〜Fate GoldenMoon〜
〜幕間・挑戦状〜
「――――そういうわけですので、ちょっと出かけてきますから、生徒達の面倒、お願いしますね」
「分かりました。午前中は用事もありません。引き受けることにしましょう」
藤ねえの言葉にそう言って頷いたのは、葛木先生。二人とも、学校に宿泊して二日目の朝のことである。
さすがに、ずっと学校に宿泊するのも、食事やら衣類やらに問題が生じる。合宿を想定していた生徒達はともかく、着のまま参加したような藤ねえにとっては問題だった。
そういうわけで、一度、士郎の家によってご飯を食べてから、実家に帰りつつ荷物を用意する予定であった。
藤ねえが手を振って出て行くと、葛木先生は弓道場にいる一同を見渡す。
「――――――――」
気まずい沈黙が流れる。もともと、寡黙な葛木先生は、どたばた騒ぎの元凶である藤ねえとは正反対の存在であった。
基本的に、上級生に行くほど信頼される先生だが、それでもとっつきにくい事は確かだった。
「ふむ……生憎と、私は弓道に対し門外漢なのでな、上級生を中心に、通常通りの部活動をするように」
沈黙を破ったのは、葛木先生のほう。一言だけ言うと、弓道場の隅に移動し、そこで黙然と生徒達の方を見る。
本人なりに、邪魔にならないように配慮しているようなのだが――――、
「おい、どうするんだよ」
「どうするんだよっても、なぁ……あんだけ真面目に見られちゃ、手も抜けれないだろ」
ため息をつきつつ、生徒達は通常の鍛錬を開始した。藤ねえは生徒と一緒に楽しむのだが、葛木先生の場合は、生徒達の自主性に任せるタイプのようであった。
自然、生真面目な空気になり、普段はほのぼの練習していた部員達だが、珍しくも気の入った練習をするようになった。
その結果が、後に出るかどうかは……まだまだ当分先のことになるのだろうが。
そんなこんなで、朝早くより弓道場では気合の入った鍛錬が開始されていたのであった。
ごうんごうんと、洗濯機が回っている。宿直の教務員が止まる部屋では、パタパタと甲斐甲斐しい音。
エプロン姿に、三角巾。手にはハタキと完全装備で、宿直室の掃除をしているのは、キャスターのその人であった。
「〜♪」
鼻歌を歌いながら、とても愉しそうに掃除をするその姿は、新婚の奥さんそのもの。
何だかんだ言って、葛木先生との仲も円満になった今、その表情は限りなく幸せそうであった。
昨夜も葛木先生と過ごした、宿直室を掃除するその表情は、とんでもなく頬が緩んでいた。
幸せ一杯、夢一杯といった感じで、彼女はあちらをこちらをと、パタパタと掃除する。
その時、彼女の背後に人影がたった。人の気配を察し、キャスターは明るい笑顔で振り向く。
「宗一郎様?――――――――えっ!?」
「久しいな、召喚主」
キャスターの笑顔が凍りつくのを、愉しげに笑みを浮かべて見つめる、アサシンの英霊。
その姿は、いつもどおりの着物姿、ではない。葛木先生と同じようなスーツ姿。馬尾頭にしていた長髪は、一度ほどき、首の後ろあたりに纏める。
その手に得物は持っていないが、それはなんら意味を成さないだろう。
アサシン――――佐々木小次郎にとって、あの武器はもはや身体の一部であり、即座に呼び出せるものであったのだから。
「場所を移そうか、このように立ち話をしていると、思い人とやらが帰ってくるか……気が気ではないだろう」
「――――っ」
ぎり、と奥歯を鳴らし、キャスターはアサシンを睨む。しかし、逆らう事も出来ない。
憎しみの視線を向けた相手は、その視線すら悠然と受け流し、薄ら寒く笑みを浮かべたのだった。
弓道場の裏手にある雑木林、今この時間は誰もいない場所に二人は移動し、そうしてそこで、改めて互いの姿を垣間見た。
着物姿、雅な風貌の侍の英霊は、普段着の美女を、魔術師の法衣に身を包んだ英霊の視線の先には、スーツ姿の青年を見つめていた。
「随分と素朴な姿になったものだ。変われば変わるものだな」
「……それは、あなたも同じでしょう。なぜ、こんな場所に」
「なぜ? 間抜けな事を口走る。自らが未練ある世に黄泉孵ったのだ。なれば、私が蘇るのも道理であろう」
冷たい声に、キャスターは身構える。そんな様子の彼女を見つめ、青年は冷たく弾劾の言葉を浴びせる。
「まったく、せっかく二度目の機会に巡りあえたと言うのに、このような場所で賄いの真似事とはな。何千もの命を玩んだ女の見る夢にしては不相応だろう」
「っ…………好きで、そんなことをしていたのではありません! 私は、宗一郎様のために」
「宗一郎様のため、か。だが、実質はその必要もなかったのだろう。今のその姿がその証拠だ」
薄ら笑いを浮かべ、アサシンは切り裂くような視線をキャスターに向ける。
「結局、お前は自分のために、他を利用する事しか出来ぬ女よ。人を利用し、玩び、捨て去ったものの妄執すら知らず、その様に振舞う」
「…………」
「私は、その妄執を晴らすために、ここにきた。自らの積み上げた罪だ。まさか、知らぬとは言わせぬぞ」
声もなく立ち尽くすキャスターの喉もとに、刃が突きつけられる。
視認することすら出来ず、反応する事すら出来ず、その切っ先がキャスターの肌に食い込む。
つう、と喉から鮮血を流すキャスターは、なすすべもなく立ち尽くし――――舌打ちと共に、刃が引かれたのはそのときだった。
「ぇ――――?」
「興が醒めた。やはり、不意を撃って倒すなど、武人としては恥以外の何者でもない」
不満げに刃を一振りし、キャスターに背を向けると、雑木林の奥へと足を向ける。
その先には、彼の仲間であろうか、学生服姿の少年と、赤い外套に身を包んだ青年の姿があった。
「私を呼び出し、使役したからにはそれ相応の強さを見せろ。武士の仕える主として、それは最低限の規約だ」
「う、ううっ……」
「今宵、柳洞寺の山門にて、待つ」
恐怖か、畏怖か……身を振るわせるキャスターに言い捨てて、アサシンは仲間と共に、雑木林の奥へと姿を消した。
その姿が見えなくなったとき、緊張の糸が切れたのか、キャスターはその場にくず折れた。
「うっ、ごふっ…………」
過度の緊張のためか、吐き気を催したのか、必死に涙目で、口元を抑えるキャスター。
自らの罪を、彼女は知っている。しかし、それがこんな形で返ってくるとは誰が予想できただろう。
アサシンの令呪を持たない以上、彼女はアサシンを制御できない。
それは、あの生粋の剣士を相手に戦わなければならないという事だ。
状況は、絶望的であった。この世に再び呼び出されたキャスターは、かつてのような、街内から集めた魔力を保持しておらず、アサシンに対抗できようはずもない。
戦えば、十中八九負けるだろう。だが、逃げる事も出来ない。あのアサシンの英霊は決闘場所を指定してきたのだ。
それは、他を巻き込みまいとする、彼の情けでもあったのだろう。それを蹴れば、害が葛木宗一郎に及ぶ事は容易に予想できた。
「負けたく、ない……!」
何の採算もない、何の希望もない。それでも、今、この世にある幸せを守るため、彼女はこの挑戦を受けざるをえなかったのだ。
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