〜Fate GoldenMoon〜
〜Another Seven Day〜
家路に帰る人の群れ。その流れに乗るように、俺とイリヤも深山町へ帰るバスの停留所に足を向けた。
バス停には、数人の先客がいた。
コートを着た長身の男性、サラリーマン風の男の人、買い物帰りの主婦の順番で、バスを待っていた。
俺とイリヤは、その後方に並んだ。
「あら、かわいらしいお嬢ちゃんね。今日は、お兄ちゃんとお買い物に来たの?」
「はぁ、まぁ、そんなところです」
イリヤの見た目が珍しいのか、目を輝かせて話しかけてくる女の人に、俺はあいまいに返事を返した。
しかし、その返答が、イリヤは不満だったのだろう。すねた様子で、組んだ俺の腕にさらに強めに組みなおした。
「?」
「それはそうと、今日は人の引きが早いですね。やっぱり、今日のニュースのせいですかね」
女の人が怪訝そうな表情を見せたので、俺はさりげなく、話題を変えることにした。
今日のニュースは、大勢の人が見ていたのだろう。女の人も、その話題に敏感に乗ってきた。
「そうね、やっぱりそうなんでしょ。私の勤めているところも、今日から早めに仕事を切り上げることになってね」
話を聞く限り、新都に出ている店の大半は、すでにこの時間には、店を閉め始めているらしい。
さすがに、店内での大量殺人のニュースの翌日も、普通に営業というわけには行かないようだ。
「そういうわけだから、今日は早めに帰って、ご馳走を作ることにしてるの。あの人もたまには、豪華な料理も食べたいでしょうから」
口調からすると、どうも新婚さんらしい。幸せそうな笑顔は、見ているこっちまで幸せになりそうな、そんなほんわかしたものだった。
そうして、通りの向こうにバスが見え、近づいてきたとき――――それは、起こった。
「う――――ぐぁ――――」
さっきまで、にこやかに話をしていた女の人が、突然胸を抑え、地面に崩れ落ちたのだ。
「ちょっ、大丈夫ですか!?」
胸を押さえ、もだえる女の人に、声をかけるが反応が無い。イリヤも不安そうに女の人を見ている。
呆然と見ることしか出来ない俺達に代わり、女の人を抱き起こしたのは、前に並んでいたサラリーマンの男性だった。
「おい、しっかりしろ……!」
「ぅ――――ぁ――――」
パシパシと強めに頬をたたくが、女の人はまるで薬でも打ったかのような、酩酊状態に陥っていた。
男の人は、しばらくそんな事を繰り返していたが、やがて、救急車を呼ぶと言う結論に至ったようだ。
そうして、そのサラリーマンの人が、携帯電話を取りだそうとした、その時。
……ありえない音が、起こった。
「な……」
「ぇ……」
「カ――――ヒ――――」
空気の漏れるような、声にならない声。それを発したのは、さっきまで悶えていた女の人。
目は、空ろな碧眼。とろんとしたその視線の先には、呆然としながら、喉元を切り裂かれ、血飛沫を上げるサラリーマン。
女の人の手刀が、サラリーマンの男の喉元を切り裂いたのだ。
「っ……きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
その叫び声をあげたのは、イリヤかはたまた、周囲にたむろしていた別の女性か。
助かったのは、その叫び声で、俺は我に返れたということだけ。
イリヤを抱えたまま、全力で後方へと飛ぶ――――!
瞬間、さっきまで自分の喉があった付近に、カマイタチのような早さの手刀が通り過ぎる。
幽鬼のような表情で、ゆらりと立つ女性。そうして、もう一つ、ゆらりと立ち上がった影があった。
「な――――」
喉を切り裂かれたサラリーマン。そのサラリーマンも、喉から血を流しながら、ゆらりと立ち上がった。
二つの人影に共通する点は、碧眼の目。青い色に染まった彼らは。
『――――――――』
まるで、狂ったような、声なき声をあげた。
俺は、さらに間合いを離す。周囲は静かに、しかし重い空気に包まれる。
本能が告げている。あれは、やばい。あれは、衛宮士郎の手に負えるものじゃない、と。
かつて、せいバーとともに修行した、生きるための本能が、冷酷にもそう告げている。
しかし、俺のそばには、イリヤがいる。遠巻きに見ている観衆もいる。
ここで、逃げるわけにはいかなかった。
「イリヤ、ここは俺が食い止める。時間を稼ぐから、何とか遠坂と連絡をとってくれ」
「うん、分かったわ」
頷くイリヤの腕を放し、俺は二つの狂った人の前に、立ちふさがろうとし――――
「あ、シロウ」
「え?」
踏み出しかけたその瞬間、イリヤに声をかけられ、俺は思わず、イリヤの方に視線を移し、
――――赤い、瞳に取り込まれた。
まるで、白昼夢のようだった。
イリヤを抱え、その場から逃げ去る俺。その背後で、狂った者たちが、パニックになった民衆に襲い掛かっていた。
背後の光景など、見えないはずなのに、その光景が、流れてくる絶叫の声が、鮮明に感じ取れるようだった……。
気がつくと、俺とイリヤは中央公園にいた。
普段から人の賑わいの少ないこの公園は、今の自分、誰一人としてそこにはいなかった。
「気がついた?」
悲しそうな、イリヤの声。ハッと我にかえると、イリヤの手を取って立っている自分がいるのに気がついた。
同時に、何が起こったのかも、全て察することが出来た。
「イリヤ、お前――――!」
「ごめんなさい……」
怒鳴ってしまいそうな声は、イリヤのその表情を見て、喉の途中でつっかえてしまった。
イリヤ自身も、決して望んでの逃げじゃなかったのだろう。
「だけど、何で、何であんなことをしたんだ!」
あの場から逃げることで、おそらくは数十名の犠牲者がでただろう。
なぜあの時、魔術を使ってまで俺の行動を抑止したのか、イリヤの本心がつかめなかった。
「ひょっとしたら、逃げれるかもって思ったの」
「?」
「あれは、私達の手に負える相手じゃないわ。だから、ともかく逃げることにしたの」
怪訝そうな俺の表情に、イリヤはしょんぼりとした表情で返す。
それは、自分の精一杯の考えが、所詮浅知恵でしかなかったと理解した、子供の顔だった……。
「おそらくは、橋さえ渡れば、相手もそれ以上負ってこないと思ったの。でも、やっぱり甘かった」
周囲に視線をめぐらすイリヤ。つられて俺も、周囲を見て、総毛だった。
遠めに見える、数十の人影。フラフラとしたその足取りは、まさしく亡者の群れ。
それは、周囲の全方向から、俺達を包囲するように近づいてきた。
「相手が、普通じゃないって分かってるんだから、いくら逃げても無駄なのにね……」
「っ、ともかく、ここじゃ分が悪い! 囲まれないところで迎え撃つぞ!」
自嘲するイリヤを引きずるように、俺は、公園の中に植えられた、木々の林へと足を踏み入れた。
木々の中で、もっとも大きな木を背に、イリヤをかばうように立つ。背後から襲われることは避けたかった。
続いて、落ちている木の枝を拾い、強化の魔術をかける。
体内の魔術回路を開き、最速で木の枝を、鉄の棒並みに強化する。
ともかく、これが現時点での最良の行動だろう。逃げると言う選択肢が無い以上、戦うしかなかった。
周囲を見ると、乱立する木々を縫うように、数体の人影がこちらに向かってにじり寄ってくるのが見えた。
俺は深呼吸を一つし、即席の模擬刀を構える。
「――――――――」
声なき声をあげ、亡者の一人が襲い掛かってくる。
その一撃を避け、がら空きになったわき腹を叩き打つ! はじけとんだ亡者は、地面を二転三転し、動かなくなる。
死んだのか、気絶したのか分からないが、それを確認する余裕は無かった。
すぐさま、次の亡者が襲い掛かってくる!!
「――――――――」
「くっ、はぁっ!」
大振りの攻撃を避け、がら空きの脇腹に一撃!
同じように二転三転し、動かなくなる。その様子を見て、俺はいける、と内心で思った。
敵の数は多いものの、同士討ちを避けるためか、一体ずつしか襲ってこない。
それに、動きは単調で、落ち着いて見切りさえすれば、なんてことは無い相手だった。
そう、油断したのがいけなかったのだろう。
だからこそ……
「――――――――」
「!」
次の相手のとき、そのわずかな揺らぎが致命傷になりえたのは。
『そういうわけだから、今日は早めに帰って、ご馳走を作ることにしてるの。あの人もたまには、豪華な料理も食べたいでしょうから』
駅前で話しただけの相手。幸せそうな顔の女の人は、今はその表情を見せることも無く、空ろな表情で襲い掛かってくる!
その大振りの一撃をかわし、まったく同じタイミングで、脇腹に一撃を――――!
ガシッ!!
「っ、なっ!?」
油断もあった。相手が、女の人と言うこともあり、思わず手加減をしていたのかもしれない。
てっきり、知識なんて持たないと思っていた、正体をなくした相手。だが、まるで見切ったように、もう一本の腕で、模擬刀は掴み取られていた。
無表情だった女の人の顔に、残忍な笑みが浮かぶ。
「あ――――」
すさまじい力で、強化した木の棒はもぎ取られ、遠くへ投げ捨てられる。
なすすべが、無い。周囲はすでに、亡者達の十重二十重の包囲網。
武器は無く、作ったところで通用するとも思えない。
「――――――――」
咆哮をあげ、狂いし亡者の腕が伸びる。狙いは正確、俺の喉。
先ほどまで、スローモーションに見えたその攻撃は、決して見えなくは無かった。
しかし、身体が重い。集中を欠いた身体は、その攻撃をよける機能を果たすことも出来ず。
だから、なすすべなく、その腕が喉に迫るのを、見ることしか出来なかった。
「シロウ――――――――っ!!」
イリヤの叫びが遠くに聞こえ、亡者の笑い声がこだまする。
数時間にも感じる数秒。絶望が周囲を支配するその一瞬。
だが、まさにその時、木々をすり抜け、飛び出でた旋風が、敵の体を弾き飛ばした――――!
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