北斎 年譜
年号 西暦 年齢 事暦
宝暦10年 1760 1歳 9月30日、江戸は本所割下水に生まれる。
明和2年 1765 6歳 この頃より、好んで絵を描き始める。
安永2年 1773 14歳 この頃、彫師の技術を学ぶ。(この事が北斎浮世絵の細やかな彩色に大きく貢献をした。)
安永8年 1779 20歳 ついに勝川春朗の画号を得て、役者絵を中心に作品を発表し始める。
天明5年 1785 26歳 群馬亭と号す。
寛政7年 1795 36歳 宗理の画名を得る。
寛政10年 1798 39歳 宗理の号を門人に譲り、北斎辰政と号す。
寛政11年 1799 40歳 不染居北斎の号を用いる。画狂人の号を用いる。
文化2年 1805 46歳 葛飾北斎の号を用いる。九々蜃の号を用いる。
文化7年 1810 51歳 戴斗の号を用いる。
文化11年 1814 55歳 絵手本「北斎漫画」初編刊。
文化14年 1817 58歳 名古屋西本願寺で120畳の達磨半身像を描く。
文政2年 1819 60歳 為一の号を用いる。
文政6年 1823 64歳 川柳の号に卍を用いる。
天保2年 1831 72歳 「富嶽三十六景」シリーズの刊行が始まり、大人気となる。(天保4年にかけて刊行される。)風景画を中心とした活躍が始まる。
天保4年 1833 74歳 「諸国滝廻り」を刊行。
天保5年 1834 75歳 画狂老人の号を用いる。卍の号を用いる(没年まで)。
天保8年 1837 78歳 物見遊山自粛の触がでる。旅人北斎にとってはいかほどの思いであっただろうか。
天保13年 1842 83歳 翌年にかけ、獅子図を毎日の日課とした肉筆画「日新除魔」を描く。
嘉永元年 1848 89歳 この頃、信州小布施へと旅をし岩松院にて「八方睨み鳳凰図」の天井画を書いたと思われる。
嘉永2年 1849 90歳 4月18日、没する。法名は、南總(←正しくは部首が片)院奇誉北斎居士。


年譜参考資料:浅野秀剛・吉田伸之編「浮世絵を読む・北斎」朝日新聞社