■ジョージ秋山■



●『アシュラ』(少年マガジン連載・1970年〜1971年)

「アシュラ」は数々の名作、奇作、衝撃作を描いたジョージ秋山の代表作と呼べるであろう作品である。
人肉を食べる描写などが問題となり、一部地域で有害指定図書に指定され、連載第一回が掲載された少年マガジンの回収騒ぎを起こした事などでも伝説となっている。
実際、読んでみると大人向け雑誌ならまだしも、少年マガジンでの連載なら当然の反応だろうな、と思う。しかし、世間への挑戦的に騒ぎを起こした永井豪などの場合と違い、あえて少年誌で年少の読者たち(といっても当時、少年マガジンは全共闘の学生達の間でも広く読まれていたが)に厳しいテーマをぶつけてみよう、といった精神が感じられる。
実際、作者は「銭ゲバ」や「告白」など、他にもとんでもない作品を少年サンデー等で連載したりしている。それに比べて青年誌では、あえておとなしめの作品(その代わり深みがある)を描いている。そのあたりでも、その意思は感じ取れるのではないだろうか。

この作品「アシュラ」は、飢えた男が子供に喰らいつくシーンから始まる。
そして、悲惨な飢餓状態の描写の後、人を殺してその肉をむさぼり食う狂女が現れる。これが主人公アシュラの母親となる女である。

身体に子供を宿しながら、屍肉を喰らったり、人を殺してその肉を食べたりして生きながらえて、ついに子供(アシュラ)を産み落とす。
しかし、アシュラを生んだ後、食料が完全に無くなってしまう。
半狂乱の状態でありながらも、愛情を持って赤ん坊を育ててきた女だったが、食料となるものが目の前の子供だけとなり、ついに自分の子供を火の中に投げ込み食おうとする。だが、ここで激しい嵐が起こり、洪水に流されたアシュラは瀕死の状態ながらも命を取り留める。
ここから、アシュラの凄まじい物語は始まる。

大人でも生き残れない悲惨な飢餓状態の中、アシュラは驚異的な生命力で生き延びてゆく。しかし、それは人間とは程遠い獣として生きて行くことになる。
ただ本能に忠実に、食うため、身を守るために人を殺し、人肉を食う事や人を殺すことに何のためらいも見せない。
年端も行かないアシュラが生き延びるためには仕方の無い事とはいえ、あまりに凄惨な生き方である。
この作品に何度も何度も挿入されるセリフ「生まれてこないほうがよかったのに」という言葉が実に痛切に迫ってくる。

しかしその後、散所での仲間や父親・散所太夫との出会い、荘園に暮らす優しい娘・若狭とのふれあい、アシュラを哀れみ人の道を説く法師の教えなどにより、アシュラに少しずつ人間の心が芽生え始める。
だがそれは、獣として人間の幸せとは無縁に生きてきたアシュラの心に激しい苛立ちを生む事になる。
それは手に入れられなかった家族愛、母親からの愛情(ましてアシュラは母親に食われそうになった)への憧憬、そしてそれらは自分は絶対に得られないであろうという絶望感である。
その為、幸福そうな家族団欒の光景を見て、その一家を皆殺しにしてしまうような行動も起こす。
アシュラが食うためや、身を守るため以外に殺戮行為を行ったのは、これが最初である。人間的な心が芽生えた事により、初めて無益な殺人を犯してしまうというのは、なかなか皮肉な描写である。

自分を食べようとした母親に殺意を抱いていたアシュラだが、最後もシーンでは、絶命した母親にすがりつき号泣する。
そして、母親の墓の前でたたずむアシュラが描かれた最後のコマに挿入されたアシュラのセリフは「生まれてこないほうがよかったのに」、である。
ここでのアシュラの目線は読者に向かっており、この「生まれてこないほうがよかったのに」というセリフは読者に向けられた「問い」なのかも知れない、と思わせる。非常に考えさせられる、痛みを持ったラストシーンである。

アシュラほどではないにしろ、多くの人が自分の生まれた環境に大なり小なり不満を持ったことがあると思う。
当時少年マガジンの読者であった、子供たち(大学生も含めて)ならばなおさらだろう。
これ以上ない最悪な環境に生まれ、親を恨み、世界を呪い、「人間らしさ」の意味を問うたアシュラの物語は、少年誌で連載することにこそ、本当の価値があったのだと僕は思う。




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