〜Fate A Bond of Bluish Purple〜 

〜漆黒の外套〜




「アーチャー……?」

月明かりの下、夏の風にさらされて、黒衣の外套が翻る。ランサーの槍をはじき、ジャネットを救った青年。
その手には、愛用の武器である、黒白の双刀が握られている。見覚えのある長身。それは――――、

「――――シロウ?」
「えっ?」

傍で聞こえてきた怪訝そうな声に、私は声を発したイリヤを見て、もう一度、そちらへと視線を移す。
その身に纏うは、漆黒の衣、どこか、幼さを残した顔立ちに、私の中で様々な事象がまとまり出す。
衛宮士郎、彼は――――、

「投影技法の試行に成功。大聖杯の核からの要請。行動原理に基づき、行動します」
「――――? 何だ、お前――――」

衛宮君なのか、アーチャーなのか、遠目には今ひとつはっきりしないその青年。
次の瞬間、彼は――――いや、それは、目を疑うような行動に移ったのである。
彼の身体から、何か、黒いものが飛び出すと、ランサーの身体を飲み込んだ――――いや、飲み込んだかに見えた。

「くっ……!? 何だ、こいつは……」

ランサーは、間一髪、それを飛び退ってかわしていた。その表情には、驚愕の色が見え隠れしていた。
シュウシュウ……という焦げるような音と臭いと共に、黒っぽいものは広々と地面に広がっている。

「ちっ……」

ランサーは一瞬、槍を構えようとして……思い直したのか、抵抗するのを断念したようだった。
得体の知れない相手を気味悪く感じたのだろう。槍をしまうと、地を蹴り、公園内から離脱していった。
その場に残ったのは、私とイリヤ、ジャネット。大騒ぎにも拘らず気絶している二人組みと、黒衣の青年だけだった。

「助かった、って言えるかしら……?」

半信半疑でつぶやいたのは、黒衣の青年がこっちに歩いてきたからだった。
その手には、アーチャーが持っていた、白と黒の夫婦剣。半年前に出会ったあの時の格好と瓜二つの装い。
でも、近づいてくるたびに、それがアーチャーでないことが分かった。そして、彼は衛宮君でもない――――。
強いていえば、衛宮君よりになるのだろうか、精悍な顔つきの青年は、衛宮君の数年後……その姿を映した虚像のようにも見えた。

「標的の一人、遠坂凛と確認。収拾の為――――」
「おい、貴様、いったい何者だ!」

私とイリヤの前に歩み寄り、何事かつぶやく青年。その時、こちらへと駆け寄ってきたジャネットが、青年の肩に手をかけた。
私に危害が加えられるのを恐れたのだろう。だが、次の瞬間、驚いたようにジャネットは青年から手を離した。

「熱っ……!?」

まるで熱したヤカンに触れた時のようなリアクションを取りながら、ジャネットは驚いたように青年を見る。
青年はというと、ジャネットの事に気づいたのか、ゆっくりと彼女のほうに向き直った。その表情は仏頂面で、何を考えているのか、理解ができない。

「英霊による妨害と認定。破壊か吸収か……指示を求む」

その言葉は何処までも冷酷であり、まさに目の前の存在を、いつでも踏み潰せる、蟻程度にしか認識していないようだった。
先ほどの、得体の知れない攻撃が来ることを予測したのか、ジャネットは身構えながら、その青年から身を離す。
止めようにも、いったいどうすれば良いのか……少なくとも、目の前の英霊は、ランサーと互角以上の強さを持っていることが明白だったからだ。
――――しかし、私の葛藤は杞憂に終わることになる。何かを聞くように目を閉じていた青年の表情が、急に変貌したのだ。浮かべるそれは――――苦悶。

「了解、破壊を――――攻撃の中止を受信…………出来なければ、吸収……攻撃の中止を――――吸収…………攻…………破…………壊」
「――――なんだ、いったい!?」

様子のおかしい青年の様子に、武器を構えたまま,ジャネットも、どうしたものかと、手を出せずにいる。
イリヤはというと、私の後ろに隠れたままで、興味深そうに青年を見定めている。私は、いかなる状況でも即座に動けるように警戒し――――次の瞬間。

「お、ごぉ……」

ざぁ……と砂で出来た人形が崩れるように、文字通り、青年は根底から崩れだしたのである。
体の中には内臓などは無く、砕けた欠片は全て、純粋な黒い異物――――それは数秒とかからず、地面へと水溜りのようにたゆたい……そして、地面へと鎔け消えたのだった。

「…………消えた?」

私は、青年の消えた辺りに屈み、地面を覗き込む。しかし、そこには何もない。
意を決して手を触れてみるが、それで何かが分かったわけでもなかった。私は立ち上がると、先ほど、ランサーが青年の攻撃を避けた辺りに行ってみる。
そこは、妙な形に地面がえぐれている。アスファルトが溶け、削られているようだった……それだけである。

「逃げたのか、見逃してもらえたのか……ともかく、手がかりになるような物も無さそうね」

私はため息をつき、周囲を見渡した。奇妙な緊張と、夏にはそぐわない寒気に支配されていたこの場所。
しかし、今は夏のけだるい空気と、橋の向こうから流れる新都の喧騒が海浜公園を包みだしていた。

「マスター……周囲にはもう、敵は居ないようですが、これからどうしますか?」

騎士の姿の上に、魔術師の法衣に身を包んだジャネットが、私に声をかけてくる。時間的には先ほどの戦闘から大して時間は経っていない。
しかし、これから夜の探索を続行しようかどうか、私は判断がつきかねた。

衛宮君の探索を優先したい気持ちもあるが、先ほどの戦闘で分かったことがある。私達は、有り体に言って弱いのだ。
もちろん、常識的な強さとは別物で言っているのだが……ランサーただ一人に苦戦するようでは、この先の捜査も心もとないと思う。
聖杯戦争はすでに始まっている……出来れば半年前の衛宮君のように、手を組める相手が欲しいところだった。

「ちょっと、リン」
「……ん、どうしたの、イリヤ」

考え込んでいたその時である。くいくいと袖が引っ張られる方を向くと、そこにはイリヤがいた。
表情を見る限り、なにやら不服そうである。いったい何が不満だというんだろうか。

「どうしたの、じゃないわよ。そこに転がってる二人組、捉えるなり何なりしないと、目を覚まされちゃうわよ」
「…………ぁぁ」

言われて、私はようやくその事に気が付いた。まったく、肝心なことを忘れてるなんて、我ながら情けない。
確かに、ランサーとの遭遇や、見知らぬ黒い青年との出会いは印象が強かったが、だからって、二人組の事を忘れていい道理はない。
イリヤが怒っているのは、魔術師として、冷静さ沈着さを欠いている事に対する、同種としての不満なのだろう。

「ごめんごめん、忘れてたわ」
「まったく、しっかりしてよね。シロウが居ない間、リンが頼りなんだから」

怒ったようにそう言うと、イリヤは転がっている二人組のほうへ歩いていった。
――――ひょっとして、今のって……ちょっとは心配してくれたのかしら。内心でむずがゆい思いを抱きながら、私もイリヤの後を追う。
その二人組は、抱き合って地面に転がっていた。いや、正確に言うと、小柄な少女が、もっと小柄な少年を庇うように、抱きしめていたのだけど。

私たちが近寄っても、二人組は反応を示さない。少女の紫色の髪が月明かりにわずかに反射し、瞳に眩しさを感じたくらいだった。

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