那古教編・暫定版
~01~
ウエダの波紋
~統制会本部・訓練場~
静寂が、周囲を支配している。
統制会本部の中、組織の人間が、身体を鍛える訓練場に俺は居た。
訓練場は薄暗く、陰が掛かったようにも見える。
板張りの床も、数歩先が見えない闇の中で、俺は剣を構えた。
数秒か、数分か、時の感覚が狂ったような空間。その視界の隅で、動きがある。
『それ』に気づいたとき、俺はすでに横に飛んでいた。
轟音と共に、傍らを鎖が通り過ぎる。
それと同時に、背後から二つの人影が、俺に肉迫してきた。
俺よりも二周りも大きいその影が、鉄錠を振り下ろしてくる!
「はっ!」
振り向きざまに、手にした剣を、一閃。
振り上げられた刃は、鉄錠を叩き切ると、そのまま軌道を変える。
流麗な軌道を描いた刃は、さらに、物陰から飛び出してきた鎖を弾き飛ばした。
周囲に、静寂が戻る……。
「うむ、見事だ」
言葉と共に、周囲に明かりが戻る。
蛍光灯の光に照らされた室内には、俺以外にも、複数の人間がいる。
壁際に控えているのは三人。筧の爺さんと歩美、それに、金髪の少女だ。
数年間で、俺がどれだけ腕を上げたのか、見たいといって、この稽古場につれて来たのである。
「まったく、まいりますぜ、だんな」
「また一段と……腕をあげちまいましたね」
俺から近い位置にいる、背後から襲い掛かってきた二人が、苦笑いしながら、そう声をかけてきた。
ごつい声の、その主は、晴海入道、伊三入道だ。
二人とも、筋骨隆々の体つきで、ごつごつした顔つきの、いかつい大男である。
もともとは、酒に酔いつぶれ、破戒の限りを尽くしていたのだが、俺に叩きのめされ、心を入れ替えたのだ。
もっとも、酒飲みなところは……変わらないが。
ちなみに、顔つきも体つきも双子のようにそっくりだが、兄弟というわけではないのだそうだ。
「まぁ、色々あったからな。そういうお前らも、腕を上げたじゃないか、なぁ?」
「…………ふん、その分、アンタにも伸びられたんだから、意味はないですよ」
掛けられた俺の言葉を、不満そうに受け止めたのは、鎖を腕に巻いた青年。
桂吾という名前のコイツは、俺のことをライバル視しており、事あるごとに突っかかってくるのだ。
まぁ、負けず嫌いだが、悪いやつではないのはよく知っている。
基本的に面倒見もよく、後輩である忍者達にも人気があるようだった。
「そうそう、二十一様は無敵なんだから」
「そんなこと、ないよ。ケイゴは頑張りさんなんだし」
得意そうに言う歩美に、不満そうに声を上げたのは、桂吾の後輩の少女、名前は金子である。
金子は、田舎には珍しい混血児というやつで、両親共に異国の人間だった。
その出自のせいか、よくいじめを受けていたようだが、桂吾がそれを庇って以来、彼に懐いているのである。
「え~、だってさぁ、実際に桂吾って弱いじゃん」
「……おい」
遠慮も呵責もない歩美の言葉に、桂吾の眉がピクリと動く。
が、怒鳴るのも大人気ないのか、沈黙を守る桂吾なのだが……。
「弱くはないよ。そりゃ、お館様に比べたら、ケチョンケチョンのへロヘロに弱いけど、すぐに追いつくもん」
金子の言葉に、桂吾は……なんともいえない表情になった。
それにしても、女子ってのは容赦ないな。金子にしたって、桂吾が弱いってのを否定はしないし。
「……帰る」
よっぽど、今のセリフが堪えたのだろう。桂吾は一言そう言うと、煙のように姿を消してしまった。
「あ~、待ってよ、ケイゴ!」
そんな桂吾を追って、金子も訓練場を飛び出していった。
なんだかんだ言っても、桂吾にぞっこんなのは変わっていないようだ。
「やれやれ……」
変わったものもあれば、変わらないものもある。そんなことを感じ、俺は苦笑と共に、肩をすくめた。
~統制会・個室~
「あ、ノフさん」
「よう、調子はどうだい、はるかちゃん」
暖房代わりに、コンロに置かれ、火を当てられている、ヤカンが音を立てる室内。
しんしんと、雪が降る外とは対照的に、中は暖かく心地良い空気に満ちていた。
はるかちゃんは、寝巻きに着替え、ベッドに上半身を起こしている。
かなりの強行軍で、シンシュウに着いたあとは、絶対とは言わないまでも、安静にしなくてはならなかった。
「はい、もうすっかり大丈夫です」
「ん。そうか」
元気に答える、はるかちゃん。
俺は微笑むと、ベッドの傍らに置いてあったいすに、腰掛けた。
「今、部隊の召集を始めてるところだ。一月もあれば、オオサカへ戻ることが出来る」
「……はい」
俺の言いたいことがわかっているのか、はるかちゃんは、少々うつむき加減に返事をする。
「だけど、はるかちゃんはここに残って欲しい」
「そう、ですか。やっぱり私、足手まといってことですか?」
「……まぁ、怪我してるしな、仕方がないだろ」
俺はそう、曖昧に返答を返す。
ただ、そうしても言いたいことがあったので、少々ためらいつつも、口を開いた。
「もっとも、怪我してなくても、ここに残れって言ってるだろうけどな」
「?」
俺の言葉に、少々いぶかしげに視線を返す、はるかちゃん。
俺は、彼女の視線から目をそむけつつ、小さく呟いた。
「はるかちゃんが、ここで待っててくれれば、俺も必ずここに帰ってこれる、そう思えるからな」
「えっと、それって……」
曖昧だが、俺の心境は伝わったのだろう。はるかちゃんは、どこか照れたように首をかしげる。
何となく、気まずいような、くすぐったいような雰囲気が、部屋を覆った。
「なぁ、はるかちゃん、俺と……」
なんとなく、その場の雰囲気で、思わず口から言葉が飛び出ようとした、その時。
「若君っ!」
……絶妙のタイミングで、部屋に飛び込んできたのは、海野だった。
「う、海野、おまえなぁ……」
怒るわけにもいかず、苦笑を浮かべる俺だが、それにすら気づかず、海野はあわてた様子で、窓の外を指し示した。
「若、大変です、外がっ……!」
「外? 外ってったって、相変らず、雪だらけじゃ……」
ないか……と言おうとし、俺は絶句した。
降る雪で、白く染められている外の風景、しかし外の風景の白色は、降る雪だけではなかった。
二階の窓から見えるのは、建物の前の、大通り。
そこに、自然の色でなく、明らかに異質な白が混じってるのに、いまさらながら、気づいたのだ。
その白は、白い装束と、白い髪……唯一、肌の色が、違う程度である。
そんな人影が、十重二十重……いつの間にか、建物の前の道は、白装束の人間で埋め尽くされていたのだ。
その数は、ゆうに200を超える。
「……一体、なんだ、ありゃ?」
「あれは、エチゴの白虎隊です。しかし、どういうことでしょうか? エチゴとは数年前から、不可侵条約を結んでいるのに……」
俺の質問に、怪訝そうな表情をで答える海野。
と、屋敷の前で群れる人影のうち、その一つがまるで千切れるように群れを離れ、こちらに向けて声を発してきた。
「山本二十一殿はおられるか? われらはエチゴ白虎隊。我が主、直衛愛那様の命により、貴殿を迎えに参りました」
「直衛……だって?」
聞き覚えのある名前を聞き、俺は思わず声を上げていた。
それは、シンシュウを出る数年前に、係わり合いになったある男の関係だった。
「若、どうします? あれくらいの兵なら、今ここに在る兵でも、蹴散らすことは可能ですが」
「いや、あれは、俺の客らしいな……」
さらりと物騒なことを言う、海野の問いを退け、俺は椅子から立ち上がった。
呼ばれたからには、出迎えないわけには行かないだろう。
素性の分からない相手、というわけでもないみたいだしな。
「じゃ、行ってくるよ、はるかちゃん。海野、留守番よろしく」
「若!?」
驚く海野の声。それを背中に聞きながら、俺は窓の外に身を躍らせていた。
白く染まった風景、白く染まった人々。
そんな風景を眼に映しながら、俺は雪の積もった庭に降り立った。
「あなたが、二十一殿ですか?」
俺の目の前には、一人の少年。
雪のような白い髪を持つその少年に、俺はただ頷いた。
ほんとは、寒くて口を動かすのも、かなり億劫だったからなのだが……。
「先行します、ついてきて下さい」
それだけ言うと、少年は身を翻し、駆け出した。
仕方なしに、その少年の後を追う。
そうして、少年を先頭に、白装束集団は移動を始める。
俺もその中に加わりつつ、駆け出した。
シンシュウに戻り、僅か数日。ほんの数日で、この騒動である。
どうも順調に、すぐにオオサカに行けるわけではないようであった……。
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