The Love song for the second week..
〜11月〜
〜何時かの情景〜
麗らかな午睡、何も考えず、ぐっすりと寝入る時間。
ああ、これを至福の時といわずして、何を幸せというのだろうか。
ここ最近は、身体を構成する精気も順調に巡回しており、心労なく、身を休めることができる。
そういうわけで、私は本当に久々に、ゆったりとした午睡を楽しんでいたのだが……
『魔技工学における、巡回行動と精霊維持原理において』
「…………ん?」
『そもそも、異世界の存在についての研究は、わが国の――――そこで、小麦粉を300g』
「な、何だ、これは?」
唐突に、私の潜むそこに、情報の粒子が流れ込んできた、いや、情報というには程遠い、それは雑多なもの。
『炎と水の精霊の、同一移送による問題点については述べたとおり』
『小麦粉と卵を交互にまぶした後、熱した油で上げ』
『かつて、この世界を席巻した、ある英雄についての物語は資料を』
『だから、何でそういう話になるのか理解に苦しむ』
『コーヒーは、ミルクを一滴たらして、風味を楽しみながら』
『熱々のご飯の上に、揚げ物と卵を載せていただきます』
『いったい、何を考えているのか彼は、その表情はとてもまじめで』
『可能性の示唆、ありえないありえないありえない』
「ええいっ、かしましい、何だこれは!? おい、何をしている?」
寄り代である、少女に声を掛けるも、返事はない。私は怪訝に思い、意識を外界へと向けた――――。
〜11月21日(日)〜
暗い部屋…………すでに外は闇に覆われる夜半、電気もつけず、私が寄り代の少女は、寝床に転がっていた。
「はぁ……」
漏れるのは、ため息と、それ以外の何か。その娘、陽子はベッドに寝転がったまま、動かない。
余所行きの服を寝巻きに着替えることもなく、ともすればそのまま寝入ってしまいそうな、そんな状態。
「まったく、さっきからため息をついてばかりじゃの、御主は」
「ため息の一つもつきたくなるわよ……弓瑠、あれってやっぱり、私のことなのよね」
「……さてな」
確認するようなその言葉は、いつもの颯爽としたものではなく、どこか暗く、落ち込んだもの。
異常を察し、表面に出てきたとき、私の見た光景は、陽子があの小童に拒絶の言葉を投げかける場面。
あの時のカイトという子供の表情を見る感じでは、あながち、間違いではないと思うのだが……。
「それにしても、解せぬな。懸想して拒絶されたのならともかく、言い寄られたのを拒んだくらいで、何をそんなに落ち込んでいるのだ?」
「だって、明日からどんな顔で彼と話せばいいのよ。クラスが一緒だから、明日からも、顔をつき合わさなきゃ行けないし」
まいったなぁ……と、言葉にならず、その唇が動く。
その様子は、心底困りきった様子であり、私としては、何を悩んでいるのか理解に苦しんだ。
「要は、あの小童の事が嫌いなのであろう? だとしたら、無視すればよいだけのことではないか」
「――――嫌いじゃないわよ、別に」
「ぬ?」
ぽつりと言った言葉の中に、不思議と穏やかな音(イン)を感じ、私は眉根を寄せる。
さっきまで落ち込んでいたはずなのに、小童のことを考えているときは、どこかその表情は明るく見えた。
…………正直、訳がわからない。
「でも、相羽君はミュウの彼氏だし、ミュウは私の親友だもの、受け入れるわけないじゃないの」
「…………だがな」
「ああ、何も言わなくていいわ……とにかくもう、寝ちゃうから。明日も授業はあるんだ……し」
すでに時間は夜半過ぎ。目も耳も心も塞ぎ、陽子はそのまま眠りに落ちてしまった。
……さて、どうするか。この件に関しては、私は関わりのないこと。
それ故に、むやみに首を突っ込むことはしないほうが、良いように思われるのだが――――
「……まぁ、気になったものは、是非もなし、といったところかの」
昔からの知人に、止めろ止めろといわれ続けた、お節介癖――――それが頭をもたげてきた。
結局、私は彼女の悩む理由、本心について探ってみることにしたのである。
『検索コード実行――――パスコード、Arrow Lapis』
陽子の心層世界の中に漂っている、私の思考体を組み上げ、検索をするための礎体を組み上げる。
白磁の肌に、瑠璃色の瞳、私の属する天楼の白髪――――出来た身体は、陽子と同い年くらいの少女のものであった。
「ふむ、出来は悪くないな」
首をめぐらせ、手を二、三度開閉――――末端にまで神経が行き渡っていることを確認し、私は頷く。
そしてそれから、私はこの世界の深遠部へと『歩いて』いくことにした。
上下左右の概念などなく、だだっ広い宇宙のような空間で、動くには自らの感覚に頼るのが一番である。
そうして、私は彼女の『記憶』(ログ)を探して歩き出した。
陽子の過去、彼女が何に悩み、戸惑っているのか、その理由を知るために……。
世界、時間、空間すら超越し、さまざまな物語の情報を知りえる一族というものが居る。
天の楼閣を律し、操ることによって物語の不文律すら知り得ることの出来る、天楼の一族。
斬魔の補佐者たる天楼とは、呼び名は同じでも、似て非なるもの――――世界の救済者でなく、世界の傍観者。
そういったものに属するため、割と容易に、情報を収集することが出来たのではあるが……。
「うーむ……ものの見事に、平々穏々な記録じゃな」
彼女の生誕から現在にいたるまで、現実、彼岸、回離の世界より取り出した情報を並べ、私は嘆息した。
引き出した情報を読み返しても、過去に大きな事件は見当たらない。
恋愛に対するトラウマもなければ、異性がらみの事件もない……最も、ここ最近の情報は、あの小童のことが大半ではあったが。
「もしかして、どこかで見落としをしたのか?」
私らしくないのだが、ひょっとしたら、陽子に気兼ねしていたのかもしれない。
人の過去を除く行為は、別段、罪悪感を感じたことはない……だが、陽子がこのことを知ったら、さすがに怒ることは理解していた。
だが、始めてしまったものを途中で放り出すわけにも行かず、私は二度目の潜行を開始することにした――――。
〜11月22日(月)〜
キーンコーン……
「おはよ〜」
「はよ」
週の明けての月曜。学び舎の教室に、生徒達が集まり始めている。
結局、あまり寝付けなかった陽子は、自らの席に座りながら、机に片肘をたて、その手に顎を乗せるポーズで、何をするでもなくボー、としていた。
「おはよ、陽子。なんか、元気ないみたいだけど、どうしたの?」
手をヒラヒラさせて、クラスメートの少女が陽子に声をかける。
それに対し、陽子はおはよう、と返事をしたものの、どこか上の空で、また物思いにふけってしまった。
その様子に、一瞬、怪訝そうな表情を見せたものの、その友人はそれ以上問い詰めることなく、自らの席に戻っていった。
「ふぅ……」
誰にも聞こえないほどに、小さく息をつき、陽子は教室を見渡す。
始業前の雑多な声、それぞれが集まって騒いでいるその場を見渡し、陽子はまた、視線を戻した。
「…………休みなら、それはそれでいいんだけど」
その呟きは、何に対して、誰に対して言ったものか――――、
「あ。おはよう、カイト君」
「ああ、おはよう、ミュウ」
その声を聞いたとき、陽子の心拍数が僅かながらに上がった。
彼女は、それでも動くことなく、自らの席でじっとしている。すると、頭上が不意に翳った。
見上げる陽子の瞳。そこには、何か言いたそうに、彼女の席の隣に立って、彼女のことを見つめるカイトの姿があった。
「いいんちょ……」
「――――おはよう、相羽君」
いつも通りの笑みで、陽子はカイトにそう、朝のあいさつをする。その様子に、カイトという小童は眉をひそめ……、
ただ、何を言っても無駄だということは悟ったらしい。カイトは険しい表情のまま、自らの席に戻っていった。
「――――はぁ……」
そうして、カイトが離れた後、陽子は再び、誰にも聞こえぬように、そっとため息を漏らした。
変わらぬ外見とは裏腹に、その心臓は早鐘を打ち、心は千路の迷路に迷い込んだかのように乱れているのが、私には理解できた。
キーンコーン……カーンコーン……
…………その日の放課後、陽子は学び舎の端にある、本の棚が並べられた部屋を訪れていた。
平日の放課後ということもあってか、図書室と呼ばれるその部屋には、人気がない。
「ええと、レポートに使える資料っていうと、どのあたりかしら?」
閑散とした部屋の中を、陽子は歩く。どうやら、自習用の資料を探しているようだ。
陽子の生活に関わるようになって、しばしの時を経過し、気づいたが……彼女は、傍から見るほど余裕のある生活を送っているわけではなかった。
平日は夜遅くまで、勉強をし、休日も時間があれば身体能力の向上や、魔術・神術の補修を行っている。
最近では、あのカイトという小童に付き合って、あちこちに出歩いたり、遊びに行ったりすることもある。
しかし、彼女の過去の記録をたどってみても、彼女が誰かと遊びに行ったり、息抜きしているような記憶は、ほとんどなかった。
…………まるで、そういったものと意図的に関わりを持たないようにしているかのように。
「ん…………これと、あとは――――」
手に本を持って、所在無くあちこちの本棚を見て回る陽子。目的の本が見つかったのか、その手が本棚に伸びた、その時である。
不意に、陽子の背後から手が伸びて、その肩をつかんだ。
「!?」
驚き、振り向いたその瞬間、陽子は、その腕に押され、背中から本棚に押し付けられた。
一瞬、苦しそうに、息を詰まらせる陽子。そうして、彼女は怪訝そうな表情で、唇を動かす。
「っ――――相羽、君?」
その視線の先には、陽子の見知った相手。どこか苛立った表情の小童が、陽子の肩を掴みながら、そこに立っていた。
「どうしたの、なんだか、怖いけど」
「…………なんで、そんな風に笑えるんだよ」
「え?」
取り繕うように笑みを浮かべていた陽子だったが、カイトのその言葉に、虚を突かれたように、呆けた表情になる。
しかし、陽子の反応にも気が回らないのか、カイトは、傷ついた表情で言葉を続ける。
「俺のことなんて、どうだっていいってのか、気にするほどじゃないって――――!」
「それは、違うわ。だけど……」
どこか気後れした陽子の言葉が、とまる。止められた――――その唇に、カイトの唇が重なり、動きを封じる。
陽子は、目を見開いたまま、動かない。その目はじっと、彼を見つめたまま……そうして、刹那とも思える数秒の触れ合いの後、体が離れる。
「…………落ち着いたかしら、ミュウには黙っておくから、悪ふざけはこのくらいにしておきなさい」
「悪ふざけって、俺はそんなつもりじゃ……」
「じゃあ、どういうつもりだって言うの? あなたにはミュウが居るんだし、私は親友の幸せを奪うつもりは無いわ」
さすがに笑みを消して、それでも陽子は、気丈にカイトにそう声をかける。
再び、鼓動の早くなった心臓を抑え、乱れ始める心を無視し、彼女はそうあり続けようとした。だが、
「ミュウのことは関係無いだろっ……委員長! 俺のことが嫌いなら、そう言ってくれ!」
「!」
その言葉に、陽子は動きを止めた。瞬間、意識は考える事を放棄し、感情を制御する術は無くなった。
声を出すことも出来ず、溢れた感情は――――陽子の瞳から、大粒の涙をいくつも零れ落とす。
「いいんちょ……!?」
「――――……」
カイトをその場に残したまま、陽子は図書室から駆け出た。行く当てなど無いが、最早、この場には居られない。
(この――――うつけが)
聞こえるはずも無い声を、無神経な小童に投げかけて、私は陽子とともに、その場から離れた。
走る陽子の脳裏、混乱し、無数の回線から流れている情報の内、ただひとつの言葉が、そのとき私には鮮明に浮かんで見えた。
『嫌いになれるはずが無い。でも……彼を好きになる自分は、許せない』
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