大番長・西欧編
EPSODE::01
ヨーロッパ地方、ヴェネティア……。
都会の喧騒とは無縁の、緑に溢れた町は、自然と人の共存を成り立たせた町である。
舗装されていない街道を、一人の少年が歩いている。
その腕には、統一教会に属しているという証の、銀の腕輪をつけていた。
「ふぅ、後は、パルお婆さんのところかな……」
頬を流れる汗をぬぐい、少年は確認するかのように呟く。
少年の名は、ハル・クウヤ。
小さいころから、ここ、ヴェネティアで神法士としての修行をかね、養父母の元で暮らしていた。
両親のことは知らない。だけど、それはなんら、彼に重荷にはなっていなかった。
今の彼には家族がいる。それだけで十分だったからだ。
優しい養父母、そして、彼と同じ境遇の兄弟達……少なくとも、彼は幸せだった。
街道を歩きつつ、ハルは、降りかかる陽光に眼を細める。
日の光が、彼は好きだった。陽光は、天からの祝福。それは、統一教会の祝詞の一節にあった。
若干16歳にして、ハルは統一教会の祝詞、聖歌、法印などをほとんど網羅していた。
一人前の証である銀の腕輪をつけれたのは、ひとえに彼の実力もあったからだ。
周囲の人間は、彼のことを天才というが、そうでないことを彼自身が一番よく知っていた。
血の吐くような努力、それがなくては宝石の原石も光らない。
しかし、彼はそのことを口外しない。
自分のことを分かってくれる人がいる。だから、彼は自然でいることが出来た。
「やっほ〜、ハル? 今、帰るとこなの?」
その時、彼に声をかけてきた人がいる。
かけられた声に、ハルが振り向くと、そこには彼と同じ服装をした少女がいた。
その腕につけられた証の腕輪は、銅。まだまだ半人前の証である。
声をかけてきた少女に、ハルは微笑んだ。
「ううん、まだ、パルお婆さんのところが残ってる。ミスティのほうは?」
「私はもう終わったよ。今から『家』に帰る所」
ミスティと呼ばれた少女は、元気いっぱい、という風に、胸を張りながらそういう。
ハルとミスティは、幼いころ、『家』に一緒に引き取られてきた。
そのころの記憶は、よく覚えてはいない。
ただ、冷たいのと熱いのと、痛いのと、気持ちのよいのが入り交ざった、曖昧な記憶だった。
幼馴染、といって言いのだろう。
いつも一緒にいた、ハルとミスティの関係は、兄妹といってよい関係だった。
「そうか、じゃあ、先に帰っててよ。ちょっと、寄るところもあるし」
「うん、わかった」
ハルの言葉に頷くと、ミスティはスキップするような足取りで、道を歩いていった。
風に乗って、ミスティの声が聞こえてくる。
「其は風の晴、森の精、月の精、水の精、寄りて寄りて〜光とならん……其は……」
厳粛なる祝詞を、まるで童歌のようなテンポで歌う彼女に、ハルは微笑を漏らした。
常に、どんな時でも周囲を明るくするような、そんな雰囲気をミスティは持っており、ハルは、そんな雰囲気が嫌いではなかった。
「さて、僕も行こうかな……」
つぶやいて、ハルは歩き出した。
あと一軒、それを終えたら、買い物をして、家に帰る予定だった。
「はい、これで祝詞は終了です」
「ありがとうございます、法士様」
パルお婆さんは、ハルの言葉に、深々と頭を下げた。
その恐縮しきった態度に、ハルのほうは戸惑った様子で頬をかいた。
「そんなに深々と頭を下げないでくださいよ。昔は、よく僕らのことを怒鳴ってくれたじゃないですか」
一年ほど前に、神法士の資格を取ると、ハルとミスティに対する態度が、周囲では激変した。
統一教会に属するものは、ヨーロッパ地方では、絶大な権力に属しているものとみなされるのだ。
「ですがね、あたしらが安心して過ごせるのも、法士様たちのおかげですから」
と、一事が万事こんな調子である。
最近では開き直っており、何も感じないが、最初のころは、めっぽう戸惑ったものであった。
「それでは、僕は行きますので」
応礼を返し、ハルは出て行こうとした。その時、パルお婆さんが、おずおずと、声をかけてきた。
「あの、法士様……」
「なんですか?」
どこか、奥歯に物が挟まったかのように、ごにょごにょと言いよどんでから、パルお婆さんは呟いた。
「大丈夫なんですかね、最近の世の中は……なんか、都会のほうじゃ、夜な夜な化け物が出るらしいじゃないですか」
「ああ、そのことですか……」
お婆さんの話に、パルも眉をひそめた。
ここ一月ほど、その噂は加速度的にヴェネティアにも広がっていた。
首都・ロンド付近に、巨大なクレーターが出現し、そこから怪物が湧き出ているという。
すでに、首都は壊滅状態であり、さらに、その怪物の被害は周辺の都市にも広がっているらしいのだ。
「大丈夫ですよ、ここは、首都から遠く離れた場所です。ここまで広がることはないでしょう」
「ですが……」
「それに、いざとなったら僕が戦います。こう見えても、神法士の一人ですから。ですから、安心してください」
ハルの言葉に、老婆は安心したように再び頭を下げた。
(みんな、不安になっているんだな……)
帰り道を歩きながら、ハルはそんなことを考える。
その手には、包装された小さな袋があった。ミスティへのプレゼントだったが、買いに行った店でも、同じようなことを聞かれたのである。
しかし、だからといって、ハルには何か出来るというわけではなかった。
せいぜい、人々の不安を和らげることくらいである。それが、彼の精一杯だった。
(駄目だ、暗くなっちゃ……)
一つ息をつき、ハルは不安や焦り、憤りを無くそうとする。
今日は、ハルとミスティの誕生日だった。正確には、二人が『家』に入ってから日である。
毎年、この月、この日には……皆でパーティを開くのが慣習となっていた。
今年は、都合のつかない兄弟もいるけど、それでも楽しいパーティになるに違いない。
だから、彼も笑わなければいけない。
しかし、その笑みも、炎上する『家』を見て……凍りついた。
『家』が、燃えている。
長年住み慣れた家が、今、目の前で燃え広がっていた。
手に持った紙袋が、パサリと地面に落ちる。
「父さん、母さん……ミスティっ!!」
その音で、我に返り、ハルは燃え上がる屋敷内に飛び込んだ。
焼けるような熱気、燃える建材……そんななか、ハルは必死に皆を、ミスティを探していた。
いくつかの部屋を巡るうち、ある部屋にたどり着く。
その瞬間、ハルの心臓は跳ね上がった。
床に、少女が倒れている。ハルと同じ格好をしたその姿は、見間違えることもない。
ハルのよく知っている少女、もっとも身近な存在を、彼は助けようと、部屋に入ろうとした。
「ミス……」
その瞬間、後頭部に鈍い衝撃、何が起こったのかも、どうなったのかもわからず、ハルは、床に沈みこんだ。
『よし、任務完了だ。運び出せ』
『ああ、しかし、本当にこんな子供が……?』
意識の途切れる寸前、ハルはそんな声を耳にしたような気がした。
しかし、薄れ行く意識の中、それは、あくまではっきりとしたものではなかった。
なにやら話している男達の声。それすら茫漠として……ハルの意識は、そこで、完全に途絶えた。
燃え上がる『家』から少し離れた場所。そこに、二つの影があった。
街道を歩く人影のうち、大きなほうが、燃え上がる『家』に興味を持ったのか、足を止めた。
「……どうしたのだ?」
「ああ、見ろよ。なかなか面白そうな状況じゃないか」
「また、よからぬことに首を突っ込む気だな。言っておくが、そうそう、無駄な時間はないぞ」
小柄なほうが、大きな影を、諌めるように言う。
「まぁ、そう言うなって……お?」
その時、燃えあがる『家』より、数人の人間が飛び出してきた。
うち二人は、なにやら小柄な、人間を抱えているようである。
「強盗か、人攫いって所かな……って、おい」
「何をやっている、追うぞ」
唐突に走り出した小さな影は、大きな影にそれだけ言うと、追走を開始する。
数秒後、小さな影に、大きな影が追いついた。そのまま、『家』から出ていった者達と同じ速度で走る。
「一体どうしたんだよ、さっきまで乗り気じゃなかったのに」
「状況が変わった。こんな田舎で、強盗や人攫いなど、めったに起こらない」
悟られぬよう、ヒソヒソ声で話しながらも、追想する速度は、僅かにも乱れなかった。
「加えてヴェネティア周辺では、ここ数年、事件らしい事件はまったく起こってないらしい」
「なるほど、だとするとこれは……」
「ああ、例の一件がらみかもしれない」
などと、話しているうち、二人は足を止めた。
影達が、一つの屋敷の中に、入っていったのである。
そこは、ヴェネティアを治める行政官、ヴラドの館であった……。
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