那古教編・暫定版
〜02〜
名を継ぐ者
凍えるような寒さの中、雪の中をひた走る。
どこへ行くのか、何をするのかも伝えず、周囲には無数の白い人影。
殺気こそないものの、寒さとあいまって、決して居心地の良いものではなかった。
〜スワ神社〜
「ここです」
「ここは……スワ神社じゃないか」
そうして、たどり着いたのは、見覚えのある神社。
雪の降り止んだ周りを見渡し、俺は呟いた。
「どういうことだ? お前らまさか、鏡様達を人質に……」
「そんなことはしませんよ」
俺の疑惑の視線を受けて、少年は不満そうな声を上げた。
むすっとした表情で、顔につけていた覆面を取った。
「スワ大明神は、戦を統べる神。その系譜に連なる方を、害するようなことはいたしません」
言いつつ、頭にかぶっていた防寒具を取り払う。
流れるような白い髪が、サラリと揺れた。
「それに、我々は同性の方を傷つけることは控えるよう、厳命を受けていますので」
整った顔立ち、静かな顔。
それは、明らかに少年のものではなく−−−。
「お前、女だったのか?」
「白鬼と申します、お見知りおきを」
俺の言葉に、僅かに微笑みながら、その少年−−−少女は返答を返す。
周囲を見ると、他の忍者達も覆面を取っており、その顔は、あどけない少女ばかりだった。
「白虎隊……ね」
ずいぶんと、面白い部隊みたいだな。
「さぁ……こちらへ」
白鬼という少女に促され、俺は建物の中に、脚を踏み入れた。
〜スワ神社・宿舎・玄関〜
「ふぅ……」
建物の中に入ると、暖かい空気が周囲に満ちていた。
春のような陽気に当てられて、思わず可愛らしい息をついたのは、白鬼だった。
「……どうかなされましたか?」
「いや……」
怪訝そうな顔をする白鬼に、おれは曖昧に言葉を濁した。
なんというか、さっきのため息は……年相応に可愛らしいと思ったが、迂闊な事を言ったら激怒しそうだと直感したからだ。
「まったく、ぞろぞろと客が絶えない日だね、今日は」
その時、不満そうな声を上げ、誰かが玄関に歩み寄ってきた。
視線を向けると、玄関にやってきた、赤毛の美丈夫と眼が合った。
「おや、アンタは海野んとこの、主様じゃないか」
「山本二十一だ。あんたは確か、笹尾……だったな」
俺の問いに、ああ、と手短に答えると、「ついてきな」といい、再びきびすを返す。
後について、廊下を歩き出す俺に、ついてきたのは白鬼一人。
……他の少女達は、すでに姿を消していた。
〜スワ神社・本堂〜
スワ神社の本堂。
広々とした室内に、二人の少女が座っていた。
一人は、この神社の守役である鏡様。
そうしてもう一人、俺の知らない少女がいた。
「山本、二十一様ですね」
「ああ、アンタが直衛の……」
俺の言葉に、その少女はすっと流れるような仕草で頭を下げた。
「直衛 愛那です、お久しゅうございます」
「……お久しぶり、か。俺たち、面識があったか?」
俺がそう問うと、少女は微笑とも苦笑とも言える表情を浮かべた。
「はい。と言いましても、七、八年ほど昔になりますけど」
言われ、おれは記憶を掘り起こす。
まず、最初に思い浮かんだのは、彼女の兄である直衛信正のことだった。
俺がシンシュウを出る、あの事件の数年前、信正はシンシュウへ勉学に訪れていた。
型破りな青年で、その思考はどこか突き抜けていたが、天武の才能を感じさせる男だった。
そういえば、彼の後をついて回っている、小さな子供を何度か見かけたことがあった。
兄弟がいなかった俺は、その子供にかまってやった記憶があった。
なにせ、一人っ子である。弟ができたみたいで、嬉しかったのを覚えていた。
「ひょっとして、あの時のちび、か……?」
「はい、覚えていてくださったんですね」
俺の言葉に、少女はどこかホッとした表情で頷きを返した。
「しかし、いきなりだな……一体、何でこんな事になったんだ?」
「それは……」
板張りの床に腰を下ろし、質問を投げかける俺に、愛那は言いよどんだ。
短く、深刻な沈黙が周囲を支配する。
「まぁまぁ、ともかく、皆様お疲れでしょう。少しここで、休憩なさってはいかがですか?」
その沈黙を破ったのは、傍らでずっと見守っていた鏡様であった。
俺と愛那、それに白鬼の視線を受けた彼女は、穏やかに微笑みながら言った。
「ここはスワ神社。世俗の事は一時忘れて、ひと時の休息を楽しむのも、良いことだと思いますよ」
そう言うと、鏡様は天井を見上げ呑気な口調で、声をかけた。
「皆様も、降りてらっしゃい。今、この時は、任務を忘れ、一人の人として振舞いましょう」
その言葉に、異変が起こった。
高い天井、その闇の中から、数百の人影が、音もなく本堂に降りてきたのだ。
それは、先ほど見た少女達であり、その手には、各々に武器を持っていた。
少女達は、どこか困惑したような視線で、床に座っている愛那を見る。
愛那は沈黙を続けていたが、ややあって、苦笑と共に少女達に言った。
「分かりました、皆、楽にしていいですよ」
沈黙は一瞬、その直後−−−。
『やったぁっ!』
武器を放り投げて、大喜びする少女達。
それでも、落ちてくる武器を見ることもなく受け止めるあたり、やっぱり只者じゃない。
「あの、失礼します」
折り良く、部屋に入ってきたのは、両手に膳を持った小鳩だった。
その後ろには、先ほどあった、笹尾という女巫女もいた。
「鏡様、言われたとおり、料理をお作りしました。皆様の分も、すぐお持ちしますね」
そう言うと、小鳩はテキパキと、膳を並べていく。
気がつくと、ちゃんと人数分の膳がそこに用意されていた。
しかし、キッチリとこういうのを用意するあたり、鏡様も確信犯だな……。
俺が視線を向けると、鏡様は可笑しそうに微笑んだ。
どうでもいいが、巫女の力をむやみに使うのは、よくないと思う……。
まぁ、そんなわけで、なし崩し的に宴会が始まってしまった。
出される料理も豪勢だが、同時に出された酒のせいで、なし崩し的に場は、混沌状態に移行しつつあった。
『御神楽、不如帰、舞をいたしますっ!』
酔っ払った様子で、二人の少女が手に手に武器を持ちながら、手拍子に合わせて舞う。
酔っているとはいえ、その足取りはあくまで軽やかであり、互いの武器を紙一重に身をさらしながら、舞を続ける。
「たいしたもんだな……」
俺は感心しつつ、料理を口に運ぶ。
すでにあちこちで、何気なく死屍累々としている様な気がするが、まぁ、気にしないでおこう。
俺自身は、酒を口にしていない。
というより、何となく微妙な視線を感じるせいか、酒を飲む気にもならなかった。
「どうか、いたしましたか? 山本様」
「いや、何となく、注目されてるようで落ち着かないんだが……」
傍らにいた白鬼に問われ、おれは曖昧にそう返事する。
と、俺の返答に、白鬼は言いにくそうに微苦笑を浮かべる。
「それは、仕方のないことなのかもしれません。我々、白虎隊は男性との関わりがまったくと言って良いほどありませんので」
「はぁ……変わってるな」
「ええ、それに……山本様は愛那お嬢様の……」
「白鬼」
唐突に、言葉を挟んできたのは愛那。白鬼は気まずそうに沈黙してしまった。
今、何を言おうとしていたんだろうか、微妙に気になるが……。
「なぁ、今なんて……」
言おうとしたんだ、と聞こうと、俺は白鬼の肩に手を置き――――
「ひゃあっ!?」
「うおっ、なんだ!?」
いきなり素っ頓狂な声を上げる白鬼に、俺は驚いて、手を引っ込めた。
見ると、白鬼の顔は真っ赤に染まっていて、どこか怯えたように身を縮めている。
「す、すみません……」
消え入りそうな声で、ぼそぼそと言う白鬼。
あ、何となく分かった。つまりこれは……
「ん〜……ほれっ」
「ひうっ……お、おやめくださいっ」
つい、と首筋をなでるように触る俺の手に、白鬼はおろおろした様子で泣きそうな表情を浮かべる。
うぁ、これは慣れてないってレベルじゃないな……完全に免疫がないって感じだ。
いや、けっこう面白いな……なんか、こういう反応は新鮮だし。
「酔っ払っておられるんですか、山・本・様?」
「はっ!?」
なおも白鬼をつついて遊ぼうとした俺の背中に、氷よりも冷たい一言がかかったのはその時。
振り向くと、鏡様が神々しいほどの微笑を浮かべている。
……なぜかその両手が、複雑な印を結んでいるわけですが、それはもしかして……
「酔い覚ましに、きついのを逝きますね♪」
いや文字が違うって、っというか、なぜか周囲には誰もいないわけですが……ひょっとして俺、絶体絶命?
「ちょっと待った……」
「待ちません(怒)」
バヂバヂバヂバヂバヂッ!!!!
…………それから十数分、鏡様の機嫌が治まるまで、おれは電撃攻めにあった。
開放された後、流れ適に宴会はお開きとなった。
しかし、鏡様も手加減してくれればいいのに。
もうちょっとで、再起不能になるところだったぞ、色々な意味で。
「あ〜、ひどいめにあったな」
そんあこんなで、ほうほうの体で、俺は割り当てられた部屋にたどり着いた。
ちなみに、白虎隊の少女達は、本堂に布団を敷いて、雑魚寝することになっている。
俺一人が個室を使うのもどうかと思うが、まぁ、女子達の中に男が一人というのもまずいのだろう。
「よっ、と……」
既に部屋の中に敷かれていた布団に、そのまま横になる。
気だるげに、おれは寝返りを打ち……
「山本様」
「………………ぬおっ!?」
たっぷり数秒、何が起こったのかわからず硬直し、おれは慌てて部屋の端まで飛びのいた。
布団には、既に先客がいた。愛那という、直衛の妹が。
「悪い、ひょっとして俺、部屋を間違えたのか?」
「いえ、山本様、ここで間違いはありません」
いつの間にか雪はやんだのか、部屋の中に、涼しげな月明かりが差し込んでいる。
月明かりに照らされた愛那は、寝巻きの下に、何もつけていないようだった。
艶かしい白い肌が、嫌でも目に飛び込んでくる。
「私が、鏡様に頼んだのです。その……山本様に同衾させていただけるように」
「同衾って、あのな……」
呆れた口調で、そこまで言って、俺は言葉を詰まらせた。
愛那が、すがるように俺に抱きついてきたからだ。
「山本様、私を妻としていただけないでしょうか」
「はぁ!?」
いきなりの一言に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げる。
正直言って、予想外の出来事だった。そもそも、相手は面識がほとんど無いといってもいい少女だ。
「悪いが、俺は妻を娶ったりする気は……ない」
「それでも、一生のお願いです」
「勘弁してくれよ……」
愛那の言葉に、俺は苦笑するしかない。
確かに彼女には、一筋縄ではない因縁がある。だからといって、そうほいほいと頷けるものでもない。
「考え直せって、こんな事しても俺の気持ちは変わらないし」
「どうあっても、ですか」
「ああ、だから―――――、!?」
次の瞬間、俺は愛那を突き飛ばしていた。
声もなく、はじかれる愛那。その手には、月明かりに反射する刃物の光があった。
「どういうつもりだ?」
俺の問いに、愛那は答えない。ただ、泣きそうな感情のこもった瞳で、俺を見ていた。
そこには、怒りも憎しみもなく、ただ、悪戯を見咎められたかのような、子供のような感情があった。
ぽとりと、短刀が床に落ちる。
俺は愛那にむかって一歩を踏み出した。次の瞬間――――
「愛那様っ!」
「っ!」
疾風を思わせる速さで、その場に飛び込んでいた影がある。
影は、愛那を抱きかかえると、部屋を飛び出した。
「まてっ!」
俺も慌てて、追いかけようと庭に出る。
しかしそこで、歩みは止まった。そこには、完全武装の白虎隊。
各々が武器を持ち、油断なく、俺に狙いを定めている。
「申し訳ありませんが、茶番はここまでです」
愛那を抱えた忍者、名を不如帰といったか。他の少女よりも幾分年長のその女が、苦々しく言う。
剣、刀、弓矢に槍……様々な武器を構え、白髪の少女達が俺を牽制する。
「ここは神所、ここでは戦いませんが、いずれ貴方の首、我らの手で貰い受けます」
「山本様……」
何か言いたげな愛那を抱え、その忍はその場を離脱する。
そうして次々と、白髪の少女達はその場を離れていった。
最後に残ったのは、俺一人。
頭上に煌々と輝く月を見上げ、おれは苦々しげに呟いた。
「何なんだよ、まったく……」
そうして、事態はまた、別の方向へと向かう。
シンシュウの北に、白虎隊が展開する。エチゴの管理である洋館を拠点に、南方の統制会本部を狙う。
対する統制会は、オオサカ遠征の軍を防御に展開。いつでも迎撃できる態勢を即座に整えた。
ここ数年の間、戦いというものがなかったシンシュウに、久方ぶりの緊迫した状況が生まれていた。
…………それはまさに、一触即発の状況であった。
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