The Love song for the second week..
〜10月〜
変化の兆し
悔しくて、負けたくなくて、ただ目の前の道を駆け続けてきた。
周囲なんか気にする余裕も無く、ただ、気がつけば世界で自分はただ一人。
それは、満足できる結果であったのかもしれない。もとより、何者にも負けない力を欲したのは自分自身だったのだから。
…………だけど、それでも寂しさはぬぐえない。
後悔は出来ない、それでも、自分という存在を肯定してくれる、そんな人を、求めていたのかもしれない…………。
〜10月11日(月)〜
とんとんと、包丁を動かす音…………味噌汁の香りが鼻をくすぐる。
毛布に包まって眠っている俺の耳に、鼻歌のような、流れるような声が聞こえてくる。
「風を〜〜感じて〜〜旅に〜〜出よう〜〜〜〜……♪」
囁くような、なんだか子守唄のような優しい声。半分眠っていた頭で、それをぼうっと聞いている。
うとうとと、まどろむ俺の耳に、優しい音が聞こえてくる。それは、お味噌汁がぐつぐつと煮られる音だったり、包丁のトントンという一定のリズムだったり。
聞いてるこっちも気分が良くなりそうな、そんな声は、誰のものだろう。中途半端に起きた頭で考えてみる。
「相羽君、起きたの?」
「ん〜……」
そんな事をボウッと思っていると、ゆさゆさと身体を揺すられた。
寝足りないせいで、相手が誰か、よく分からない。毛布に身をくるんだまま、ゴロゴロと転がる。
「ほら、赤ちゃんじゃないんだから、むずがってないで起きなさい」
ゆさゆさごろごろ、ゆさゆさごろごろ、ユサユサゴロゴロ、ごんっ。
「…………って〜……、何だ、一体?」
「あ、やっと起きた。いくらなんでも、ちょっと鈍すぎるわよ」
壁に打ち付けた頭を抑えながら身を起こすと、そこには――――制服の上にエプロンをつけ、呆れたように覗き込む委員長の顔があった。
赤と白を基調とした武弦学園の制服に、白いエプロンがなかなかに、グッジョブだったりする。
「あれ、でも、何でいいんちょが……ここに?」
「それは、こっちが聞きたいんだけど……昨日の事、よく覚えていないし。ねぇ、相羽君……何があったか、説明してちょうだい」
そう言われ、俺は頭を捻り……昨日の文化祭の事を思い出した。
調子の悪く、保健室で寝入っていた委員長。そんな彼女を、諸々の事情があって俺の部屋に担ぎこんだのだ。
「あ――――ま、いろいろとあってな」
「全然、説明になってないけど…………ともかく、朝食を食べながら聞きましょ。時間からすると、昼食って言った方がいいかもしれないけど」
委員長に言われ、部屋に置いてあった時計を見ると――――既に時間は十一時を過ぎていた。
って、十一時!? 遅刻確定じゃないか!
「うわ、マジか!? もう、三時限目が始まってんじゃないか!」
「大丈夫よ。今日が振り替え休日だって事、忘れてない?」
「あ、そうか」
飄々と、呑気に言う委員長の言葉に、俺はそのことを思い出した。
休日に行われる学園の行事では、翌日が振り替え休日になるのは、よくある事だ。
そういうわけで、今日は丸々一日お休みということになる。
「さ、相羽君、ご飯食べましょ。せっかく作ったんだし、冷めるのは勿体無いわ」
「作ったって…………いいんちょがか?」
「――――何よ、その疑いの視線は。味が不安なら、別に食べなくてもいいけど?」
「いやいやいや、食べさせていただきます、はい」
ジロリ、と剣呑な視線を向けられ、俺は取り繕うように慌てて笑顔を浮かべた。
しかし、委員長の料理か…………一体、どんな料理が出てくるんだろう?
「さ、どうぞ」
ほかほかの白いご飯に、季節野菜のサラダ、焼き秋刀魚に、お豆腐と若布のお味噌汁。
いいんちょの作ったのは、ごくオーソドックスな純和風の朝食であった。
それじゃあさっそく、いただきますか。手に持った箸で、魚の焼き身を口に運ぶ。
塩っ気のある魚の味と、ホカホカご飯がなかなかオツな感じである。
「……どう?」
「ん、ああ……美味いよ」
ずずー、と、味噌汁を啜りながら、俺は委員長の問いにそう答える。
いいんちょは、二度、三度と瞬きをし、何がおかしいのか、くすっと笑みを浮かべた。
「普通のリアクションね。もっと、派手に反応してくれると思ったんだけど」
「…………」
俺の事を何だと思ってるんですか、委員長様は。
あれですか、口から光線を吐いたり、無駄に異次元空間を形成したり。
そういったことを俺にしろと? いや、なんだか出来そうな気がしないでもないですけどね。
「にしても、料理とかも上手なんだな、いいんちょ」
「上手、って程でもないわよ。ただ、普通にできるだけよ」
「そーかぁ? 普通にやるのって、けっこう大変だと思うんだけど」
ちなみに俺の場合、一人暮らしを始めた当初、料理と証した、けっこうやばげな物質を作ったことがある。
まぁ、今はそれなりの物も作れるが、それでもラーメンとか玉子焼きとか、簡単なものがメインだった。
それに対し、委員長の料理には、焼き秋刀魚には大根おろしをつけてたり、野菜サラダにはありあわせの調味料でドレッシングを作ったりと芸が細かい。
「俺も、もうちょっと、料理とかできないとなぁ……一人暮らしだと、どうも気が回らんけど」
「いや、相羽君は別に気にする必要ないと思うけど。無駄に上達すると、かえって気まずくなるだろうし」
「――――なんで?」
俺の質問に、委員長は呆れて肩をすくめただけである。
それにしても、こうやって誰かと一緒に朝飯を食べるのって、いつ以来だろうか。
朝と夜は、いつも一人で食事を摂るのが普通だった。だけど、こうやって向かい合って話をしながらの食事は、いつもの食事より、幾分か美味しく感じられた。
「あ、そうだ、相羽君。今日は暇でしょ? お昼ごろから、ちょっと付き合って欲しいんだけど」
「つき合うって、デートのお誘いか? いいんちょ」
「さぁ、それはご想像にお任せするわ」
くすくすと、笑いながら、委員長は勝手知ったる他人の家という風に、冷蔵庫から卵を取り出すと、ご飯の上にかけて、掻き混ぜている。
どうも、様子を見る限り、身体の調子はいいみたいだ。昨日は、本当に元気がなかったからな。
よし、委員長の全快祝いだ。今日は丸一日、彼女に付き合うことにしようか。
「――――で、何で俺はこんな事をしているんだ」
「あ、相羽先輩、花火の欠片とかはこっちにお願いします」
「はいはい、よっ……」
軍手を嵌めた手で、ビニール袋に山盛りに詰め込んだ花火の残骸――――平たく言うとゴミを、うずたかく詰まれた残骸の山に放り込んだ。
ここは、学園のグラウンド。今は、先日の文化祭の片付けの最中であった。
出店の撤収、散乱したゴミの後片付け、校内外の清掃などを一、二年が行うのが慣例であった。
何故、俺がここにいるかというと、ボランティアである。平たく言うと、ただ働き(#゚Д゚)なのだ。
あの後、一度、自室に戻った委員長を、寮の前で待っていた俺。十分ほどで委員長が出てきて、さぁ出掛けようとした矢先、グランウンド前の光景に委員長の目が光った。
マズイと思ったときには既に遅く、自発的に参加を買って出た、委員長に引っ張り込まれる形で、俺も強制ボランティアに参加することになった次第である。
……しかし、冷静に考えると、「強制」の「ボランティア」って、妙な響きのように聞こえる。
ま、そんな事を考えるよりも、今は目の前に広がる、ゴミの山――――言うなれば腐海の森を何とかしなきゃならんのだが。
「相羽君、元気? そんなに長く掛からないでしょうし、頑張りましょう」
「ああ、分かってる。いいんちょも、頑張れよ」
声の方を向くと、両手にゴミの袋を持った、委員長の姿がそこにあった。仕事をしやすいように、後ろ手で髪をまとめている。
なんだかその格好は、ズバリ、買い物帰りの主婦のように見えなくもない。
そんな俺の考えは、幸い委員長に察知されなかったのか、委員長は両手にゴミ袋を持ったまま、片付け場所のほうに歩き出そうとする。
――――そのとき、何となく違和感を感じた。
「いいんちょ、ちょっと……」
「ん、なに?」
「どこか、怪我してるのか? なんだか、歩き方がぎこちない様に見えたんだが」
「――――……」
俺の言葉に、委員長は無言であった。しばらくして、
「気のせいよ」
と、素っ気無く言い捨てると、委員長は作業に戻っていった。
その様子はいつも通り。さっきの違和感は、不思議なほど綺麗さっぱり消え去っていた。
そうして、長かったようで、実は一時間ほどで終わった作業のあと、俺と委員長は校内の中庭を訪れていた。
今は、中庭には人気がない。先ほどの時間、中庭の方にも清掃をする生徒がいたのを見たが、一段落付いたのか、喧騒は教室の方へと移動をしていた。
俺と委員長は、最近ではすっかり専用となったベンチに腰掛け、ひとつ息をついた。
「しかし、思ったよりも大変だったよなぁ……まったく」
「お疲れ様、相場君」
ベンチに腰掛けたまま、大きく伸びをする俺を見て、委員長は微笑んだ。
そんな彼女の様子に、俺は妙に不満を感じた。この前の時といい、委員長はボランティアとかを買って出る癖があるようであったからだ。
「それは、いいんちょもだろ? そもそも、今日だって手伝わないで遊びに行っても、誰も文句は言わなかったんだぜ?」
実際、俺たちが働く間、その傍らを、同じ三年の生徒が、遊びに出かける所を何度か目撃していた。
何名かの知り合いは、問答無用でボランティアに引っ張り込んだが、それで腹の虫が納まるというわけではなかった。
なんでまた、好きこのんで仕事なんてしなきゃならんのか、そういった思いは、いつも内心で抱え込んでいた。
そういった俺の疑念、その疑問に対し、委員長は――――、
「だって、一人より二人の方が、少数より大勢の方が効率がいいでしょ? 私に出来る事なら、手伝うのが筋なのよ」
そんな風に、何の迷いもない口調で、きっぱりとそんなことを言った。
なんていうか、親しく付き合えば付き合うほど、委員長の凄さというのが、よく分かった。
大人びているとか、そういう風なことじゃあない。ただ、委員長は――――、
「それに、なんだかんだ言って、相羽君も手伝ってくれるし、相羽君のそういう優しい所、好きよ」
「――――……」
その言葉を聞いたとき、ふいに、世界が変わったような錯覚を受けた。
いや、変わったのは、俺自身なのかもしれない。何のことはない、その一言で、俺は彼女に恋をしたのだった――――。
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