☆ 答 7 ☆
A・ジャイアント馬場の足は寛永通宝16枚分
足袋の大きさの単位「文」の語源となったのは、あの有名な寛永通宝です。寛永通宝には一文銭と四文銭がありましたが、このうち一文銭の方の直径(今の単位で2.4センチ)を一文としたのでした。
ところで寛永通宝の発行には、徳川家康の豊臣一族滅亡作戦が絡んでいます。
1614年、家康は、関ヶ原の戦いで敗れて一介の城主に成り下がっていた豊臣秀頼に命じ、秀吉が残した京都の方広寺に鐘を作らせました。そして鐘に彫った「国家安泰」という銘に目をつけ、「家康」が二つに分かれているのは何たることかと難癖をつけて兵を挙げたのです。これが大阪冬の陣。
この問題の鐘をつぶしてつくったのが、最初の寛永通宝だったというわけです。1636(寛永12)年のことでした。しかし、通貨に馴染みのなかった時代のこと、寛永通宝は思うように流通せず、幕府は苦肉の策で足の寸法の単位を決めた。これなら足袋の寸法を計るため、一家に一つは必要になる。708年の和同開珎以来、何度も貨幣がつくられながらも定着しなかった日本で、こうしてやっと本格的な貨幣経済が始まったのでした。
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