The Love song for the second week..    

〜10月〜
或る少年の情景



自分には、自信があった。自分には譲れないものがあった。
その為に、絶え間ない努力をしてきたし、その努力は、きちんと実績となり、彼を形作る基盤となっていた。
しかし,ただ一度の敗北が、彼自身の礎を粉々に打ち砕いた。

今の彼には、何も残されていない。
ただあるのは、無残に打ち砕かれた誇りの残滓と、どこへ行くかも分からぬ、彼自身の心だけであった……。



〜10月10日(日)〜

朝日が、部屋の中へと光を運ぶ。十月も半ばのこの時期、既に残暑も過ぎ、朝は比較的、過ごしやすい気候となっていた。
陽の光に照らし出されたベッド。横たわっていた部屋の主は、どこか悄然とした様子で、顔を上げる。
整った顔立ちと、緩やかなシルバーブロンド……年頃の少年は、名前をロイド・グランツといった。

「朝か……」

嘆息交じりの声で、ロイドは呟く。あの日、カイトとの決闘に敗れた後、ロイドはまるで抜け殻のように日々を過ごしていた。
今まで、常に先陣を切って行動をしていた彼だが、今は何をするでもなく、無為に日々を過ごしていた。
無論、授業をサボったり、手を抜いたりしているわけではない。ただ、常に張り詰め、気を保っていた姿勢が、気が抜けていたのだ。
それに気づいた者は皆無であったが、気づいたものも、彼の心情を気遣ってか、あえてそこに触れようとはしなかった。

「おらっ、くそシンゴ、さっさと起きやがれっ!」
「く、クーガー君……あんまり騒がない方が……」

部屋の外で、男女の騒ぐ物音が聞こえてきた。その物音に、ロイドは幾分か考え込むと――――、

「そうか、今日は文化祭だったな」

…………と、あまり興味の無い口調でそう呟いた。
実際、無気力状態の彼にとって、お祭りはあまり参加したくない行事であったのだけど。
それでも、寮でずっとサボっているのは、何となく気が引けたので、ともかく文化祭に、顔だけは出しておこうと、ロイドは寝床から抜け出した。



ロイドは制服に着替えて、部屋から出る。そのまま周囲を見渡すと、男子生徒のほかに、そこそこの比率で、女子生徒の姿も見受けられた。
学生寮は、もちろん男子寮と女子寮に分かれてはいるが、リベラルな校風のせいか、双方への行き来は特に制限が設けられてはいなかった。
無論、だからといって女子がいるのが当たり前というわけではないし、異性の部屋に泊まるなど、さすがに禁じられていた。
だが、それでも違和感が無い程度に、双方の寮への行き来が出来る雰囲気が、学生寮連には存在していた。

「ちっ、こうなったら……扉をぶっ壊すぞ。離れてろ、クレア」
「だ、駄目だよ。そんなことしたら、怪我しちゃうかもしれないよ」

先ほどの騒ぎの張本人だろうか。少し離れた部屋の扉の前で、バンダナ姿の男子生徒と、どこか大人しい感じの女生徒が、やいのやいのと騒いでいた。
どうやら、祭りを一緒に見てまわるはずの相方が、未だに起きないのが原因のようであった。
ロイドは、騒ぐ彼らの横を、無関心に通り過ぎた。とりわけ、面識が深い相手でもないし、今の彼には、どうでもよい事柄だったからだ。



「さ〜、いらはい、いらはい、マッハピヨすくいは、1−Aクラスだよ〜」
「ただいま、ライブチケット販売中で〜す。『21th Century Alice』のライブは、体育館で随時、行ってま〜す☆」

雑踏に、身を預けるように、ロイドは無為に歩いている。どこに行こうというわけでもない。
ただ、意味も無くこうして流れに身を任せていれば、何をしなくても時間だけは過ぎていってくれた。

「ほら、のんびり歩いてんじゃないよ、まったく」
「あ……ご、ごめんなさい、沙耶さん」
「セレスもさぁ、もうちょっと、ハキハキ行動しなよ。ほら、次はあっちのクラスで出し物やってるよっ!」

ロイドの身体をすり抜けるように、様々な声が、周囲には飛び交っている。
言葉の波に揺られるように、ロイドは、ただ歩く…………朝からずっと、彼は目的も無く、歩いていた。
そのまま、何かの変化が無ければ、彼はずっと歩いていたのかもしれない。だが、

「ほらほら、次はこっちよ、カイト〜☆」
「こら、コレットっ…………少しは落ち着けって!」
「ふふ、二人とも、はしゃいじゃってるわね」

その一団が来たとき、初めてロイドの表情に変化が現れた。それは、どう言い表せば良いのだろう。
彼の表情を、一言で言い表すならば嫉妬、というのが一番近いのかもしれない。ただ、彼自身、そんな表情を浮かべていたのに気づいたのだろう。
ぐ……と奥歯を噛み締めると、彼は踵を返し、足早に歩き去る。走らなかったのは、彼のいまだ残る、プライドのせいかもしれなかった。



夕暮れの、空に流れる鰯雲…………イベントは階下へと、グラウンド方面へと移り、人気の絶えた屋上で、ロイドは一人、何をするまでも無く佇んでいた。
その手には、煙草の箱と、ライター。両方とも、落し物箱にあったものを借用してきたのだ。
ロイドは、加えた煙草にライターで火をつけ、吸い込むと――――、

「ごほっ、げほっ」

むせた。元々、煙草など吸ったことはなかったのだ。ただ、捨て鉢になった思想で、煙草でも吸ってみようかと思っただけ。
結局、それ以上吸うことはせず、ロイドはぼんやりと、手に持った煙草のあげる紫煙を見つめていた。
日は暮れていく。文化祭も終わりに近づく中で、屋上に近づくものは、皆無であった。
しかし、そのとき、ただ一人。屋上を締め切ろうと、鍵を持って屋上にあっがってきた人物が居た。

「――――? そこに、誰か居るんですか……えっ?」
「ベネット先生……」

どこか憔悴したような表情のロイド。その手には未だ、煙を昇らせる煙草が握られていた。



「本当に、一体どうしたって言うんですか? 三年生の中でも特に優秀なあなたが、こんなことをするなんて」
「別に、たいした理由はありません。他の生徒だって、やっていることじゃありませんか」

そのあと、ベネット先生に職員室に連れてこられたロイドは、弁明するわけでもなく、淡々と言った風にそういった。
舞弦学園内でも、他校への対面上、隠されてはいたが、屋上や人気のつかない場所は、かっこうの喫煙場所となっていたのである。
しかし、問題はそのことではない。喫煙の疑いがあるのが、優等生であるロイド・グランツだからだ。
もしこの不祥事が発覚すれば、厳粛な彼の実家はもとより、彼を慕う多くの生徒に衝撃が走るだろう。

「ともかく、処罰を与えたいのなら、どうぞ思うとおりにしてください」
「思うとおりに、って言われてもね……」

突き放しきったロイドの言葉に、ベネット先生は困ったように眉根をひそめる。
生真面目で堅物な所があったが、彼女は生徒思いの、優しい心を持った教員である。何かしら理由がありそうなロイドに、処罰など下せそうもなかった。
そうして、日も暮れる職員室に、気まずい沈黙が下りる。遠くより、祭りの喧騒が聞こえる教室。その重苦しい沈黙は――――、

「あー、ベネット先生ったら、こんなところに居たぁー♪」
「ロニィ先生?」

とことんまでに、暗く落ち込んだ職員室の空気をぶち破ったのは、スカウトの教師、ロニィ先生だった。
すでに夜ともなると、そこそこ冷え込むというのに、彼女はいつもどおり、露出の大目の衣装を着て、元気いっぱいのようである。

「もー、探したのよっ、グラウンドの使用には、担当者の許可を貰わないといけないって聞いて、もうちょっとで吊るそうかと思ってたのよ?」
「は、はぁ……」(吊るすって、何を?)

戸惑うベネット先生。その眼前に、ロニィ先生は一枚の書類を差し出した。

「ハイ、手続き書。筆跡は真似てサインは書いといたから、ハンコをちょーだいっ」
「あ、ハイ、分かりました。確か、打ち上げ花火の許可証ですね」

頷いたベネット先生は、豊満な胸元から彼女のハンコを取り出すと、紙にペタシとハンコを押した。
それを見て、ロニィ先生はうれしそうに相好を崩す。

「ありがとね。さ、これから忙しくなるぞ――――って、どうしたの、その子」

腕をぶんぶん振り回していたロニィ先生は、そこでようやっと、ベネット先生と向かい合わせで座っていた、ロイドに気がついたようだった。
ロイドは、興味なしという風に、そっぽを向く。その様子にため息をつき、ベネットはロニィ先生の口元に耳を寄せた。

「それなんですけど、実は――――……」
「――――ふんふん、なるほど……確かにそれは、困りものよね」

事の次第を聞いたロニィ先生。しかし、言葉とは裏腹に、何かをたくらんだようである。つぶらな瞳がキラーン☆と光ったのは、誰も気づかなかったが。

「じゃあ、この子を私に貸すってのはどう? たしか、罰則代わりに奉仕活動でも処分の免除、だったっけ? そういうのもオッケーって聞いたことあったけど」
「あ、確かにそれはそうですけど……ロイド君は、それでかまわないの?」

唐突なロニィ先生の言葉に、ベネットはロイドに問う。聞かれたほうは、興味がないのか、またも投げやりな感じでつぶやいた。

「僕は、別に……」
「はい、オッケーね。それじゃあサクサク行きましょうか。いやー人手が足りなくって、若い子が欲しかったのよね〜」
「え?」

驚いたようにベネット先生がつぶやいたときは、すでに遅く、ロイドの首根っこを引っつかんだまま、ロニィ先生の姿は煙のように消えうせてしまった。
後に残ったのは、ベネット先生と、打ち上げ花火の許可用紙だった。

「…………大丈夫かしら、彼」

急に不安になったのか、ベネット先生はそうつぶやく。
しかし、時すでに遅く、ロニィ先生はロイドを連れ去って、後に残るのは不安のみだった。



「ば、ゅ――――ん☆ 到着っ♪」
「う、わぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

加速装置並の速度でロイドを引きずり、ロニィ先生が到着した場所は……学園内の寮の一角、なぜかそこには、山ほどの花火球が置かれていた。
急停止したロニィ先生だが、ロイドは慣性を殺しきれず、ごろごろと地面を転がり、何かにぶつかって、とまった。

「う、何なんだ、一体……」
「それはこっちのせりふだぜ、兄ちゃん。お前さん、何者だ?」
「え?」

地面に横たわったまま、ロイドが目をあけると、そこには……やたら厳つく、ごっつく、ムキムキの中年親父達が居た。
はっぴに鉢巻き、足袋という、情緒ある服装のその姿は、まるで花火職人のようだった。どうやらロイドがぶつかったのは、親父の足だったらしい。

「あ、同好会会長、こんにちは〜」
「こんちわっす、姐さん!」
「「「「「こんちわっす!!!」」」」」

野太い声が、見事に唱和する。どうやらこの男達は、ロニィ先生の知己のようだが……?

「せ、先生……この人たちは?」

さすがにこんな異常な状態では、落ち込みようもないのか、ロイドはあっけに取られたように、ロニィ先生にそう質問する。
それに対し、ロニィ先生は、目をキラキラさせながら、それはそれは楽しそうに口を開いた。

「ふふーん、聞いて驚け見て騒げっ☆ この人たちは、王立スカウト協会の、花火研究会の人たちなのだっ♪」
「花火、研究会……?」
「そう、遠くの島国に、花火を作る人たちが居るって聞いたことあるでしょ? この人たちは、その花火を研究してる人たちなの」

どうりで、文化祭に花火のイベントなどを入れたわけだ。売れ残りの花火、というのは一部であり、ロニィ先生のつてで、毎年、大掛かりな用意をしていたようだ。
しかし、そう考えると、ロニィ先生は一体いくつなんだろう……そんな考えにいたったロイドだが、賢明な事に考えるのを放棄したようだった。

「さ、許可は貰ってきたわよ。みんな、準備に取り掛かりましょ☆」
「「「「おうっ!!」」」」

野太い声が唱和する。そうして、男達は次々と花火を詰めた箱を肩に担ぐ。
その様子を見ていたロイドだが、ぼうっとしている彼に、即座に怒鳴り声が飛んできた。

「ぼうず、おめえも手伝うんだよ! ほら、お前さんのはっぴだ。さぁ、さっさと担げ!」
「――――は、はぁ」

男達の迫力に押され、しぶしぶ従うロイド。そうして準備が終わると、親方らしいリーダー格の男が声を張り上げた。

「よし、準備は出来たな。お前ら、一人が欠けりゃ、その分、打ち上げる花火が減るんだ。絶対に花火を落とすんじゃねぇぞ!」
「「「「「おうっ!」」」」」
「今は俺達は、花火職人だ! 花火馬鹿になれ、いいな!?」
「「「「「おうっ!」」」」」
「よし、行くぞ! 目指すはダンジョン入り口だっ! わっしょい!」
「「「「「わっしょい!」」」」」

掛け声とともに、男達は一丸となって走る。叫びながら、花火を担ぎながら。
成り行きでつき合わされているロイドも巻き込み、それは大きな塊となって、観客の列を突き進む。

歓声が上がる、悲鳴が聞こえる。そんな異常な状態で、ロイドは不思議と胸に熱いものを感じ、叫んでいた。

「…………わっしょい、わっしょい!」



夜空に、大きく花が咲く。魔法の炎を使った花火は、高く虚空へと飛び、破裂音と火花を撒き散らす。
観客の拍手の音、楽しげな声……それを聞きながら、ロイドはグラウンドを見渡すことの出来る、ダンジョンの入り口付近に座っていた。

「落ち着いた、ロイド?」
「ロニィ先生……ええ、何とか、さすがにあの観客を縫って走るのは、神経を使いましたけど」
「そういうこと言ってるんじゃないの。気持ちはどう? 叫んで、けっこう、すっきりしたと思うけど」

その言葉を聞き、ロイドは唖然とした様子で相手を見る。幼さが残る顔立ちだが、この先生はやっぱり曲者のようだった。
確かに、胸のつかえは取れていた。今まで胸を焼いていた苦しさは、きれいさっぱり消え去っていた。

「ま、そうゆうこと。まよったときは、ともかく走ったほうが、すっきりすることもあるのよ」
「そのために、僕に彼らの手伝いをさせたんですか?」
「いや、それはそれ、これはこれ。人質……もとい、人手が足りなかったのはホント☆」

さりげなく、素で間違えたロニィ先生は、相変わらず、つかみ所のない笑顔で、ロイドに微笑んだ。

「それにしても、根っこは深そうよね……なに、そんなにミュウのことが好きだったの」
「――――!? どうしてそれを……」

驚くロイドだが、よくよく考えれば、当たり前なことである。
ロイドがミュウに積極的にアプローチしているのは周知の事実だし、この前の決闘騒ぎも、ミュウが絡んでいるのは知れ渡っていた。
情報源は、ロニィ先生の忠実な下僕である、シンゴが発信源だが、そこまで知っている者は、そう居なかった。

なおも花火の続く中、ロイドはしばし無言であった。ただ、無言でロニィ先生と見詰め合うこと数分。根負けしたようにロイドは苦笑し、口を開いた。

「ミューゼルの事を好きなのは、確かです。彼女には強さがある。僕のような強さではない、包み込むような強さが」
「…………」
「だから、僕は彼女のそばに居たかった。彼女を守る剣として。しかし、それは間違っていたかもしれません」
「なんで?」

ロニィ先生がそう質問すると、ロイドは数秒沈黙し、意を決したように口を開いた。

「あいつは、カイトは僕とは違った。ミューゼルの事を、きちんとミューゼルとして見ていた。僕は彼女を、単なる庇護の対称に見ていたのに」
「…………」
「落ち込んでいたのは、ミューゼルのこともありますが、それ以上に、人としてカイトに負けた僕自身が、許せなかったんです」

声を震わすロイド。そんな彼を優しく見つめ、ロニィは静かに口を開いた。

「自分を否定しちゃだめ」
「え?」
「いくら間違っても、今までの自分をなかった事には出来ないの。やるべき事は、今までの自分を踏みつけ、成長する事――――これは、ある人からの受け売りなんだけどね」

それ以上は、ロニィ先生は語らない。しかし、だからこそ、その言葉はロイドの心に、深く刻み込まれた。
そうして、長いようで短かった花火は終わる。最後の花火が空に打ちあがり、しばらくしたと、二人はどちらからともなく立ち上がった。

ロイドは、ロニィ先生に深々と頭を下げた。

「ご指導、御鞭撻、ありがとうございます」
「ん。ロイドが元気になってくれて、先生もうれしいわ♪」

クスクスと笑いながらロニィ先生は、ロイドの頭をなでる。ロイドは驚いたように飛び退った。

「な、何をするんですか!?」
「あ、照れた。ほんとに純粋よね〜、あなたの事を慕ってくれる子ならたくさん居るんだし、誰かと付き合えばいいのに。ほら、カイトのクラスの委員長とか」

その言葉に、心当たりがあるのか、ロイドはぐっ、と言葉を失い、しぶしぶといった風にため息をついた。

「陽子の――――彼女のことは、苦手です。一緒に居ると、なんだか心を見透かされそうで」
「ふむ……まぁ、見た限り、あの子も私と似たようなものだしね☆」
「は? あの、それってどういう――――」

妙な事を言ったロニィ先生に、ロイドは質問を投げかけるが、桃色の髪の女教師は、興味の対象を別に見つけたようで、すでにあらぬ方向を向いていた。

「あれ? カイトが居る……なんか背負って、寮のほうに行くけど――――あ、それに向こうで、ミュウが男子生徒に囲まれてるわ」
「なっ!?」

ロニィ先生の話の後半部を聞き、ロイドの表情が険しくなった。
見るとそちらには、複数の男子生徒に声をかけられ、困惑した様子のミュウの姿がある。
コレットが男子生徒たちを牽制しているが、あまり長く持ちそうにも見えなかった。

「ロニィ先生、僕はこれで、失礼させていただきます」
「行くの? 心の整理、ついた?」

ロニィ先生のその言葉に、ロイドは苦笑をし、首を振った。

「いえ、全然。それでも、ここで見てみぬ振りは出来ませんから」
「そう……ロイド、頑張りなさい☆」
「……はいっ!」

言葉とともに、銀髪の少年は駆け出す。その背中を見ながら、桃色の髪の彼女は、何を思っていたであろう。
祭りの幕は、まだ降りていない。さぁ、新たな舞台の幕をあけよう――――。


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