつもりだろう。そう理解したとき、イリヤは傍らに控えていたランサーを振り返った。
「ランサー、私達も行くわ! 私を運びなさいっ」
「はぁ? 何でだよ。見たところ、あの兄さんはかなりの使い手だ。おそらく狂戦士だろうと歯牙にもかけんだろうよ」
わざわざ行く必要はない。と言外に告げるランサーだが、イリヤが睨みつけると、呆れたような表情を見せた。
「ああ、わかったよっ、ったく」
苦虫を噛み潰したような表情でランサーはイリヤの前に屈む。イリヤはヒルダのほうを向き、微笑んだ。
「ちょっと行ってくるわ。代わりの紅茶を用意しておいてね」
「――――はい」
頷くヒルダを残し、イリヤはランサーの背に負ぶさる。
「行くぜ、しっかり捕まってろよっ!」
背中のイリヤに声を掛け、ランサーは、翔んだ。
城の窓から、なんと城壁の上まで一足で飛ぶと、そのまま城壁から地面へと降りる。ただの二歩で、彼は先行していたシグルドに追いついた。
城壁の前、月明かりを背景に、二つの影が対峙していた。
一つは銀色の騎士、そしてもう一つは、かつてのイリヤの英霊、バーサーカー。
間違いなかった……! イリヤの表情に喜びの表情が浮かんだ。地面に降りたイリヤは――――、
「バーサーカー!」
「ばっ、なにやってんだ、テメエ!」
バーサーカーに駆け寄ろうとし、その腕をランサーに掴まれた。
確かに、冷静に考えれば止めて当然なのだろう。理性も何もない狂戦士の前に飛び出すのは、自殺行為に等しいからだ。
しかし、イリヤにとって、ランサーの行為は邪魔なものでしかなかった。腕をつかまれたまま、イリヤは身をよじる。
「やっ、なにするのよっ! はなしてっ……!」
「馬鹿言うな、ガキが! 死ぬ気か?」
「そんなわけないじゃない! あの子は私のサーヴァントなの! バーサーカー、バーサーカー!」
必死に身をよじり、叫ぶイリヤ。しかし、彼女はしばらくして異変に気づいた。
彼女の身を最優先に、彼女を護るために存在していた狂戦士、しかし、今の状態でも、バーサーカーは身動き一つしない。
「バーサー……カー…………?」
「――――――――!!」
彼女の声は、届かない。狂戦士はその本能のまま、銀色の騎士へと襲い掛かる。
それを迎撃する白銀の騎士。嵐のような斬撃の渦、その様相を、彼女は呆然と見つめる事しか出来なかった。
騒乱は、遠ざかっていく。城壁の内部へと舞台を移した戦いはいまだ、互角の攻防が続いているようであった。
「凄まじいな…………これじゃあ、俺らのでる幕はないわな」
「どうして…………」
力を失ったイリヤの腕を、ランサーは手放す。行き場を失った手は、血の気を失い、彼女は唇を噛んで、俯いた。
「なんでなのよ……あの子は、私のサーヴァントなのに」
「――――それは、セイバーとの戦いの最後、あの瞬間までだろう、イリヤスフィール」
「!」「!」
ランサーとイリヤは、鋭く、声のしたほうを振り向いた。
森の中より進み出でてきたのは、真紅の外套、浅黒の肌、一人の英霊が現れたのである。
「あなたは……リンの英霊?」
「ああ、そうであった者だ。もっとも、この場に居合わせたのだ。どういった者なのか察する事が出来るだろう?」
酷薄な笑みを浮かべるアーチャーに、イリヤは殺意すら持った視線を向ける。
「あなたのせいね……あなたがバーサーカーを狂わせたんでしょうっ……! 私のバーサーカーを返してっ」
「ふ――――おかしな事を言う、あれは元々、狂った英霊だろう? 私が何をしても、これ以上狂う事など有り得ないだろうよ」
「え、だって――――」
覇気をそがれ、戸惑うイリヤ。そんな彼女に、アーチャーは容赦なく言い放つ。
「何を期待しているのか知らぬが、奇跡をそう何度も願うものではない。最早あの狂戦士は、お前の元には戻らぬよ」
「そんな、そんなこと――――」
声が消え去る。決して有り得ないと思い込んでいた現実を突きつけられ、イリヤは泣きそうな表情になった。
「さて、これで思い残す事もなくなったわけだが――――イリヤスフィール、聖杯の器として、一緒に来てもらおうか」
「――――!」
いつの間にか、アーチャーの両手には両対の双刀。それを見て、イリヤは表情をこわばらせ――――、
「おいおい、誰かを忘れちゃいないか、お前」
雷光のような突きが、アーチャーに叩き込まれたのはその時だった。
その一撃は完全な不意打ち。しかし、それすら予期していたのか、持っていた双刀を操り、その一撃をアーチャーは完全に受け止めた。
「ランサーか。どうも先ほどから、視界の先に妙なものが見えると思ったが、貴様だったか」
「は、なに言ってやがる。近眼じゃあるまいし、見逃してましたなんて言うわけじゃないだろう? ええ?」
赤と青。物語の序章より対峙した二つの英霊はこの時、再び同じように矛を交えようとしていた。
両者共に、立場が違う。ランサーはイリヤをマスターとし、アーチャーは最早、掲げる者はいない。
しかし、この時、この瞬間においては、その様な事は瑣末な事であった。
互いの前には、強敵と呼べる相手が存在する、それだけで血が高ぶるのは英雄の宿業なのかもしれない。
「今回は、全開で飛ばしていくぜ、今までと同じとは、思わないことだな」
「さて、手の内を明かさないと言う事は、こちらも同じだが――――いいだろう、こちらも能力を見せるとしようか」
「――――――――」
遠くからは、狂戦士と白銀の騎士の一騎打ちの喧騒。間近では、二人の騎士の決闘。
それを見つめる、イリヤの胸中は、どのようなものであったのだろう――――。
そうして、因果は巡る。騒乱の舞台ともなったアインツベルンの城で、今また、二つの戦いが始まる事となった。
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