寺だより

はすのはな第46号

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復興十年

三月十一日、世界でも未曾有の甚大な災害をもたらした、東日本大震災から早十年が経過しました。光陰矢の如くという思いですが、被災された皆様には、辛く長い十年であった事と存じます。改めて、尊い命を奪われましたご遺族の皆様には、衷心よりお悔やみを申し上げますと共に、故人様の御霊の安らかな佛果御増進をお祈り申し上げます。更には未だに二千五百数十名の方の行方が不明となっておりますが一日でも一時間でも早く発見が叶いますようお祈り申し上げます。

津波や原発事故などの放送を見る度に、今なお、信じ難い悪夢の様にさえ思えますが、正に紛れもない現実である事に、改めて自然界の偉大な力の怖ろしさを痛感します。

今年も東日本大震災復興祈念として植樹した、(河津櫻)が満開となりました。一段と復興が邁進されますよう、念じています。

(住職)

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節分会

今年は二〇四年ぶりに二月一日が立春でした。当山は立春の変動に関わらず毎年二月三日に節分会を行う為、一足遅れて行いました。新型コロナウイルスの影響で当山でも節分会の豆撒き式は中止となり、大護摩は他の御寺院の御助法無く当山のみで奉修しました。当日は住職が導師をはじめ、太鼓、祈願文、御加持と一人何役も担い、お申込みされた御護摩と共に、ご信徒様の健康、ご多幸、またこの病魔の終息を願って御祈祷を致しました。例年の様な盛大さは無いものの、この病魔の深刻さを物語っている様な厳粛な雰囲気で執り行われました。毎年お見えになっている方、御護摩を申し込まれた方、ホームページを見て初めてお見えになった方等数名が御参列し、毘沙門天様にお参りされていました。

毎年豆撒き式は一瞬で終わってしまうのに対し、それまでの準備が大変だと思っていましたが、それも実際無くなってしまうとやはり寂しいものです。元々は季節の変わり目で病気になりやすく、それが鬼の仕業とされていた為、疫病退散の願いを込めて「魔滅」「鬼の目を射る」という語呂合わせから炒った豆を鬼の目に投げるという事から節分は始まったそうです。今年はその本来の願いを込めて、私も0歳の息子と共に豆を撒きました。

毎年豆撒き式には袴を着て参加者全員で集合写真を撮り、信徒会館の壁に並べられているのですが、第30回目となるはずだった今年は飾る事が出来ませんでした。来年また、袴を纏い、皆様が笑顔の集合写真が撮れることを願っています。

(盛花)

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虹の橋

ペット供養で法要の際、家族同様愛情を注がれたペットちゃんの最期はとても悲しみでいっぱいです。御家族が涙し、私も心が痛みます。そんな中、先日一組の御信徒様に教えていただいたのですが、ペットちゃんの死後には天国の手前に「虹の橋」が掛かっていて、そこには色んな動物たちが楽しく暮らしているそうです。そして可愛がってくれた飼い主の方がいつか迎えに来てくれて一緒に天国に行ける日を待っているそうです。私はその「虹の橋」の存在を知りませんでしたが、その御信徒様は、「ペットちゃんを虹の橋に連れて行ってやってください」と涙を流しおっしゃい、法要後には「本当にありがとうございました」と、どことなく表情が和らいでいらっしゃったように見えました。宗教、信仰に関係なく、飼い主の方もペットちゃんも安心できる思想の一つだなと思いました。宗教を問わず、苦しみから救われ、より良く生きる為に、何か自分が共感できる考えを信じることは大切だなと、このご信徒様から改めて教えていただきました。

(盛花)

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明るい未来

1日に3~4件あった御法事も、以前は、コロナの影響で1件もないという週末が続きました。ご先祖様に御法事を通し御供養をして、普段会えない御親戚の方達と久しぶりに顔を合わせるのを楽しみにしていらっしゃった方も今回ばかりは仕方がないと1人、2人といった少人数でお見えになったり、卒塔婆でご供養される方もいらっしゃいました。しかしながら、ワクチンへの期待からか、最近では御法事のご依頼も多く、以前の様な忙しさが垣間見られるようになりました。会食業者の方もお仕事が増えてきているとおっしゃっていて、まだまだ油断は出来ませんが、「明るい未来がもうすぐそこまで来ている」と強く感じました。

当山の次の行事である「花まつり」もまだ検討中ではありますが、少しずつでも以前の生活に戻り、皆様方とお会いできる日を楽しみにしております。

(盛花)

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時代の変化

先日銀行に行きましたら、ATM機の前にお知らせが貼ってありました。確か、三月一日から硬貨の入金は何枚に付きいくらかの手数料が掛かりますといった内容でした。必然的に硬貨が大半を占めるお賽銭ですが、ご信徒様が仏様に帰依した尊い浄財を、手数料で減らすわけにはいかないと、そのお知らせを見た翌日から、数日間掛けてお賽銭を献上致しました。

令和2年春号の「はすのはな」で、あの「チャリーン」という音をいつまでも失いたくないと少しキャッシュレス浄財に対し批判的に書いたこともありましたが、こうも時代が変わり、社会が変わると嫌でも変わっていかなければならない事がいつかは出てきてしまうのかなと考えさせられました。

(住職)

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