■山野一■



●『混沌大陸パンゲア』(青林堂・1993年)

この『混沌大陸パンゲア』は、山野一にしては珍しく青年誌で連載された作品『カリ・ユガ』や、『むしゃむしゃソーセージ』『工員』などいつもながらの鬼畜作品、『Closed Magic Circle』『ラヤニール』などのサイコな不条理作品、宗教的荘厳さを感じさせる『ムルガン』のような作品と、正に混沌とした幅広い収録内容となっている。

もう、山野一が再び鬼畜マンガを描くことは無いであろうことを考えると、この作品集は作者の鬼畜マンガ家としての完成形・集大成と呼べるものだと思う。その位に素晴らしい出来の作品集である。
初期の鬼気迫る雰囲気でもなく、最近の魂が抜けてしまったような感じでもない、余裕を持って淡々と鬼畜・不条理を描いている。
個人的に、この頃が山野一の最も良い状態だったのではないかと思う。

まず収録作品の『カリ・ユガ』だが、やはり週刊青年誌に連載という事で、完成度は高いが、内容はかなり大人しめである。
おそらく、作者なりに控えめにしたのか、編集者・編集部が必死に抑えさせたのだろうか。因業な話も何とか一般の許容範囲にしている。
しかし、元が山野一作品である。
劇薬をいくら薄めたところで、免疫のない一般読者には受け入れられず、わずか7週で打ち切りとなっている。
その代わり最終回では、今までのうっぷんを晴らすが如く、廃棄物不法処理業者が、シャブをキメてトラックを走らせ、トカレフで一般ドライバーを撃ち、不法投棄を止めにきたグリ−ンピースの連中に危険な廃棄物を浴びせて殺し、その廃棄物を飲料水用の貯水池に投棄したりとやりたい放題、本領発揮といった感じである。

その他の収録作品はは、エロマンガ誌に描かれた作品となる。
これは余談だが、当時のエロマンガ誌は、ある一定量のエロシーンさえあれば、あとは好きにやらせて貰えるという方針であった。そのためガロ系作家が描くには最適の場所だったのだ。また、編集者も良心的な人がいたのだろう。

そのためか、実に伸び伸びと鬼畜作品・不条理作品が描かれている。だからこそ、これが本当にたまらなく面白いのだ。

山野一というとかなり好き嫌いが分かれる漫画家だとは思う。
いや、好き嫌いというよりは貧困、狂気、不条理、を描いた強烈な作品群が許容できる人とできない人に分かれるといった感じだろうか。

ロットリング(ミリペンかもしれない)で描かれた一切感情を殺した均一線のため抵抗感は多少薄れるのだが、あまりに救いのないストーリーでギャグをやるというのは相当にタチが悪いマンガだ。
だが、このタチの悪さこそが山野一のマンガの面白さであり核心なのだ

貧困層の人間を徹底的に下品に描いたり、精薄の子供をいかにも低脳な感じに描いたり、つんぼの女工を工員がレイプして川に投げ捨てる話を描いたり、フリークス同士のセックスを描いたりしても、それら全てをあくまでギャグとして描く。

一見すれば、不謹慎な悪ノリに見えてしまうかも知れない。
しかし、偽善ぶった作品を描くのと、山野一のような作品を描くのと、どちらが楽かを考えればわかる思う。
メジャー誌に載る可能性はまず無い、一般読者受けは悪い、変な抗議を受けるかも知れない、そんなものをふざけて描き続ける訳が無い。

僕は、この山野一の姿勢に、自分は徹底して虐げられている人々や世の中で居ないことにされている人々を描くのだ、という強い意志と、ギャグとして包み込むことによる、それら対象への深い愛情を感じるのだ。
もちろん、愛情と言ってもベタベタした偽善ではない。
キチガイ、カタワ、知恵遅れ、貧困層の人間、乞食などの人々に対する「ある種の感情」を包み隠さず素直に表現する。そのことによって、それら対象の存在を認めるということである。
これは山野一の宗教観にも通じているのではないかと思う。

虐げられている人々の話を、やたら美化して、感動のお涙頂戴に仕立てるような連中はあまり信用することができない。
実は、こんな鬼畜マンガを描いている山野一のような人間こそが、本物の倫理観や道徳観を持った信用できるマンガ家なのではないかと思う。
まあ、作者としてはこんなこと言われるのが一番嫌なんだろうが。

どうしても波長が合わないという方には、無理にはお勧めできない。
しかし、一読する事で波長が合う、合わないの結果はどうあれ、新しい扉が開く事は間違いない作品だ。


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