0:プロローグ
世界は、気付いたら赤く染まっていた。人の業を滅却せんと、炎は猛り、燃え荒ぶ。まるで送り火のように。
―――男は走る。
呼吸はとうに忘れていた。息が切れそうになるも、意識が止まろうとはしない。ただ、前へ、前へ。
男の周りには有象無象に屍が折り重なっていた。それが、この場所が如何なる場所かを、十分すぎるほどに示し
ていた。
生きているものが珍しく、死んでいるものが普通。
基準は、まさしく破綻していた。
その中にあって、男はさしたる感慨もなく走り続ける。その速さは疾風の如くに、風を切り進む。
これを自分が生み出したものだと、判っている。すべての元凶は自分達にあるのだと、判っていた。
それでも、行かなければならない。後ろ指を差されようとも、今だけは。
……どうしてなんだ。
男は胸中にて、独白した。
だけど、過ぎ去ったことを嘆いても、誰かの手が差し伸べられるはずもなく、報われるはずも、ましてや救われる
はずもなく、不幸は唐突過ぎるから、知らず知らずのうちに襲い掛かり、根こそぎ奪い取っていく。
自分たちのあずかり知らぬところで、始まり始まり、始まり終わり、終わり始まり、終わり終わり、そして不幸は
絶望に終わる。
否、不幸が絶望に終わるとは限らない。最後にひっくり返って、幸せになってもいいはずだ。
―――そして今、その終点が見えた。
遅かった。すべてが、遅かった。
折り重なった亡骸の上、求めていた少女の前には一人の男が立ち塞がり、その手には―――西洋刀が握られていた。
止めろっ、そんな切実な叫びを、しかし死刑執行人は気にも留めなかった。そして哄笑をたたえて、
―――ジ・エンド
男の刀が、少女の胸に突き刺さる。血が、せき止めていた体を突き破り、一斉に吹き出した。
それは赤いこの世界と同じ色であり、同色なのに、その赤はやけに映えていた。飛沫を散らし、赤い世界に一際鮮や
かな真紅を飾っていく。
まるで夢のように。
笑止、ではこの痛みはなんだ?
自分が感じている傷の痛み、そしてこのやるせなさは、夢だとしたら何なんだ? 夢は痛みを感じるのか?
判りきった答えのある問いを、男は自問自答する。
答えは……見つけたくなかった。
なら夢であれ、と。
いっそ、すべてまやかしであれ、と。
……そう願うには、現実はあまりにも確定的だった。
―――誰かが近付いてくる気配がした。
伏せていた顔を上げると、それは断罪され、命を絶たれたはずの少女のものだった。
胸に刺さるナイフの浅さは……せめてもの慈悲だとでもいうのだろうか。
少女が地を這い、苦しみながら、それでも近付いてくる。
男が地を蹴り、再び出会わんと駆け寄る。
せめて、その手を、もう一度。
ただもう一度、繋ぎあいたかった。
大切な人の、傍へと―――
神様は残酷だ。
ハッピーエンドなど、御伽噺の中でしかない。
言うことは―――それで十分だろう。