はすのはな第28号 -平成27年春季号-
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高野山開創壱千二百年
本年、弘法大師空海の手で開かれてから壱千二百年を迎える高野山は、和歌山県北部、周囲を千メートル級の山々に囲まれた標高約八百メートルの平坦地に位置し、百以上の寺院が密集する日本では他に例を見ない宗教都市です。
その中心となる高野山真言宗総本山金剛峯寺は京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である弘法大師空海が宗教伝導の拠点とした寺であり、真言密教の聖地、弘法大師信仰の山として二十一世紀の今日も多くの参詣者を集めています。
また、奥之院は弘法大師空海が今も御入定(ごにゅうじょう)されている場所であり、その地に至る参道には多くの戦国時代の武将や諸大名の墓石や祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。
すでにお檀徒の皆様にはご案内させて頂きました通り、本年開創され壱千二百年の慶事を迎えるこの勝縁に際し、高野山に参拝致したく思っておりますので是非お大師様のおひざもとへお出かけ下さいます様、重ねてご案内かたがたお願い申し上げます。
節分会
去る二月三日第二十四回節分会豆撒式を二十四名のご参加を得て、盛大に魔事無く奉修致しました。
無常観
先日某新聞の、浄土真宗中興の祖・蓮如の「白骨の御文」という記事が目に止まりました。
一生すぎやすし(中略)我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すゑのつゆよりもしげしといへり。されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。(中略)ただ白骨のみぞのこれり
日常の法務において、真言宗の私共も同様のお経を唱えております。
無常安心章と云う経文は、
つらつら世の無常を按ずるに朝に花を玩びし紅顔も夕べには見るかげもなき白骨となり昨日は稼業にいそしみたる人も今日は、はや北ぼうの煙と化す(後略)
宗教観の根底である無常観を顕しています。
生と死は紙一重であり、命の、人生のはかなさを説いています。だからこそ、生きとし生ける物の生命は尊いものであり、また、歳月人を待たずというように、今という時間も二度と戻らない貴重な一瞬です。昨年流行語になった、「今でしょ」というフレーズは単なる流行語ではなく、日々の生活の中に常に留めながら、活かしていきたいと思います。
追悼文
蓮花寺檀徒総代長 森 正一
昨年、十月蓮花寺世話人・鈴木憲一様が急逝されました。享年六十二歳であり、余りにも若すぎる不帰でありました。
会うものには必ず別れがあるということは、この世の慣いとかねてより聞いておりましたが、人の世がいかにはかないものとはいえ、志半ばにしてこの世を去らなければならないことは、この上なく悲しいものであります。今、ここに過ぎし日々の故人との数々の出来事を思い起こしますと、惜別ひとしおであり、故人の人柄、優しさにあふれた教育者としての姿が蘇ってきます。
鈴木家は、代々蓮花寺の役員として、蓮花寺の護持繁栄に努めてこられました。故人のご尊父も長きにわたり総代長として精進され、現在の蓮花寺の礎をご住職と共に築き上げられました。故人も世話人として菩提寺の護持活動を進めるにあたり、格段のご尽力を頂いておりました。
故人は橘学院たちばな幼稚園の園長として「幼児教育の道」を歩んでこられ、一九四五年に久末の郷に幼稚園を開園され、創立五十年を迎えられました。建学の精神「豊かな心・健やかな身体作り」を目指して、幼児の成長の源になる保育を進めてこられ、この間、七千余名の園児を送り出されました。今日まで幼児教育に携わってきた御子息が故人の哲学を継承されて、立派な後継者として幼稚園を引き継がれておられます。
最後に、故人のご冥福をお祈り申し上げますと共に、ご遺族の方々の悲しみは、如何ばかりかとご察し申し上げ、心より哀悼の意を表するものであります。
お大師様のことば
【逝者(せいしゃ)は化して金剛の躬(み)となり、留人は変じて如意の身とならん】
訳:善行を積むことによって、死後も成仏して安楽を得、この世にあっては大きな功徳を得るであろう。
この文はお大師様が「華厳経」の功徳を讃めたたえ、この経を供養する法要で誦された願文の一節である。
意味は華厳経を供養する功徳によって、この世を去った人々は金剛のように堅固で壊れることのない身体を得、またこの世に生きている人々はその迷いと苦しみの身心を変じて、自由自在の身心となりますようにということである。
シリーズ⑫生きる力「お大師さまのことば」より
本年これからの行事
4月8日(水) 釋尊誕生会(はなまつり)
5月18日(月)~20日(水) 蓮花会(高野山参拝旅行)
6月15日(月) 弘法大師降誕会
7月13日(月) 新盆供養会
8月2日(日) 大施餓鬼会
8月13日(木) 新盆供養会
12月31日(木) 大晦日イベント
左:花まつり 右:除夜の鐘