大番長・西欧編 

剣士・政宗



「ふぅ……さて、久しぶりに一人になったけど、どうしよう?」

ある日の昼ごろ、珍しく仕事に暇ができたハルは、一人で北の都市、バグダートまで出かけていた。
交易都市であるバグダートには、様々な市があり、活気に満ちている。

(ミスティに何かプレゼントを贈ってみようか……?)

そんな事を考えながら、市場をふらふらと歩いていた時である。

「スリだっ、この野郎、人の財布取りやがって!」

ざわめきと共に、市場が騒然となる。
ハルがそちらのほうを見ると、屈強な男に腕を掴まれている少女の姿があった。

「え、そ、そんな……何のことですか?」

しかし、見た目は全然普通である少女は、むしろ驚いたような様子で男を見る。

「しらばっくれるんじゃねぇ、この財布、お前のじゃないだろ!」
「え、ええっ……!?」

しかし、勝ち誇った男の声に、少女は驚きの声を上げる。
少女のスカートのポケットの中からは、いくつかの財布、男物の財布がこぼれ落ちたからだ。

「いけねぇなぁ、若いのにそんな事をしちゃ」
「そうだぜぇ、お嬢ちゃん、人のものをとったら重罪だぜ」
「そんな、私……知らない……」

少女の周囲を、数人の男が取り囲む。どうやら、最初の男の仲間のようだ。
取り囲まれて、少女は呆然と事態に流されているようだった。

「ほら、来いよ、治安局に突き出してやる!」
「い、いやっ、放してっ!」

男達に引っ立てられて、少女が連れて行かれようとする。
しかし、周囲の人間は、少女に蔑みの目を向けこそすれ、助けようとはしない。

「待ちな」

しかし、その時、周囲のざわめきを押さえるような、ハッキリとした声が響いた。
ハルがそちらを向くと、そこには一人の少年がいた。男物の学生服を着込み、手には老人が使うような古びた杖を持っていた。

「何だ、お前」

ムスッとした表情の少年に、男達は怪訝そうな表情を見せる。
しかし、相手のそんな表情などお構いなく、少年は淡々と言葉を発した。

「なんだじゃない、俺の財布、返してもらいたいんだ。そのまま持ってかれちゃたまらん」

その少年が男を見上げ……そこでハルは、その少年の右目が黒い眼帯で覆われているのを見た。
片目の少年のその言葉に、男はようやく気づいたのか、手に抱えていた幾つかの財布を見下ろした。

「ああ、悪かったな、坊主。そら、これだろう?」

男はそう言いつつ、幾つかの財布の中から、一番渋めの、女物の財布を少年に差し出した。
しかし、少年はそれを受け取らない。ただ、胡散臭そうな表情で、その男を見た。

「お前、どうして『俺の財布』が分かったんだ?」
「え――――」

その言葉に、男は動揺を見せ、周囲の人間もざわめいた。
ただ、少年はそんな周りの様子などお構いなく、淡々としゃべり続ける。

「変だと思ったんだ。俺は一度も彼女とすれ違っていない。なのに財布は彼女が持っている」
「ガキ……何が言いたい」

急に、凄みを増したような声で、男は少年をにらむ。常人なら怯え、二の句が告げない凶暴な視線だ。
しかし、少年はそんな男の豹変振りなど無視し、言葉を続けた。

「財布を取ったのは、あんただろ。それを彼女に押し付けて、罪をでっち上げようとした。三流芝居だよ」
「だまれっ!」

そう言いつつ、拳を振り上げる男。誰もが、少年が殴り飛ばされる光景を予想した。

「がっ!?」

しかし、一撃を受けて倒れたのは、殴りかかった男の方だった。
手に持った杖をクルクル回しながら、少年は迷惑そうな表情で首をかしげた。

「なんだ、本当のことだったのか。適当に思い付きを言っただけなんだけどな」
「小僧……こんなことをして、ただで済むと思ってんのか?」

昏倒した男の代わりに、数人の男が少年を取り囲む。
少年も、姿勢を低くして、杖を構えた。どうやら、棒術の心得があるようだ。

一触即発な空気が流れる……そんな時、

「あの〜、事情はよく分かりませんが、とりあえず話し合いをしたほうが良いんじゃないですか?」

事態を傍観していたハルが、とことん呑気な表情で、その場に割って入った。
何となく、このまま事態を傍観していたら、とんでもない事になるんじゃないかと思ったからである。

「なんだてめ……うげぇっ!?」
「し、神法士……やべぇっ、捕まってたまるかっ」

だが、そんなハルの乱入は、男達にとって予想外だったらしい。
すねに傷持つ連中なのか、神法士の姿をしたハルの姿を見るなり、倒れた仲間を担ぎ上げ、一目散に逃げさってしまったのだ。

「…………あれ?」

怪訝そうな声を上げるハル。男達は逃げ去り、残ったのは少年と、絡まれていた少女だけだった。

「あの、ありがとうございます、助けていただいて……」
「いや、別にたいしたことはしてない。それに礼を言うなら、あいつらを追っ払った、あの兄さんに言うんだな」

そういって、少年はそれだけ言うと、歩きさっていこうとした。
しかし、はたと気づいて、その足を止める。

「しまった、財布を持ってかれたままだ……」

そういうと、大して困ってないような表情で、頭をかく少年。といっても、見た目はというだけで、当の本人は心底困っているのだが。
ハルが声をかけてきたのは、そんな時だった。

「あの、とりあえずここから離れませんか? それに、この街にいたら、あの人たちと、又会う可能性もありますし」

ハルの言葉に、少年はしばし考え、頷いた。

「そうだな、無用なトラブルは、無いほうがいい」

少女の方も、その意見には、同意のようだった。

「それじゃあ、僕についてきてください。僕はヴェネティアの行政官代理、ハルと言います」

ハルの言葉に、少年も少女も、驚いた顔を見せた。

そうして、少年と少女、二人を連れてヴェネティアに戻ったハルは、後始末をすることになった。
少女のほうは、彼女の望んだこともあり、ヴェネティアに居住権を与えて、しばらくはヴェネティアに住むということで一段落が着いた。
少年の方は、だめもとで財布の捜索願を出すと、あっさりと見つかった。中身も無事だったようだ。
あのゴロツキたちも、行政官代理と事を構えるつもりはないようだった。

「これにて、一件落着、だったら良いんですけどね……」

ため息をつき、ハルは困った表情を見せる。
理由は、目の前にいる少年のことだった。財布が戻ってきたのは良いが、今度は借りを返したいと言って聞かないのである。

「だから、何度もいっているように、別に見返りを期待して助けたわけじゃないですから」
「だが、それでも借りは借りだ。返さないと落ち着かない」

必要以上にかしこまった表情で受け答えする少年。そんな生真面目な少年に、根負けしたのはハルだった。

「分かりました、それじゃあ、何かあったときは助けて下さい。それまでは、この屋敷の一室を使ってけっこうですから」
「よろしく、俺の名前は、支倉……政宗だ、恩も受けたし、しばらく厄介になる」

そんなわけで、この日。また一人、変わり者の仲間が増えたのだった。
しかし、剣も使え、様々な雑務をこなせる彼は、大変有能な人材であると、この後、何度も思い知らされることになるのだった。


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