☆ 答 25 ☆
A・カラフルな帯は秀吉好みだった?!
普通は帯といえば、端から端までどこも幅が同じもの。女性用の帯なら、胴に巻く部分だけ半分の幅に折り、お太鼓にする部分、つまり背中でふっくらさせる部分は、そのままの幅で使います。大正時代に登場した名古屋帯は、これを簡略化し、胴に巻く部分を初めから半分の幅の15センチにしてあるのが特徴です。手早く結べる合理的なこの帯は、名古屋の女学校の先生が考案し、当時の活動的な新しい女性が飛びついて全国に広まりました。現在も利用されている帯の一つです。
一方の名護屋帯はもっと古く、豊臣秀吉の朝鮮出兵の頃登場しました。名護屋というのは佐賀県の名護屋半島のこと。秀吉が朝鮮出兵のようすを伺うために城を建てたのは、この半島北部の海岸沿いの村、今でいう佐賀県東松浦郡鎮西町の辺りでした。
当時、秀吉が好んだのは、朝鮮渡来の「唐組(カラクミ)」という組みひものようなもの。そこで、これをまねて名護屋帯を作らせたそうです。白と紅、または青・赤・黄の組み合わせを中心に丸打ちの色糸を混ぜて組み、房をつけた帯でした。長さは一丈二尺八寸、後ろか横で結んで垂らします。夏用で、男も結び、江戸時代の初期まで流行が続いたそうです。
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