ある朝のこと。
リーマスが、ラディッシュが食べたいと、叫び出し、さっさと、同じく席についている家族の存在を綺麗に忘れた様子で、家庭菜園に、収穫しにいってしまった。
残された2人は、あきらめて、食事を始める。
行儀の良い行為ではないけれど、3日くらい食事を取らないでいても、平気でいるような、生き残ることに対して非常に執着心の薄い、と思われる、リーマスが、珍しく食べたがっているのだ、見なかったことにしておこう。と、2人の間で暗黙の了解が成立していた。
家庭菜園の緑の中、精力的に動き回るリーマスを、眺めながら、シリウスがいう。
「ハリー、覚悟しておけよ」
ハリーも、シリウスと同じ風景を見ながら、出した結論は。
「3日は、ラディッシュ責め、かな」
食べたいものを作るのが、キッチンを支配する者の特権だと、リーマスは主張し、そして、リーマスは正しく、王様だった。
リーマスが食べたいというのなら、明日から、テーブルの上の特等席に収まるのは、ラディッシュに決定している。でも、食べ物である分、ホイップクリーム スミレの砂糖漬け添え 魔法族バージョンを、3日連続で見たときほどの衝撃はない。
だが、シリウスは、いいやと首を振り、
「外は、晴れだ」
窓からは、青空。確かに、気持ちがいい。今更、シリウスにいわれなくとも、それは、誰だって、勿論、ハリーもよく判っている。
「何を、したい」
ハリーがしたいことと、リーマスがしたがることといえば、
「ひなたっぼこ、ピクニック。あとは・・・」
思いつくままに、いいあげる。あとは、何があるのだろう。
ダーズリー家で過ごしていた頃では、思いつかなかった過ごし方。しかし、シリウスとリーマスに囲まれて過ごす間に、ひとつづつ、多分、普通の子供が経験するような、なんでもない日々を繰り返して、なんでもない事を覚えていく。
なんでもない日の過ごし方。の筈なのに、特別な過ごし方に換えてしまうのが、家族という魔法なのだということも知った。
だが、シリウスは、収穫を終えて、こちらに戻ってくるリーマスを眺めながら。
「あいつはな、学生の時から、青空を見ては、洗濯日和だと、呟くような奴だ。―――今日1日は、決まりだな」
掃除洗濯、炊事を趣味だと言い切っているような、リーマスだ。それをシリウスは、前世は、または、生まれ変わったら、屋敷しもべ妖精といって憚らない。そして、それに対して反論することも、既に、ハリーには出来ないでいた。嬉しそうに、楽しそうに、青空に映える白いシーツを芸術的に干すだろう。いわれてみれば、リーマスに一番似合う過し方、かもしれない。
「って、やっぱり、昔も、そうだったの」
卒業して、間もないころ、あの事件が起こる前は、どうだったの、と、ハリーが訊ねると、シリウスは、曖昧に笑う。
「あの時は、晴れてようと、いまいと、毎日だったな」
「へぇ、じゃ、今は、落ち着いたんだ」
シリウスが、意味ありげに、笑い。
「シーツだけは毎回変えないと―――」
勢い良く飛んで来た何かに、後頭部を強打され、テーブルに打ち付けるシリウス。無駄に派手な音を立ててのそれに、皿は、割れていないのか心配になり、のぞき込む。どうやら、両方とも無事のようだ。
「ハリー、怪我は、ないかい」
外から戻ってきたはずの、リーマスは、手ぶら。
シリウスの周囲には、飛び散るラディッシュと、それをいれていた籠。
何が起こったのか、確認するまでもなく、原因と結果が目の前にあるのだ、丸わかりだろう。
しかし、魔法というずる無しで、リーマスの両手は、何も持っていないのだから、そういうことになる。籐籠を使い、この惨状を導き出せるリーマスには、絶対に、逆らうまいと、こくこくと頷くハリーは、当然の選択だと思う。それを見て、安心するように良かったと言われるが、どう見ても、シリウスの方は、平気では、なさそうだった。
声もなく、むくりと、起き上がるシリウスの顔には、べっとりと、卵がへばりついている。シリウスの杖の一振りで、皿の上で、元通りの美味しそうな卵料理に纏まった。しかし、ハリーには、それを食べることに、多少の心理的拒絶反応を起こしかけている。
「リー、マス。なにしやがる」
「それは、こっちの台詞だよ。一体、子供に何を吹き込む気なんだ」
どちらかといえば、おっとりとしたリーマスの、らしからぬ剣幕に、かえって、気になるんですけど、とは言えない。漂い始める緊迫感に、黙って、食事を再開したことを、逃げと呼びたければ、呼ぶがいい。この2人の口論に、まともに付き合っては、いられない。
睨み合いが続いていたが、ハリーは、我関せずと、ひたすらに、食べている。絶対に、視線を上に上げてはいけない、万が一、その視界の隅にでも、どちらかが入りでもしたら、今の第三者的無関心を装うことは不可能だ。おかげで、折角の美味しい、ハズの、朝ごはんの味も、まともに判らない。
頭上では、無音の激しい戦いが繰り広げられ、やがて、あっけなく終結が迎えられる。それを確認して、念の為、必要以上にゆっくりと10を数えてから、ハリーが顔をあげれば、そこには、リーマスが、にっこりと笑っている。最初から判っていたが、リーマスの連勝記録が、また、1つ増えた。
「ハリー、洗濯日和だよ」
吹き出した。
シリウスの言う通り、晴れイコール洗濯、全然、変わってない、らしい。
「仕方がないだろ。一人暮らしに洗濯も掃除も、やることなんかないんだから。
服だって、そう持ってる訳じゃ、ない。2、3枚を、着潰すような生活だったんだ」
「トランク、一つの生活か」
呆れるシリウスに、
「きみに、だけは、言われたくないよ。
一体、何年着続けてたわけ」
囚人だったシリウスと、同じレベルで語れる訳がないと思うのは、悲しいことに、ハリーだけらしい。
「おまえ、何か、激しく勘違いしてないか。
あそこにいた時は、ともかく、ホグワーツに着いて、最初にしたことは、風呂と洗濯だぞ」
勿論、風呂と言っても、禁じられた森の川とか池での、水浴びに近いものだったが、生き返った気がした。と、シリウスは、得意そうに述べた。
「服を水で洗って、干してる最中は、犬になって、飛ばされないように、見張りだ」
胸を張り、当時の行動を振り返るシリウスの言ってることは、正しいと思う。ローブが飛んできたら、誰か、この場合、シリウスがいるとすぐに、ばれてしまう。だからといって、脱獄囚が、木に干したローブの前で、のんびりとお座りしていていいのだろうか。想像するに、非常に心和む光景でしか、ない。
「クルックシャンクスに会ってからは、生活水準が向上したな」
懐かしげに、述懐するシリウスは、リーマスに気づかない。
「石鹸、タオル、ナイフに、食べ物の差し入れと、随分と、世話になったよな」
リーマスの肩が、ふるふると、震えている。小さく、呟く。
「きみは、僕が、セブルス相手に陰険漫才をやらされてた時に、そんなに、のんびりと、洗濯だって、番をしてたって。ふざけてないか」
「俺だって、おまえを、探したさ。
クルックシャンクスは、人の名前を覚えないんだから、仕方がないだろう」
言いたいことは、沢山ある。でも、なにから言えばいいのか、判らない。そんな調子で、考え込み、言いかけ、ためらい。
「続きは、後でにしよう。
ただし、今度、ハーマイオニーに会ったら、例え彼からでも、出所は彼女に決まってるからね。クルックシャンクスからの差し入れの、最低でも、倍額は、贈り物を返すこと。――倍返しが常識、だったよね。
分かった、かい」
異論はないのか、シリウスも素直に頷いた。
よし、と、リーマスは、拾い集めたラディッシュを手に持って、キッチンに消えていく。どうやら、洗いにいったらしい。心のどこかで安堵するハリーは、リーマスのこと、てっきりエプロンの裾で、土を払うだけだと思っていたからだ。
「ところで、シリウス」
リーマスは、暫らく、戻ってこないと踏んで、ハリーは、自分の好奇心を満たすことにする。あの様子では、リーマスのいる場所では、絶対に、無理だろう。
「なんだ、ハリー」
一度、顔に張り付いたオムレツになんの抵抗もない様子で、確かに味には変わりはないのだろうが、シリウスは、中断された朝食を、何事もなかったように、続けていた。
「さっきの、続き。
なんで、シーツ、だけ、なの」
毎日、カーテンまで洗ったら、それは、ただの綺麗好きではくくれないものがあるとは思うけれど。だけど、シーツくらいなら、普通の範囲内だろう。
それに、洗濯好きで、何故、シリウスがしばき倒されるのか、全く、判らない。
暫し、考え込み。
「赤毛の双子は、どうした、そういう事は、言わないのか。
まぁ、おまえも、男だし。
もうそろそろ、知っていても、いい年頃だろう。
これも、父親代わりの俺の役目、なんだろう」
ぶつぶつと、呟いて、自分の中の何かと折り合いをつけつつ、出した結論。
「ただし、リーマスには、内緒にしておけよ」
「うん、いわないよ」
ただならぬ雰囲気のシリウスに、ハリーは、内心のドキドキさを、押し隠した。なにか、もの凄い、いけないことをするようで、しかも、リーマスには、ナイショのこと。するような、ではなく、絶対に、いけないこと、なんだと予想する。
「あの、な」
もう少し寄れと、内緒話のように、シリウスに呼ばれて。
大きいテーブルは、こういう時は、全くもって不便極まりない。
とてとてと、近づき。
「つまり、な」
シリウスの声に、ごくりと、ハリーは、息を飲み込んだ。
「つまり、なんなのかな。シリウス」
後ろからかけられた声に、二人して飛び上がった。シリウスの逡巡は、長すぎたのだ。
「り、リーマス。
いや、なんでもない。
あー、その。ハリーが、だな」
「ハリーが、なにかな」
「ハリーが、芸術的均衡における究極的シーツ干しを極めたいと、言い出してな。
おまえを驚かせてやろうと。
洗濯バサミもなく、ローブを干せるこの俺を、疑うのか」
「そうなのかな。ハリー」
シリウスのいうことなんか、頭から信じていませんと、顔に書いてあるリーマスに、シリウスを売るような真似は、流石にできず。そもそも、ハリーの好奇心が原因だ。ハリーも、一生懸命に、リーマスの説得に、努力した。
「そういうことなら、今日の洗濯は、2人にしてもらおうかな」
コクコクと、頷き。頷く以外に、2人に残された選択肢があるはずがない。
結局、その夏の間には、判らないままだったシーツの謎は、2人いる親友に相談を持ちかける事で、解決しようとしたが、1人は、同じく首を傾げ。もう1人には、冷たく、それは、冷たく、サイテイと、のたまわれた。 |