〜Fate GoldenMoon〜 

〜聖乙女、大いに怒る〜



「…………」
「…………」

まずいな、言葉が出ない。どこかムスッとした表情のジャネットを前に、俺は考え込んだ。
さて、どうしようか……ともかく、今朝の事を謝っておこう。

「あ〜、その……今朝は悪かったな」
「いえ……そもそも、そちらが就寝している部屋に、知らずに上がりこんだ、こちらが悪いのですから」

その点はお気になさらずに、と相変わらずの無愛想で、ジャネットは俺に口答する。
しかし、どうも最初に会った時以来、微妙に避けられているような節があるよな…………。

「そういえば、英雄王殿はご健在ですか? 早朝、少々手荒にご挨拶をしておきましたが」
「ギルガメッシュ……ああ、あの痣は君がやったのか」
「ええ、少々癪に障る事をしてくれましたので。当然のことをしたまでです」

ふん、と、気丈に彼女は鼻を鳴らす。自分は悪くない、と、言外にその表情が告げていた。
俺は一つため息をすると、肩をすくめる。我を地で行くギルガメッシュもそうだが、ジャネットも気の強い性格のようだ。

「まぁ、詳しい事は聞かないけど、そんなにカリカリしない方がいいと思うけどなぁ」
「貴方が呑気だとは考えないのですか、アーチャーのマスター。私のマスターにも、たびたび窘められていると思いますが」
「そうかな、俺は俺なりに頑張ってるぞ。あ、それと、俺のことは士郎って呼んでくれ。マスターなんて呼ばれるほど偉くもなんでもないし」

俺の言葉に、ジャネットは俺の顔をまじまじと見つめると、はぁ、と心底呆れたように肩をすくめた。
どうも、俺の物言いがお気に召さないようで、その表情が「軟弱者」とそう告げているようだった。

「では、士郎。貴方は一体何を考えているのですか。私と貴方はどのみち、敵対する。必要以上になれあうのは得策ではないでしょう」
「そうか? 敵対するとは限らないじゃないか。遠坂もイリヤも、目を覚まさないけど桜だって、俺は信用してるし、最後に残るのが俺以外でも、いいと思っている」
「では、私のマスターに殺されても、令呪を剥がされても貴方はそれを容認する、と?」

いきなり、極端な事を言うジャネットに、俺は眉をしかめた。
どうも彼女は、どうあっても俺と遠坂を敵対させたいらしい。

「まぁ、そういわれると気が退けるが……今はそれどころじゃないだろう? 聖杯戦争は七名のマスターに七名の英霊で行われる。この大前提からして、狂ってきているんだ」

今は、状況の把握と、対策を練るほうが重要だろう。と言うと、ジャネットは不服そうに顔をしかめた。
こうして対面していて気づいたが、ジャネットはよく表情を変える。まるで猫のように奔放で、感情的な表情をこちらに投げかけてくるのだ。

「ですから、それが終われば敵対するではないですか! だというのに、馴れ馴れしく声は掛けてくるは、英雄王に至っては、野卑な事を問うてくるし……」
「ああ、つまり……仲良くするのが、ジャネットは不満なのか?」
「そこまでは、言っていません。友好を深めるのは大事だと思いますが、貴方の行動を見ていると……」

そこまで言って、急にジャネットは黙り込んだ。
頬にハッキリと赤みが差し、あ、ぅ、と急に戸惑ったように口ごもった。

「なんだ? 急に黙り込んで……」
「っ、とにかくっ、私は貴方がたと馴れ合う気はありません。貴方も、聖杯を求めるなら……全てを敵に回すくらいの覚悟をしたらどうですか!?」
「いや、そういわれてもなぁ、そもそも、聖杯なんて、俺は求めてないし……」

そう、聖杯を使うべき理由も、手に入れるべき覚悟も、今の俺は持っていなかった。
かつて、セイバーをこの世にとどめるため、聖杯の力を使えればいいと思ったこともある。だが、今は……、

「なん、ですって……貴方、いや、貴様、今、何を――――」
「だから、俺は聖杯なんて必要としていないんだ。成り行き上、マスターになったけど、聖杯の持ち主が俺以外になるとしても、悪事に使われなきゃ、構わないと思ってる」
「この……馬鹿者がっ!」

バシッ!

視界が揺れた。頬の痛さに顔をしかめるが、それ自体はさほど衝撃的ではなかった。
意外だったのは、目の前に居る少女……その整った顔の蒼い瞳から、大粒の涙がこぼれたこと。

「惰弱な者だと思ったが、これほどとは……お前など、魔術師ではない!」
「いや、それは自覚しているが……なんで泣いてるんだ?」
「泣いてなどいない、怒っているんだ! 何でマスターは、お前のような者を信頼しているのか……!」

吐き捨てるようにそう言うと、ジャネットは踵を返した。
憤慨極まりないという足取りで、道場から外へと出て行こうとする。

「まてよ、何を怒っているのか分からないが、朝食を食べながら話し合わないか? 腹が減っていると、怒りっぽくなったりするからな」
「必要ないっ! そもそも、聖杯を求めようとすらしない人間など、私は競争相手と認めないからなっ!」

心底怒っているんだろう。まるで、男のような言葉遣いをするジャネットは、俺が引き止めるのも聞かず、道場を出て行ってしまった。
一人になった道場内。ふと、その脳裏に思いついたことがあった。

――――英霊が、この世に呼び出されるのは、聖杯を手に入れ、望みをかなえるため。

「そんな大前提を、忘れてるなんて、俺もどうかしているよなぁ……」

自分のうかつさに、俺は嘆息する。前回の戦いは半年前……その時から、遠坂もいたし、イリヤもいたので全てを敵に回すという感じはなかった。
セイバーは、聖杯を求めたが、最終的に、聖杯を壊すことに同意をしてくれた。

俺にとって聖杯は、必要の無いものだろう。だが、他のものにとってはどうなのだろうか……?
溢れる臭気、沈殿する悪意を内包していても、あの魔力量は信じがたいもの。たしかに、あれだけあれば、奇跡の一つや二つは起こせるだろう。

遠坂は、イリヤは、それに、ギルガメッシュやジャネット達……皆は、聖杯のことをどう思っているのだろうか……?
夏の風が過ぎ去る道場内。ふと、先ほどの場面が思い出された。

誰もいない場所でただ一人、彼女は一体、何のために祈っていたのだろうか……。
聖乙女(ラ・ピュセル)であるジャネットの流した涙の意味を、俺は知り得てはいなかった。



結局、その日の朝食にジャネットの姿はなかった。
キッチンで洗い物をしながら、居間を覗く。イリヤは眠り足りないのか、朝食を終えたら、さっさと部屋に戻ってしまった。

ランサーは何処かへ姿を消し、ライダーはお粥を持って、桜の部屋に向かった。
居間では、する事もなしにテレビを見ている遠坂と、扇風機に当たっている、ギルガメッシュの姿があった。

テーブルの上には、ラップを掛けたままの手付かずの料理。
ジャネットが食事をしたくても、居間に俺がいる限り入ってこないだろうな……。

ちょうど、買い物に出かけたいと思っていたし、間を空けるために、居間から出て行くことにしようか。
俺は洗い物を終えると、寛いでいた遠坂に声を掛けた。

「遠坂、今から買い物に行きたいんだが、一緒に来ないか? ちょっと、ここじゃ話せないこともあるんだが……」
「買い物……それって、重要な事?」
「まぁ、買い物の方も重要だな。人数も増えて、冷蔵庫の食材も心もとなくなってきたし」

だけど、本当に重要なのは、もう一つの方。その事が伝わったのか、遠坂は一つ伸びをして、身をそらした。
張りのある双丘が強調されるので、ちょっとドキッとしたが、本人は意識してやってのことでは無いようだった。

「分かったわ。付き合ってあげる。でも、出かけて大丈夫かしら。昼間だといっても、襲撃が無いとは言い切れないわ」
「ああ、その事なんだが――――ギルガメッシュ、一緒に来てくれるか?」

「む?」
「へ?」

俺の言葉に意外そうに、ギルガメッシュも遠坂も俺の顔を見た。
扇風機の風に髪を揺らしながら、ギルガメッシュが口を開く。

「我も一緒に来いというのか? 色恋沙汰の邪魔する気は毛頭無いのだがな……?」
「ちょっと待ちなさいよ、誰と誰の色恋沙汰ですって?」

悠々とした表情のギルガメッシュを、遠坂がじろりと睨むが、ギルガメッシュはフッ、と笑って聞き流した。
その態度が気に触ったのか、遠坂は拗ねたように唇を尖らせて文句を言う。

「大体、アンタはお呼びじゃないわよ。護衛なら、私にもジャネットがいるし……」
「いや、遠坂、その事なんだが……ジャネットは、連れて行かないで出かけたいんだ」

俺のその言葉に、遠坂は一瞬驚いた顔を見せたものの、ジャネットが朝食に参加しなかった事が、気がかりだったのだろう。
俺が何か知っていると判断したのか、分かったわ、というと、立ち上がって頷いた。

「ジャネットには、私から言っておく。ついでに、衛宮君の食事を残すと罰が当たるわよって、言っておくから」
「ああ、頼む。ギルガメッシュも、一緒に来てくれるよな」
「さて、とりわけ行く理由も無いが……このまま座して朽ちて逝くのも無粋だ。たまには身体を動かすのも良いだろう」

そんなことを口にしながら、ギルガメッシュも腰を上げる。
そうして、俺と遠坂、ギルガメッシュは買い物がてら、商店街に足を向けることになった。



「えーっ、何で私も一緒に行っちゃいけないのっ!?」
「悪い、イリヤ。でも、あまり大人数でここを離れたら、桜を護る事も出来なくなる。今度出掛けるときは、一緒に行こう」
「いやっ、私も一緒に行くの――っ!」

出かけることを伝えに行った時、イリヤは一緒に行きたいと駄々をこねた。
俺としても、連れて行けるものならそうしたかったが、事情が事情なだけに、なだめる事しか出来なかった。

「そういうわけだから、イリヤ、よろしくな」
「……まぁ、頼られているんなら、しょうがないけど。シロウも、ちゃんと買い物をして、早く帰ってきてよねっ」

最終的に、イリヤがそう締めくくったのは、今度出かけるときに一緒に行くと確約したのと、帰りにアイスを買ってくると約束した後である。
ともかく、ライダー達に伝えて、家のことを取り仕切ってくれると言うので、俺は遠坂達に合流するため玄関に向かった。

玄関へ向かう傍ら、ふと、居間の方をちょっと覗きこんでみる。そこには、行儀よく正座をして、パンをかじるジャネットの姿があった。

「あ…………ふんっ!」

俺の方を向いて、視線が合ったのが気に入らないのか、ジャネットはそっぽを向いてしまった。
まぁ、ちゃんと朝食を食べてくれてるし、ひとまずはそれでいいだろう。
俺は、苦笑を浮かべながら、再び玄関へと足を向けたのだった。



「お待たせ、遠坂、ギルガメッシュ」
「――――遅かったわね、士郎。ちゃんと、出かけるって伝えたの?」
「イリヤに伝えたよ。後のことはイリヤに任せれば大丈夫だろうし」

俺の言葉に、そう、と、遠坂は頷いただけ。なんだかんだ言ってイリヤの事は信頼しているようである。
靴を履いて、玄関より外にでる。強い日差しが、さっそく身を焼くが、耐えられないことは無い。

どこまでも続く無雲の青空が、道の果てまで続いている。
他愛の無い会話をしながら、遠坂と道を歩く。交差点への道を進む間、ギルガメッシュは俺と遠坂の後ろに控え、周囲の景色を見ながら歩く。

「それで、一体なんなの、話って?」
「ん、ああ、ジャネットのことなんだが……」

遠坂がそう聞いてきたのは、会話のさなか、交差点あたりに差し掛かったときのこと。
世間話の流れがあったので、俺は比較的気安く、遠坂にその話をする事が出来た。

朝の時分、道場でのジャネットとの会話、彼女の怒った理由を知るために、俺は遠坂に今朝の出来事を話し出した。


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