■永島慎二■



●『シリーズ黄色い涙・漫画家残酷物語(全)』(朝日ソノラマ・1975年)

ガロやCOM等の劇画誌に掲載された作品を集めた短編集。
最初の刊行から数回再刊行されていて、この本は昭和50年発行の2度目の再刊の物。(全)の名のとおり、最初4冊あった単行本を全部集めたものなので、辞書並みの分厚い本だ。

内容はオムニバス28話からなり、どれもが漫画を通じて人生に思い悩む若者たちを描いた、あまりに潔癖な青春漫画となっている。


その中でも最も強いインパクトを放つのが、「嘔吐」という作品である。
巻末の真崎守による解説でも、この「シリーズ黄色い涙」の核心となる作品と書かれている。

あらすじを紹介。

主人公の秋葉は貸本向け雑誌に作品を掲載している、そこそこ人気のある漫画家。
ある日の出版社帰り、喫茶店で雑誌に掲載された自作を読み、突然秋葉は嘔吐してしまう。これにより、現在描いている漫画は、自分の目指していたものではないことに気づく。
秋葉は単行本の仕事をやめ、妻とも離婚し、今までの生活の全てを捨てて、本当の自分の作品を描くことを始める。
バイトで生計を立てながら寝る間も惜しんで作品を描く生活を続け、3年後ついに本当の自分の漫画を描き上げ、出版社に持ち込む。
しかし、どこの出版社に行っても良い返事は貰えない。流行の作品でなければ、売れる作品でなければ認めては貰えないという現実があった。
全てを捨てて、3年もかかって描き上げたものが紙屑となったことに、大きなショックを受けた秋葉は、デパートの屋上から原稿をばら撒いた後、屋上から身を投げて重態となる。
しかし、ばら撒かれた原稿を偶然目にした出版社が、作者不詳のまま出版し、本は大ベストセラーとなる。出版社は必死で作者を捜すが、みつけることは出来なかった。
一方、転落の怪我で足を切断し、ホームレスに身を落としていた秋葉は町で子供が持つ本になった自分の漫画を偶然見かける。
驚愕しながらも、追いかけようとするが、力尽きたのか秋葉は倒れ血を吐き、涙を流しながら絶命する。
そして、最後のページには「真に幸福であること それは私たちがいかに終わるかでなく、いかに始まるかの問題であり また私たちが何を所有するかではなくて、何を欲するかの問題である」という引用文がある。

夢と殉死した男の哀れな話にも見えるが、決してそうではない。
このような最期を遂げても、秋葉は幸福だったのだ。
最後に流した涙は無論、歓喜の涙である。
どんなに富や名誉を手に入れようとも、それだけでは決して流す事の出来ない真の幸福に満ちた涙である。

先の見えない青春というものを生きている連中にとって、これほど勇気づけられるものはないと思う。
例え間違っていても、あまりに重い存在を犠牲にしてしまったとしても、悲惨な末路しかないとしても、真の幸福を手に入れようともがくことは許されるべきなのだ。
青春を真剣に生きているものには、この秋葉の最期は神々しくすら映るだろう。

今から40年も前の漫画となるので、作品の背景などは古い感じも受けるが、肝心の内容に関しては、どの作品も全く古さは感じられない。
構成や絵などの技術を全て吹き飛ばしてしまうほどの、エネルギーとメッセージがこの漫画には込められているのだ。
だからこそ、時代を越えて読者の心を打つのだと思う。
これは、太宰治の「人間失格」等と同様に若者の「青春の苦悩」という普遍的テーマを描いた作品だからだろう。

この漫画は間違いなく、青春漫画の古典として、永遠に読み継がれていくべき作品のひとつである。




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