〜Fate GoldenMoon〜
〜幕間・回想、語り部の夜〜
時は、先日の夜までまき戻る。穂群原学園の弓道部は、学校に泊り込みでの合宿を開始していた。
もっとも、合宿の一日目は、藤ねえと共にハチャメチャをやらかした、後片付けに終始する事になったのだが。
ゴミの散乱した廊下や、水浸しの教室など、真面目な教職員が見たら卒倒を起こしかねない惨状を、一日がかりで元に戻す。
そうして、学校内の大掃除を終える頃には、とっぷりと日が暮れていた。
「それじゃあ、間桐主将、おやすみなさい」
「はい、校内で遊ぶのは構いませんけど、せっかく片付けたんだし、なるべく汚さないようにお願いしますね」
温和な表情で桜がそういうと、男子生徒は真っ赤になって、分かりました! というと、校内に戻っていった。
今年になって主将に任命された桜は、穏やかな物腰と温和な性格で、部員に人気があった。
合宿では、校内の教室を男子生徒が使用し、女子は弓道場で宿泊する事になっている。
すでに日も暮れ、夕食も済ませていたため、とりわけする事もなく、今は自由時間という按配であった。
「間桐主将、花火を買って来たんですけど、グラウンドでやっていいですか?」
「そうですね……火の用心をしっかりして、上級生がちゃんと管理してくれれば、構いませんよ」
「やった、さすが主将。それじゃあ、皆に言ってきますね」
一年生の浅上という女生徒は、桜の返答に笑顔を浮かべると、皆を呼びに弓道場内へと走っていった。
それを穏やかな表情で見つめていた桜だが、ふと、表情を曇らせ、弓道場の裏の林へと足を向けた。
弓道場の裏にある林、冬の季節は枯れ木が乱立していたそこは、夏になって枝葉が付き、そこそこ見栄えの良いものになっていた。
とはいえ、無断で利用する輩も後を絶たないのか、先日までゴミがあちこちに散乱していた。
今日の大掃除で、ゴミの大半は取り除かれたが、まだ、細かいゴミや欠片があちこちに落ちている。
そんな雑木林に、桜は足を踏み入れた。雑木林はしんと静まり返っており、グラウンドから聞こえてくる喧騒とは対照的であった。
「桜、こんな所で何をしておる」
「お爺、様――――」
林の闇のそのまた奥より、ぬらりと生み出る小柄な影、それは、桜の祖父、間桐臓硯である。
恐れか嫌悪か、ごくり、と喉を鳴らす桜に、臓硯は淡々とした口調で言葉を発する。
「聖杯戦争はすでに始まっておる。加えて妙な輩が、大聖杯の元へとたどり着きそうなのだ。いつまでもお前を遊ばせるわけにはいかぬ」
「お爺様、ですが――――」
「たわけ、これは要請ではない……命令しておるのだ。それとも、お前の可愛い後輩達に何かがあってもよいというのか?」
その言葉に、桜は絶句する。祖父は、弓道部の後輩の安全と引き換えに、桜に動けと命令しているのだ。
そこには、血の繋がった相手に対する思いやりも慈しみもない。利用するためだけの言葉がそこにあった。
「早くするのだ。すぐに其方を立って、大聖杯の元へと来るように」
自らの言いたいことだけをいって、臓硯は闇の奥へと姿を消す。
桜はその場に立ち尽くし、そうして、悲しそうに口を開いた。
「ライダー、いるんでしょう?」
桜の背後、霊体化していたのか、何もない虚空より、ライダーが姿を現した。
彼女の唯一の力であり、彼女の護り手である、紫紺の髪を持つ英霊、ライダー。
「大聖杯の元へといきます。連れて行って」
「――――サクラ、貴方はそれで良いのですか?」
そうして問うのは、長い間付き合ってきた相手だからであろうか。
ライダーは、逆らえないと知りながらも、桜にそう質問をしていた。
「仕方ないの、それに、私が我慢すれば、いいことだから――――」
それは、決して本心ではない。しかし、長い間の虐待とも呼べるべき過酷な行為は、桜の精神を蝕んでいたのだ。
ライダーは、それ以上何も言わない。互いのその姿は、共に傷だらけ。美しくも哀しい二人がそこに佇んでいた。
大聖杯の元、ライダーは桜と並び、侵入者を待っている。
この戦いで、侵入者を排除できれば、しばらくは桜には働かせないというふうに、臓硯は言っていた。
しかし、それが口約束でしかないということを、二人とも理解をしていた。
非常時になれば、駆り出され、普段の生活に戻れる事はないということも。
それでも、戦わなければ自由になれず、だからこそ、無駄な事とはしりつつも、桜は戦うことを決意していた。
ライダーは、傍らにいる、小柄な老人に視線を向ける。八つ裂きにしても無駄だと知りつつも、その欲求は日に日に強くなっていた。
「ほう、どうやら本当にここを嗅ぎつけてきたようじゃな」
老人の声に、視線を移す。丘の上より見える風景。まるで観光客のように、周囲に視線を配りながら、丘を登ってくる二つの影があった。
「よいか、英霊の方を押さえ込むのじゃ。あとは、アサシンが隙を見て止めを刺す」
老人の言葉に頷き、桜は一歩を踏み出した。朝が来るまで、そう時間はない。
夜明けまでに、弓道場へと帰って、何もないように日常に戻る。それが、今の彼女の願いだった――――。
桜の決意は簡単に揺るぐようなものではなかった。だが、
「え、桜、姉ちゃん――――?」
「ルー……君?」
つい最近、見知った相手。それも、子供のような相手がここにいるとは……思いもよらないものであった。
呆然とした表情で、ルーという少年を見る桜、少年の方も、呆気に取られたように、桜を見ている。
「良くここを嗅ぎつけたものじゃな、お若いのに大したものじゃて」
「いやいや、ご老体には及びませんよ。聖杯の管理者殿」
その言葉が合図であったかのように、ライダーが桜を庇うように前に出る。
「サクラ、さがってください!」
「あ、ちょっとまって、ライダー……」
いまだ、ショックから覚めやらぬサクラとは対照的に、ライダーは武器を構え、少年に向かい突進する――――!
少年は英霊ゆえの特性か、即座に虚空より槍を出すと、黒い英霊を迎え撃つ!
刃鳴りがこだまする。速さでは、他の英霊よりも抜き出ているライダー。
槍使いの少年は、先手を取られたせいか、その切っ先はライダーのそれに押されがちであった。
いや、それよりも何よりも、少年の視線は桜に向けられていた。困惑した様子で立ち尽くす桜。
その姿が、少年を戸惑わせていたのだ。
「桜ねーちゃん、この英霊のマスターなんだろ、だったら、戦うのをやめさせてよ!」
「え……?」
「オレ、桜ねーちゃんと戦いたくなんてないんだよ!」
ライダーの攻撃に押されながら、ランサーである少年、ルーフはそう叫ぶ。
その言葉に、桜は身じろぎをした。戦いたくない、戦わずにすめば、どんなにいいのか――――、
「ならぬぞ、桜。いかに知った相手とはいえ、ここへの侵入者は排除せねばならぬ。それは、お前も知っていよう?」
しかし、桜の表情を凍りつかせたのは、臓硯の一言だった。
稀代の魔術師、桜の祖父であるその老人の言葉に、桜は抗う事は出来なかった。
苦しそうにうつむき、少年から視線をそらす。その様子を見て、少年は怒りの視線を臓硯へと向けた。
「やい、ジジイ! 桜ねーちゃんに何てこと言うんだ!」
「ほっ、元気のいい童じゃの。じゃが、これは間桐の家のものの掟じゃよ」
大男と対峙しながら、老人は枯れた身体で笑い声を上げる。その不気味な笑いは、大聖杯の空間に融ける。
醜悪な腐敗。一体何人の命を犠牲にし、ここは成り立っていたのだろう。
聖杯戦争の裏側を渡る老人は、優越感に浸った声で、槍兵の少年に笑いかける。
「そもそも、主らにはどうする事も出来ぬよ。こと強さに関し、そこの蛇女に押されている程度ではな」
「くっ――――だあっ、エリン!!」
ライダーの猛攻を受けしのぎながら、ルーフは自らのマスター、時計塔の魔術師である、大男のエリンに叫ぶ。
「戒めを解けよっ! こんなダラダラした状況は嫌なんだよっ!」
「封戒か、いいのか、ルーフ?」
大男は、臓硯と対峙しているにも拘らず、身体ごと少年へと向き直って問う。
その瞬間、彼の周囲の地面が盛り上がった――――!
「何を狙っているのか知らぬが、させぬ!」
臓硯の言葉と共に、その地面から、無数の蟲が飛び出し、魔術師の身体に喰らい尽くそうとする!
しかし、蟲達は大男の身体に喰らいつくことなく、その身体をすり抜けた。
その身体は、虚像を編みこまれたもの……時計塔の魔術師は、小揺るぎもせず、その場に存在していた。
「ほう、じゃが、手は一つではないぞ?」
臓硯のその言葉が、合図のように、大聖杯の祭壇から染み出す影が一つ。臓硯のサーヴァントであるアサシンの姿。
その腕がはためき、長大な腕が姿を見せる。
『妄想心音』……その狙いは、ライダーと戦っている、槍兵の少年。
狙い違わず、その腕は伸び、少年の心臓を掴み取る!! ルーフの動きが止まった。心臓を握りつぶされれば、さしもの英霊も、絶命しかねない。
しかし、自らの英霊が心臓をつかまれた時点で、それでも大男の魔術師は、全く焦りもない。
「仕方ない、か」
特別な呪文も真言もない。ただ、そう命じたのは、まさにアサシンの右手が、その心臓を握りつぶしたその瞬間――――!!
「ウ、グァァァァーーーーーッ!!?」
悲鳴を上げたのは、アサシンのほう。妄想心音という宝具を持つその右手が、黒こげている。
ライダーは動きを止める。すさまじい魔力が、目の前の少年からあふれ出てきたのだ。
いや、その姿は最早、先ほどの姿ではない。根本的な魔力の変質。無理やり押さえ込んできたものが、元へと戻ってゆく。
そうして、形を作る、烈光――――光は形を持ち、高校生くらいの少年が、そこに存在していた。
手に持った槍だけが変わらず、それだけが少年の、名残をとどめていたが……その姿、その迫力は、まさに段違いであった。
少年は、隠れていたアサシンのほうを見る。その長く伸びた腕を見て、唇が楽しそうに曲がる。
「へぇ、そんな腕を持っていたんだ。でも――――」
「くっ」
身の危険を感じ、アサシンは大きく跳び退る。しかし、
「貫きし者」(ブリューナク)
ドズッ!
間合いなど、いかに離れていても無駄なように、少年の槍はアサシンの身体を貫いていた。
ライダーは、呆気に取られたように少年を見る。その腕、槍を持った右腕は、まさにアサシンの宝具のように、無制限の長さを見せる。
鞭のように伸びた腕は、なおも伸びる。アサシンの身体を貫通すると、その身体の裏手より……またも貫き、抜け、貫き、抜け、貫き――――!
「グァァァァァーーーーッ!!」
断末魔の声と共に、アサシンの身体が消失する。身体中を穴だらけにされ、絶命と共に、その姿を虚空にかき消す。
それと同時に、少年の腕は元の長さへと戻っていた。まさに、魔術のような技。それが『長腕のルーフ』の異名を持つ彼の能力。
「ば、馬鹿な……くっ!」
敗色を察したのだろう。臓硯は、慌てたように踵を返す。だが、
「貫きし者」(ブリューナク)
またも一閃。少年の腕が伸び、老人の頭部を貫いた――――!
その身体が、崩れる。無数に体を形成する蟲へと分かたれ、いずこかへと、もぐってゆく。
そうして、その場に残ったのは、桜と、ライダーのみ。
「さて、それじゃあ――――」
ふわっ、と少年の身体が動く。疾風すら凌駕するその速度で、ライダーの身体をすり抜け、桜の元へと到達する。
アサシンが倒れ、臓硯を討たれ、どうしていいか分からず、立ち尽くす桜。
「し、しまった――――!」
慌てて、桜の元に駆けつけようとするライダー。
呆然とした桜は、動かない。少年は、今にもその桜に――――。
「桜ねーさん、悪いけど、ちょっと我慢してね」
「え……?」
困惑する桜のその身体に、衝撃が走る。当身をその身に受け、桜はその場にくず折れる――――。
「サクラ!」
「邪魔だよ、君。これとでも遊んでいてよ」
桜の元に駆け寄ろうとしたライダーは、その声と共に、飛んできた物に足を止める。
虚空に浮かぶは、一振りの剣。装飾の施されたそれは、一種の儀礼武装――――。
「ダンシング・ソード!?」
叫んだその時には、その刃は喉もとへと飛んできた。ライダーは、それを、紙一重で交わそうとし――――、
ジャッ!
「つうっ!」
その腕を、浅く切り裂かれた。通り過ぎた刃が旋回し、皮膚を切り裂いたのである。
使い手のおらぬ剣ゆえ、その動きは従来のものとは大きくかけ離れていた。
とび来る刃を手に持った武器で防御するライダー。しかし、桜のほうに視線を向け、その表情が凍りついた。
うつ伏せに倒れた桜。少年はその傍らに跪くと、背中の部分、心臓のある部位に手を伸ばす。
「空想、心音――――」
その手が、ずぶりと桜の身体に沈み込む。桜の身体がびくんと跳ねた。
何をしているのか分からないが、少なくとも碌な事ではないと、ライダーは判断する――――!
「アァァァァーーーーーーッ!!」
「!」
一撃で、魔剣を弾き飛ばし、桜の元へと駆けるライダー。
その迫力に、少年は驚いたように飛び退る。ライダーは、桜を掻っ攫うように抱きとめると、その身を翻した。
その後を、魔剣が追跡する。刃鳴りと共に、桜を抱えたライダーの姿は遠ざかっていった。
「まいったなぁ……まだ完全に、治療していないのに……ねぇ?」
駆け去ってしまった方向を見ながら、少年は残念そうに呟き、手に持ったそれに声をかける。
小さな小さなその蟲――――桜の身体に巣くった間桐臓硯の本体は、必死に身をよじる。
「き、貴様、一体……何者なのだ? あの娘の心臓に傷一つつけず、この濃をとりだすなど――――」
「さぁ、何者だと思う?」
「お主――――いや、貴方様は、まさか」
グシャッ!
何かに気づいたその言葉は、最後まで言う事かなわず――――あっけなく、握りつぶされる。
それが、聖杯の管理者であった老人の、最後であった。
「終わったか」
「うん。しかし、まいったなぁ……桜ねーさんの治療も中途半端だし、結局、この姿になっちゃったし」
エリンの掛けた声に、残念そうに、自らのマスターに返事し、肩をすくめる少年。
「ともかく、なってしまったものは、しょうがないだろう。それに、なったらなったで、楽しむ方法はある」
「え、なになに?」
先ほどの惨状を、引き起こしたとは到底思えない……無邪気な表情。
しかし、その魔力量は半端ではなかった。現存する英霊が束になっても、到底かなわないほどの魔力量――――。
口ぶりや仕草からは、そうは見えないが、少年はアルスター神話に登場する、神の一人であった。
長腕のルーフ……またの名を、光の神・ルーといった。
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