6:夜の帳に山査子の棘を
田舎町であるからなのか、ここの夜風はやけに身に沁みる。
しかし、俺は寒さをものともしなかった。気温などに心奪われている暇などないし、そんなのに囚われる感覚の空
き容量なんて塵ほどにもない。
燈火駅は死んだように静まり返っていた。当たり前だ、日が入れ替わるような真夜中に、こんな場所に人がいたら、
おかしいと思う前に110当番だ。
ポケットを探り、ケータイ電話を取り出して開いてみると、時刻は残り5,6分で零時に達しそうであった。
ケータイをポケットにしまい、俺はフィールドを見渡した。ロータリーの中心に手入れは行き届いているが、ちっ
ぽけな花壇があるだけという場所。
ここが……場合によっては戦場になるわけだ。
その時、不意に風を切り裂く音がした。俺はあえて、微動だにしなかった。それが最初から、当てようと思って投
擲されたものではないと判っていたから。
石を弾き、刺し穿つ鈍い反響。そして静寂。
―――どうやら、待ち合わせ場所は、正確には別の所のようだ。
投げられた何かは上から、多分、改札口辺りの窓からのものだった。俺は警戒心を張り巡らせたまま、階段を上っ
た。
改札口はしんとしていた。人がいたということを忘れさせるような―――廃駅と称されても何ら疑いは持たないだ
ろう。
俺は改札口の一歩手前で足を止めた。
その爛れた駅の、ホームへと続く、階段の手前。
そこに、人影が揺らめいていた。
「約束通り、馳せ参じた次第だが」
俺は慇懃無礼に、先手を打った。
相手は何も言っては来ない。こいつが誰なのかは判らないが、竜千時ではなかった。気配が明らかに異なっている。
影はこの暗闇でも判るように、大仰に肩をすくめた。
「―――数ヶ月前に別れた奴のナイフを、さも知りませんよ、みたいな口調で言ってくれるなよ、『絶対離反』」
年相応の深み帯び、だがどこか底の浅さを感じさせる声。
この世に同じ声帯を持った人間がいない限り―――それは俺が二度と聞きたくない奴の声だった。同時に、二度と
聞こえないようにしたい声―――
「なっ……まさか、貴様っ」
俺が驚くのと同時に、駅に明かりが灯った。
燈火駅―――その名に相応しい、目を焼くような光が。目が焼き付きそうになり、俺は右手の甲で顔を覆った。
明順応の終わりに、俺が見た顔は、
「感動の再会だなぁ、ウタカタよお?」
切れ長の甘ったるい目形、程よく筋肉のついた体躯、茶色がかった髪の毛―――そして、その造形。
俺が屍の上で復讐を誓い、捜し求め、そしてついに発見できなかった仇敵―――
「フランコ・ジャクソン……っ!」
憤怒と悔恨の入り混じった憎悪を、俺は隠すことなく解き放った。そいつ―――フランコ・ジャクソンは口から煙
草の煙をこれ見よがしにドーナツ状にして、
「おいおい、そんなに睨むなよ。同じ釜の飯を食った仲じゃねえかよ」と言った。
「どの口でそんな言葉を吐ける……っ」
「事実を語ったまでだ、ジャパニーズ」
フランコは吸殻を地面に捨て、足で僅かな火種を消した。
そう……そいつの言っていることは確かだ。
俺と奴は同じ軍隊に所属していて、三食すべてで顔を合わせていたし、気さくに喋った仲でもあった。
あの時までは。
「……どうして貴様がここにいる?」
冷静さを取り戻してから、俺は尋ねた。
返答はいたってシンプルだった。
「オレがお前の敵だからに決まってんだろ」
「……そうか」
―――それ以上の言葉は必要なかった。
奴に近寄らんと、満身の力を込めて疾走、そのまま改札口を飛び越えようとして、背筋が凍りついた。咄嗟に身を
屈めると、さっきまで自分がいた場所を高速で何かが通り過ぎ、一瞬遅れて金属音が響いた。
投げナイフ―――奴の最も得意とする手法である。
俺が立ち上がると、奴の姿は忽然と消えていた。ホームに下りたようだった。
呼吸など忘れて、俺は階段を下った。
ホームにも電気が通っており、時計も動いていた。今が零時ちょうどだ。
そのホームには、何やら武装した集団が蠢いていた。その数30余り……否、40を超えるかもしれない。
その邪魔者どもの後ろに、奴がいた。
「それで猿山の大将気取りか。はっ、よくお似合いだな」
俺は内なる憎悪を隠そうともせず、奴を憤然と嘲った。奴は大して気に留める様子もなく、喋り始める。
「ほう、オレが猿ならお前は何だ? 仮に人間だとして、有象無象の猿に勝てるとでも思っているのか?」
「俺が人間か……ずいぶんとまた昔のことを言ってくれる」
そう、奴を目の前にした時点でこの身は悪鬼内包せし修羅。それでなくとも人間などでは到底ありえない。人間で
あれば、この絶望的な状況に、悲嘆に暮れるだろう。しかし、俺にとってはこんなもの、勝機のある場所以外の何
物でもない。
然らば、手は剣訣を結び、雪恨怨嗟の光跡を哭く。
―――奴がおもむろに、口を開く。
「さて、オードブルを全部平らげられたら、メインディッシュが出てくるフルコースだ。お代はお前の命、途中下車
は不可能。さてさて……まずはオードブルからだっ! 食わなきゃ先には進めねえぜっ!」
その一声が始まりの合図となった。
武装した連中が一斉に銃器を掲げる、その刹那―――
(フィーリングアース・ドライブオン)
俺は意思金属を目覚めさせた。筋力・感覚分野を強化して、手近にあった自販機を持ち上げて前菜に向かって投げ
た。
悲鳴を上げながら、ドミノのように打ち倒されていく。気絶した者はよしとして、気絶していない者に俺は駆け寄
り、引き金を絞る前に、玉枕を一突きして昏倒させていく。そして銃の斜線に入る前に飛び退いた。
突然の突拍子もよらない攻撃に虚をつかれた部隊は、しかしどうにか体勢を整えたようだ。近距離にいてはやられ
る、と悟っただろう、奴らも同じように後退した。
残りは―――約15。
俺はロックされないように走りながら、気絶している人間を掴んでは投げた。その大半は狙いをつけているため、
誰かしらにぶち当たった。
人が為せる技を超えた絶技を目の当たりにし、連中は統率を乱している。
(……ふっ!)
俺は強化する部分を脚力のみにし、そこだけに焦点を当てた。変革したのを感じながら、疾風怒濤を巻き起こす。
即ち―――目にも映らぬ速さを体現させた。
今、俺がいるのはコンマの世界。森羅万象の息遣いすら聞こえそうな領域の中で、次々と連中を気絶させていった。
一人、また一人と。
そして―――
数分と時が経たぬうちに、部隊は全滅した。
ホームの端で、奴が手を叩く音が、風に乗って届いた。
「ブラボー、さすがだな。腕は落ちていないようだが……こいつらは下級兵士だからな、次はこうはいかねえぜ」
「次、だと?」
生きて帰るつもりなのか?
生きて帰れるつもりなのか?
俺は笑いそうになった。いや笑っていた。どうしよもなく、笑えた。腹が曲がるくらい、愉快なジョークだった。
「ははは、ははっ……、貴様に次などあるものかあっっ!」
後半部分は完全に叫び声になっていた。狼の遠吠えより邪悪でひどく、負の方向をもった叫びだった。
そんな俺の言葉を意にも介さず、奴は、
「いいや、あるさ」
不敵に囁いた。
遠くから、何かの音がする。これは……汽笛っ!?
「オレが逃げおおせればなっ!」
奴は走ってきた貨物列車に飛び乗った。驚愕したのも束の間、俺はすぐに我を取り戻して逃がすものかと、ホー
ムを蹴った。
極限の脚力は、どうにか最後尾の鉄柵を掴むことに成功した。姿勢を制御しながら、どこへ行くとも知らぬ超特
急に乗車した。
コンテナは一切乗っていないし、奴の姿も見えない。もっと前方にいるのだろう。
強化部分を再び全身にして、俺は歩き出した。しばらく行くと、急に積荷が折り重なっていた。
―――殺気ッ!
鋭敏に反応した神経が、反射的に体を動かせた。双剣を掴み、殺気が向けられた箇所をガードする。
ガキャッ、と耳障りな金属音がした。上で何者か―――言うまでもないだろう―――が舌打ちした。
切磋琢磨を蛇足以上に研いだ感覚を行使して、俺はコンテナの上に―――舞台に上った。
「―――良い夜だなぁ、ウタカタ?」
先ほどの舌打ちは何だったのか、と感じさせるくらいにフランコの語調は軽かった。
気を抜けば、すぐにでも落ちてしまいそうな強風が流れている。平衡感覚を割り増ししている俺はいいとして、
奴は増幅なしで平然と立っている。どうやら……腕は落ちていないようだ。
「……ああ、血の色を鮮やかに彩るには、ちょうどいい頃合だ」
奴は俺の言葉など無視して、自分の言いたいことを続けた。
「そう、あの時もこんな夜更けだったなぁ」
俺ははらわたが煮えくり返そうになった。
奴がそれを語るのは、断固として許せない……
奴は拍車をかけるように、まだ続ける。
「祝福すべき夜明けだったろうよ、何せ国民までを犠牲にした戦争に終止符が打てたんだからな」
ふざけるな。殺戮を楽しんでいたのはどこのどいつだ。
無関係な一般市民を不可抗力と称して、虐殺切り刻んだのは、どこのどいつだ……っ。
「本当に一生に一度だけの夜だった……」
「……………」
俺は何一つとして答えない。答えたら―――俺の中の得体の知れない黒いモノが動き出してしまいそうで。
「―――ま、最初から寝返ることは判ってたんだよ、オレは。挙動が怪しかったしな、まったく……やれやれだぜ」
ぷちっ、何かがキレる音がした。
「馬鹿な奴等だと思わねえか? あんな少数で立ち向かってくるなんて、頭がおかしいと思わねえか?」
「…………」
歯が見えるくらいに、俺は憤っていた。眉間には皴ともおぼつかぬ峡谷が出来上がっていることだろう。
俺の反応に満足したのか、フランコは最後の一言を放った。
「―――あー、そういえば馬鹿の中に一人、悲劇のヒロインがいたなあ。先導者に仕立て上げられて、可哀想にねえ」
ブチンッ。何かが壊れる音がした。
「……れ」
「お? 何か言ったか?」
聞き耳をそばだてるフランコ。さも、楽しそうに。
「……れっ」
「聞こえねえぜ、ジャパニーズ?」
もう、我慢ならなかった。過去を雄弁するのは、まだ堪えられたが、こればかりは……
婉曲とはいえ、奴の口から……
「……れぇっ」
「ぼそぼそ言ってちゃ、何も判らんぜ?」
何かを、すべてを―――あの夜明け前のことを語られるのは許せない、許さない。
思い出とするには、あまりに惨憺たる、その情景。
懐かしむには、あまりに寂寥伴う、その感慨。
流れる血には意味がなく、流れる風も感じずに、流れるはずの時は止まっていた。
その中で一人、日が昇るまで、笑っていた彼女。その裏で、何を思っていた? 何を感じていた? すべてを包み
込むようなその微笑みは……まるで、儚き夢より朧げな幻。
消えぬように、繋ぎ止めるように拭う涙は……気付いたときには枯れ果てていた。その顔に笑みを残したまま。
話せば、判るはずだったのに―――
すべてが、救われるはずだったのに―――っ。
「そうか、皆まで言って欲しいか。そんなら言って進ぜようか。あのクソ女を―――」
「黙れぇぇっっっ!」
俺は理性を忘れて咆哮した。
脳裡を掠めるは、遠い日の紅色に染まりし過去。
俺が護ろうと思った最初の人、俺が護れなかった最初の人。
そして今、眼前に立つは、終幕を形作った怨憎会苦の権化。
「貴様だけは―――この手で殺す……っ」
俺は宣言した。
真横で、水元市の駅が通り過ぎる。
フランコが高らかに、夜の戸張に吼えた。
「上等ッ! やれるもんならやってみろやっ!」
それに応えるかのように薄暗かった線路に写真のストロボのような光が注いだ。
「くっ……」
目を開けてられないほどに、ロドプシンが一気に分解された。
奴の体が沈み込み、両手が翻る。小手先から銀色に輝くナイフが地を這うように繰り出され、俺を目掛けて寒気の
間をすり抜けてくる。
俺はその中で1本を切り捨てて回避した。
(ちっ……)
正直、かなり辛いものがあった。
これならば、まだ銃のほうがやり易い。
何故かというと、銃ならば連射は利くが、一斉射撃となると話は別だ。完全に呼吸を合わせることなど不可能であ
るから、そこに付け入る隙間が存在する。だが、投げナイフだとそれが可能となってしまうため、非常に避け辛い
のだ。
加えて、フランコの技術は達人レベル、地面と密着して低姿勢から急所を舐めるようになぞり、投擲されるナイフ
は、一つ当たっただけで致命傷となってもおかしくはない。
更に、先ほどのフラッシュによって、視力と遠近調節に若干狂いが生じている。逃げると思わせておいて、自分に
都合のいい領域に持ってきた、というカラクリか。
状況は劣悪を捲っても最悪だった。
……それでも、体は志向性をただただ発している。
されば、この身は求心に従わん。
「………」
フランコまでの距離は10メートル前後。投げナイフの射程距離は通常長くても6,7メートルくらいだが、電車
の慣性が範囲を拡大させている。しかも、その間には車両間の大きな溝があった。接近を許さない、奴なりの浅知
恵だろう。とは雖も現実問題、その溝は大きな隔たりだった。
奴は二発目を射出した。左右合わせて合計、6本の凶刃。どのように避けようとも、1本は必ず当たる不可避の塘路。
うち2本を落として、そこに出来た死角に身を滑り込ませた。肩を軽く抉られたが、コートのおかげで大事には至っ
ていない。
……このままでは、こちらに勝機はない。足場が悪いなどの、要素があり、接近戦を挑もうにも、接近自体が難しい。
それに奴が安々と近距離戦を許すはずもないだろう。
かといって、完全にチャンスがないわけではない。奥の手くらい、しっかりと持っている。だが、それを使うから
には一撃必殺が必須条件だ。
「ほらよっ!」
叫びとともに発射される3発目。今度は5本、しかし打ち落とさなければ、どれかに肉を奪われることに変わりは
ない。
新月を振り被り、ナイフの軌道を逸らそうとした瞬間――
「……っ!」
唐突に閃光弾を髣髴させる目映い光が放たれた。
そのタイミング、その過剰なる光後光に網膜が焼かれ、感覚だけで下ろした剣は何とか当たったが、その後の斜線
上からの離脱に失敗した。
「が……っ」
右肩を貫く鋭い痛み。痛覚が大脳に訴えかけてきた時には、既にナイフが刺さっていた。それほど深くなかったこ
とが、幸いといえば幸いか。
その穿孔機を抜き払い、舞台から捨てた。
と、同時に急激な吐き気と眩暈に襲われた。荒げそうになる呼吸と心拍を気力で押さえ込む。
こんな時に副作用が来るとは―――っ! 俺は戦慄以上に、焦りを感じた。目の前のものがブレて見える。平衡感
覚を維持するだけで最早、精一杯だった。
活路は―――な、
いいや、ある。絶対にある。あるに決まっている。この程度の死線、いくらでも乗り越えてきたのだから。
されば、最大値を弾き出す、その瞬間を見極めるべし……
俺は―――傍から見れば正気と思えないだろうけど―――目を閉じた。挙動の一切も停止する。
「はっ! どうしたっ? 負けを認めたかぁっ!?」
奴の嘲笑も、俺の耳には届いていない。三半規管すら、機能を失っているからだ。
無我の境地、明鏡止水、涅槃寂静……
自然と、俺はそれを行っていた。
流れる水の一滴を掻き分けて、大気を全身で感じ、エーテル全てを判別する。感覚ではなく、本能として。
奴の一撃がまた放たれる。
俺は目を開けていた時と同じくらい、いやその数倍くらいにナイフを感知した。だからこそだろう、俺は僅か過ぎ
る隙間を見つけ、飛来する物体を叩き落さず、全回避した。
奴の目が驚愕に見開かれたのが伝わってくる。
視覚を封じての非人間技を見たのだから、当然といえば当然の反応だろう。
こみ上げる吐き気を抑え、意思金属のリミッターを限定的に解放しての、気感戦闘手法『陰陽連環』。その名の通り
気を感じることで一手を討つ方法である。気、とはいっても、気功といった方面だけではなく、大気、生気、心気
……ありとあらゆる気を感覚しての戦闘手法。出来れば、やりたくはなかったのだが……自慢の動体視力も、多勢
の光重合には適わない。今後を鑑みると、などと贅沢は言ってられなかった。
投げナイフにより更なる趨勢が掛かる。次々に繰り出される鏖殺の白刃。感知しては身を翻し、翻し、繰り返し……
その数100余り。どこにそんなに凶器を隠し持っていたのか疑心暗鬼に駆られるくらいの量だった。
ナイフが風切音を立てて、そばを通り過ぎていく。
その間にも、着々と、俺の神経回路は蝕まれていった。
「くっ……」
まるで世界が反転するような感覚に、俺は苦悶の声を上げた。
―――『陰陽連環』は気を鋭敏に感じるために、すべての感覚神経を暫定的に変換させなければならない。末梢か
ら中枢まで、ありとあらゆる神経を、それに集中させなければならない。よって徐々に、神経が気を感じるためだ
けの器官になってしまうのだ。
それより導き出される結論は、感覚という感覚の消失。顕著なものは、平衡感覚が無くなってしまうことだった。
その、人にとって最も主要な感覚がなくなってしまえば、戦闘どころの話ではない。だから、これは本来、最終
局面において使うべきなのである。
一度使えば、戦闘終了まで解除は出来ない。
「……ふっ」
俺は荒波に呑まれないように、自らを一括した。
(あともう少し……っ)
唯一の機会は、一点のみ。確実に、という冠詞が付属するのはその一刹那のみだった。
思考、行動している間断にも時間は着実に流れていく。
そろそろ肉体的にも、精神的にも限界が近付いてきている。体の違和感、虚脱感、嘔吐感に抗えるのも、あと数分……
そして申し合わせたかのような間隙に―――
―――今、勝機が訪れた。
(レフトハンド・リミッターオフ)
俺は、望月にあらん限りの力を込めて、アンダースローで、フランコ目掛けて一擲した。
―――望月は刀身が反った、非常に奇妙な形をしているのが特徴的である。無論、反りがあるのは当たり前だがこ
の剣は格が違う。異常とも言えるような、急激な湾曲。玄人が見れば、瞬時に駄剣と判断するだろう。
製作者は何を思って、これを作ったのか? 切れ味はそこそことは雖も、先端部が重く、他は比較的軽くて、扱い
づらく、そう……まるで投げてくださいと言わんばかりの鋼。
人の筋力では到底投げられまい。だが―――筋力という制限を超越した者ならば、この剣は遠距離武器にもなれる。
例えば、この俺。
剣を放物線状に投擲する―――『朧月飛燕』
「そうくると思ったぜっ!」
奴が威勢良く吼えた。屈伸から立ち上がり、後方に飛ぶことで下から襲い掛かろうとしていた望月を回避しようと
動いた―――俺の、予想通りに。
手の内は知れた者同士、当たらぬことは百も承知。策は二重三重に張って、初めて功を奏す。
俺の狙いは、その先にある。
下から向かってくる凶器を避けるには、人は後ろに思い切り飛び退くのが普通だろう。現に、奴はそうしている。
それこそが俺の狙いだった。
俺は引導を渡すかのように、親指を立てて、振り下ろした
「―――あばよ」
そして、舞い戻ってきた望月を掴み取り、俺はうつ伏せに横たわった。
遅れて何かと何かが衝突する音。くぐもった絶叫。
奴は俺の行動の真意を図るまでもなく、打ち付けられたことだろう……トンネルの上部の壁に。
電車は宵闇より昏い漆黒に突入していった。
(ふぅ……)
俺は安堵し、うつ伏せから仰向けになって、フィーリングアースを停止させた。
可能、と思ってやったことだったが、絶対成功する、とは言い切れなかった。奴が気付いてしまえば不毛に帰趨し
てしまう。
否……確実なものなどない、そこには価値があるだけだ。
やるだけの価値はあった。ただそれだけの事。
この辺りにトンネルがあることは、朝方に判っていた。キイと隣町を行こうとした時、降りる駅を乗り過ごした時に。
やけに古典的手法だったが、結果的には奴はトンネルと激突、俺は電車の上、思い描いたシナリオ通りだった。
そして……仇を討った。
「……………」
だが、復讐とは何故こんなにも虚無感ばかりが募るのだろう。この手にはその証明すら無く、成し遂げた感慨すら無い。
あるのは、戦いが終わった、という安心感のみだ。
「……さて、途中下車といこうか」
トンネルを抜け出て、降りるタイミングを窺っていたら、胸ポケットが振動し始めた。あの乱戦で壊れなかったと
は、ケータイ電話なるものの強度を俺は認識し直した。
ディスプレイには……響さんの番号が表示されている。
俺は通話ボタンを押した。
『………ッ! ………ッ!』
何かを言っているようだが、周りがうるさくて聞こえない。俺は受話音量を最大にして、再び電話を耳に当てた。
『式人君ッ! ちょっと聞こえるっ!?』
「聞こえてますよ……もうちょっと声のトーンを下げてください。耳が痛くなります」
『なに呑気なこと言ってんのよっ! 大変なの、キイちゃんがどこにもいないのよっ!』
「なっ―――」
俺は顔面蒼白になった。
「つまり、連れ去られた、と?」
『……そうかもね』
苦虫を噛み潰したような声で語る響さん。そこにはきっと、完璧だと思っていたセキュリティに対する後悔と、自
分の不甲斐無さへの嫌悪感がこもっているのだろう。
響さんはなおも大声で続ける。
『とにかくっ、私も今探しているトコだから、式人君の方も色々と当たってみてっ!』
「判りました、では」
俺はケータイを切って、ポケットにしまった。
ここから燈火駅まで戻るのには、果たして何時間くらいかかるのだろうか。出来ることなら、日の出までには戻り
たいものなのだが……
―――不意に、悪寒を感じた。
どことなく、そこはかとなく、言いようのない感覚。
しかし、その根源は見える。俺の中の中核が、ひたすらに危険を訴えかけてきている……
見落としている?
見逃している?
一体……何をだ?
―――解答はすぐに提示された。
路線が突然、切り替わり、俺は振り落とされそうになった。そこで俺は気付いた。始まりがあって終わりがあるの
に同じく出発があったのなら、終着があることを……っ!
今となっては後の祭り。
猛スピードで走り続ける暴走特急は止まりそうにない。
―――前方の倉庫にでもぶち当たらない限り。
「ちっ!」
俺はすぐに降りようとした、が、激突のほうが早かった。
ガアァァッッッッン!
豪快な音を立てて、電車は倉庫の壁と正面衝突した。俺は、その拍子に姿勢制御もままならないまま、体を投げ出
された。
……無重力空間、とはこれを言うのだろう。上下左右、という囲いなどはなく、宙に漂う。
ただし……正確には、ここは地球だ。
1Gが常に負荷としてかかる惑星だ。
だから、俺は落下していった。
名も知らぬ、人知れぬ、森の上へと。
―――だから、
キイが行かないでと、夢現に言っていたのを、
今更になって思い出したのは。
とてつもない、皮肉だと思う。
〜〜〜 † 〜〜〜
朝焼けに街が行動を開始する前、雀が鳴き始める時間には全然足りていない、そんな時間帯。
「どこにいるの……?」
―――少女は彷徨う。路地裏に蒸発しきれずに溜まってしまった泥水に足を取られようとも歩く、歩く。
何のために? 判らない。
誰のために? 言うまでもない。
……自分のもとから誰かが離れていくのには、慣れていた。彼女の記憶の大半は別れこそが主題であったから。
繰り返される遭遇、そして別れの中で少女に出来たことは、せめて涙を見せないことだった。
―――そう、少女の自慢は人前で泣いたことがない、ということだった。辛くても、笑っていれば、いつかは良
いことがあると信じていた。信じ続けたからこそ、生き続けた。
そうして少女が身につけた……否、身につけてしまったのは愛想笑いを貼り付けて、ふざけているような見せ掛
けの自分、一言で表すなら処世術。巡りに巡る、ただ回るだけ。
自分が笑うことで、相手も笑ってくれる。笑って手を振れば相手も笑いながら手を振ってくれる。
寂しいことなど、一つもない……
まるで、リピートのかかった音楽のように変哲のない日常。昨日は今日と同じで、明日は今日と同じ。明々後日
は明後日と同じで、明後日は矢那明後日と一緒。一昨日も同じこと……
そうしているうちに、いつしか少女は自分を隠すための殻を作り上げた。絶やさぬ笑みという、何よりも固い殻を。
そこに閉じこもっていれば、楽しいことがない代わりに、苦しいことは何もない。
少女の絶対防壁。
陥落不能の、冷たい冷たい、虚勢という名の意思。
―――だが、今となってはその固い殻は剥がれ落ちた。
何故だろう? いつものことではないか。だったら、何でこんなにも自分は歩いている? 探している?
明確な理由など、目の前にあった。ただ、少女の欠落してしまった部分が、それを気付かせないのだ。
普通なら鮮明かつ克明に現れている、けれど少女には不明瞭でそれでいて、一握の砂のように指の間から零れ落
ちる。
悲劇と称するには、それはあまりにも悲しくて。
喜劇と言うには、それはあまりにも救いようがなくて。
観劇するには、それはあまりにも忍びない。
「ねえ……お願いだから、出てきてよ……もう、変なコトしたりしないから……」
その、切な祈りを聞くべき者は遥か彼方にいた。
先刻から降り出した雨はしとしとと、少女の頬を打つ。その緩やかで、暖かくもある水音は少女の涙腺を刺激す
る。
けれども少女は虚ろであっても、号泣はしない。
故無論、泣きもしない。
「お願い、だから……」
―――少女の哀願は、雨に包まれ、消えていった。
〜〜〜 † 〜〜〜