■日野日出志■



●ある地獄絵師の告白『地獄変』(ひばり書房・1985年)

恐怖マンガの巨匠・日野日出志。
この人のマンガを語る上で絶対に無視する事が出来ないのは、独特の絵柄であると思う。
もちろん、ホラー系の漫画が他のマンガと違う絵柄なのは当然だが、この人の絵柄は一般のマンガともホラー系のマンガとも違う。
漫画的絵柄をベースに、デッサンを意識的に崩した絵は、本当に独特で怖い。劇画的な絵で恐怖を与える事は、ある程度までであれば意外とたやすいが、漫画的な絵で恐怖を与える事はなかなか難しい。
この絵柄を完成させるための作者の苦労は相当なものであったと思われる。
そして、こういった感性的に恐ろしい絵が描けるというのは作者の感受性の豊かさがあると思う。
作者はインタビューなどでも語っているが、子供時代はとても臆病で周りの全てに恐怖のイメージを持っていたという。
あれだけ作中で描いている芋虫や毛虫は見るのも嫌いというほどだそうだ。決して、ホルマリン漬けの動物の死体をデッサンして喜んでいるような子供ではなかったようである。

この「地獄変」のストーリーは地獄絵師が恐ろしい生い立ちを告白していく物語だが、子供時代の何気ない未知の世界に恐怖を抱く想像力こそが、このような物語を描く原動力になっているのだと思う。
ドブ川、火葬場、入れ墨、屠殺、戦争、原爆、等をおそらく子供の頃の想像力を元におどろおどろしく描いている。
だからこそ、当時の読者であった子供たちにトラウマとまで言われる恐怖を与える事が出来たのだろう。

自分が嫌いだったり、恐ろしいと思っているものだからこそ、あんなにも不気味に気持ち悪く描けるのである。
本当に好きな人は美しく描いたり、誰かのパロディとして描くだろう。
気づいてみれば当たり前のことだが、美しいと感じるから美しく描ける、恐ろしいと感じるから恐ろしく描ける、ということだ。
もちろん凡人のそれとは違う、豊かで強い感受性で描かれたものだからこそ作品となるのだろうと思う。

そして、もう一つ重要なのは読者を恐怖に巻き込んだ手法である。安全な場所にいるはずの読者まで被害を受けるかもしれないという「脱マンガ」的手法は今でこそ珍しくないが当時は革新的で非常に面白い試みだったのではないかと思われる。

この作品「地獄変」にもその手法は使われている。
最後、世の中を地獄絵図にすることを宣言した絵師が読者に向けて斧を投げつけるシーンである。
自らの生い立ちと秘密を告白した絵師は最後、物凄いスピードで現実とも狂気の虚構ともつかない世界の中で家族を自らの手で殺し、世界に呪いの言葉をかける。
そして、「きみは死ぬ!!」「あなたも死ぬ!おまえも死ぬ!!きさまも死ぬ!!」「貴兄も死ぬ!!貴女も死ぬ!!てめえも死ぬ!!」「そっちも死ぬ!!あっちも死ぬ!!」と読者に死を宣告した後「みんな・・・!!死ねえ〜〜っ!!」と斧を投げつける。
その斧は弧を描き、読者の目の前に向かって飛んでくる。

これより以前の作品である「地獄の子守唄」という作品では、読者に3日後の死を予告するというジワリと怖い手法をとっていたが、「地獄変」では、スピード感ある台詞回しと、凶器を投げつけるという直接的な手法で読者に迫っている。
ホラー漫画で唯一安全な場所にいる読者に対して、境界を越えてみようとした試みだが、投げられた斧の鋭さこそが、日野日出志という作家の感性の鋭さにも思える。

「地獄変」は日野日出志の絵、手法などが完成された作品だと思う。
そういった部分で、この「地獄変」は、日野日出志という作家の旨みを凝縮した様な作品なので興味ある方には是非ともおすすめしたい。

余談だが、作者がインタビューで、もうホラー漫画をやめようかと考えていた頃に取材で大学の標本室で一ツ目小僧(単眼症の子供)の標本を見たその瞬間、一ツ目小僧に「逃がさないよ」と言われた気がしたと語っている。
漫画にはさんざん描いてきたが、そんなものが本当に存在するとは思わなかった自分の気軽さを恥ずかしく思ったそうである。
そしてその時、例えホラー漫画を描くことで地獄に落ちようとも、その代わり「必ず君の事を描く」とその子供と約束したそうだ。
いまさら後戻りは出来ない、と腹を括るきっかけとなったそうである。
実際それからの作者はホラー漫画に徹して、質、量ともに凄まじい作品を描いている。
いまだに、その一ツ目小僧を主人公とした作品は描かれていないが、いずれ描かれるであろうその作品が楽しみで仕方ない。



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