〜Fate A Bond of Bluish Purple〜 

〜衛宮邸の午後〜



地面をたたく轟音が止む――――薄暗い雲の蔽い、雨の幕が上がった後には、晴れ晴れとした青空が顔をのぞかせる。
先ほどまで一面の白に支配されていた空は、数分後には青色に入れ替わり、夏の日差しが、雨を吸ったアスファルトに照り返す。

「ふぅ……鬱陶しい雨がなくなったのは良いけど、今度はまた、暑くなってくるから始末に終えないわ」

さす必要がなくなった傘をたたみ、私は青空を見上げ、一息をつく。セミの喧しい鳴き声が再開され、町はにわかに夏の活気を取り戻したようだ。
じりじりじり……肌を焼くほどの強さの陽光。別に日焼けにはこだわらないけど、このままこの場所で日射病になるつもりは無い。

「ま――――どうしようもない暑さに対して、愚痴を言ってもしょうがないか。ジャネット、行きましょう」
「はい、マスター」

傍らで姿を消したままのジャネットを連れて、私はアスファルトに舗装された道を歩く。
じー、じ、みんみんみん……季節柄、騒々しいセミの鳴き声を耳にしながら、ほんの少し足取りも軽く、私は衛宮君の家に向かった。



古めかしい門扉、古風な木造の屋敷――――私の住んでいる所とは趣が異なる屋敷は、雲の抜けた青空の下、いつもと変わらぬ様子で佇んでいた。
開け放たれた門を通り、玄関へと続く中庭に出る。なんの気無しに視線をめぐらして、私は眉をひそめた。

「あれ……? 洗濯物、出しっぱなしだったのかしら」

未だ雨の匂いの残る中庭の一角――――濡れた地面の広がる一角に、洗濯物を干すスペースがあった。
屋敷にお泊りした朝方に、家政夫よろしく、甲斐甲斐しく洗濯物を干す衛宮君の姿を見たこともある。
夏の日差しが、再び降り注ぎ始めた場所……コンクリートの土台と、古めかしい物干し台――――そこには洗濯物が、野ざらしで放置されたままだった。

遠目に見ても、掛けられた洗濯物は雨を吸って、しおしおになってしまっているのが分かる。
あれじゃあまた、洗濯をやり直さないといけないだろう。しかし、衛宮君がこういったミスをやらかすとは少々意外だった。

「魔術に関してならともかく、家事については、万事抜かりないと思ってたけど」

内心で小首をかしげながら、私は玄関に佇み、呼び鈴を鳴らす。そのまま数分待つが、扉が開くことはなかった。
何度かそれを繰り返すが、扉は開く気配がなく、私はふと何の気無しに、引き戸に手を掛けて――――あっさりと、扉は開いた。
どうやら、最初っから鍵は掛かっていなかったらしい。熱気のこもった玄関にあがり、私は眉を顰めに周囲を見渡した。

「誰も、いないのかしら……ジャネット、調べてみて」
「はい、少々お待ちを……」

さすがにただならないような気配を察したのか、私の言葉にジャネットは霊体から実体に戻ると、黙祷をするように数秒目を閉じる。
そして、すぐに目を開けると、検索を終えた結果を、私に報告してきた。

「確認しました。いつも、私たちが集っている部屋に、何者かがいるようです。ですが――――」

そこで、ジャネットはなぜか口ごもった。その仕草に妙な不安を感じた私は、靴を脱ぐのももどかしく、玄関を上がり、居間に向かう。
廊下を歩き、居間にたどり着いた私は、言葉もなく立ち尽くした。そこには――――うつ伏せに倒れたイリヤの姿。

「ちょっと、どうしたの、イリヤ!?」
「う……」

小柄な身体を抱き上げると、汗に濡れた小柄な身体は、つらそうに身じろぎする。
いったいどうしたのか……言いようのない不安が胸を占める中、私に抱きかかえられたイリヤは、うっすらと目を開けると……

「暑い、ひもじい、おなかすいた……」
「――――へ?」

可愛らしい口から、ずいぶんと間抜けなことを言ったのであった。



ずるずるずる……即席で作った素麺が、見る見るイリヤの口に飲み込まれる。
よほどお腹が空いたのか、まるで藤村先生ばりに、たくさんの素麺を飲み込むイリヤの姿。
私は半ばあきれながら、頬杖をつき、イリヤの対面に座りながらその様子を見つめていた。
ちなみにジャネットは、イリヤの隣でうちわを持ち、パタパタと彼女の顔を仰いでいる。

「はーっ、おなかいっぱいっ、ごちそうさま」
「う」

箸をおき、満ち足りた笑顔でイリヤが笑う。なんというか、愛玩動物に餌をあげる気持ちって、こんなのだろうなーなどと思ってしまった。
キラキラした表情のイリヤは、それはそれは可愛らしかったが、かといってずっと見とれているわけにもいかない。

「…………それで、いったいどういうことなの、イリヤ。どうして倒れていたのよ」

まったく見えない状況を解明しようと、ともかくイリヤに質問してみた。
だが、イリヤはというと、小首をかしげ、んー、と考え込むと、しばらくてポツリと言葉を漏らした。

「どうして、っていっても……お昼を回ってもシロウは帰ってこないし、お腹へって、暑いし……しょうがないから、横になってたのよ」
「士郎が戻ってこないのは兎も角……冷蔵庫には結構、色々な物があったけど」
「だって……料理なんてしたことないもん」

ぅ〜、と拗ねるイリヤ。生活能力無いのは、さすがにどうかと思うけど……ま、衛宮君がいれば、そんな心配は必要ないものね。
しかし、そうすると……衛宮君はどうして戻ってこないんだろうか。何か、妙なトラブルに巻き込まれてなきゃ良いけど。

「……そういえば、金ぴかはどうしたの? いつもは扇風機の前に陣取ってるのに」

ふと気になったのは、衛宮君の英霊。あのいつも不遜な金ぴかの英霊の姿が見当たらないのに、いまさら思いあたり、イリヤに聞いてみる。
しかし、満腹感で満ち足りているのか、半分とろけそうな表情のイリヤは、傍らのジャネットに寄りかかりながら、そっけなく応じる。

「知らないわよ……気づいたら、いなくなってたし……ふぁ」

ころん、と横になると、イリヤはジャネットの膝に頭を乗っけると、そのまま寝入ってしまった。
昼寝をした影響か、まだ眠気が残っているのだろう。穏やかに寝るイリヤを、膝枕をすることになってしまったジャネットは、困惑した様子で見下ろしていた。

「さて、洗濯物を洗いなおして、干しなおすとしますか」

独り言ちて、私は立ち上がる。まだ昼間のこの時分、夏の日が高いこの時期なら、今から洗濯しなおしても、夜には取り込めるだろう。
いつも気が向いたとき、泊めてもらうのだ。これくらいの事をしても借りを返すことにはならないけど。
…………ま、衛宮君が帰ってきたとき、どういう言葉を掛けてくれるかは、少し楽しみなので、思い立ったことを実行することにした。

「あ、マスター、私も……」
「ジャネットはじっとしてなさい。せっかく寝入ってるんだもの。寝る子は起こすものじゃないでしょ」

私の後を追って、立ち上がろうとしたジャネットは、私の言葉に困ったように硬直した。
膝の上にイリヤの頭を乗せたままで、どうしたものかという顔をするジャネット。寝入ったイリヤともども、扇風機の風に当たるようにして、私は居間から出る。
靴を持ってきて、縁側から中庭に降りる。空は気持ちの良いほど晴れ渡っており、降り注ぐ日差しは、眩暈がするほど強かった。

さて、ぱっぱと済ませちゃいましょうか。背中にジャネットの視線を感じながら、私は大きく伸びをする。
太陽はまだまだ高い。しおしおになった洗濯物に手を掛けながら、知らず知らず、鼻歌がもれる。
そうして夏の昼下がりはゆったりと、表面上は過ぎ去っていったのである。

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