夏の夜中の風物詩。

 

スイカ、花火、蚊取り線香、風鈴……。

 

 

「――とまあ、全部揃ってるウチは最高だっつーわけだ」

「それもそうですね。縁側もあることだし」

 

 

梅の湯の北側にある庭では、月高の生徒たちがコンビニで買ってきた花火で遊んでいる。

庭はわりと広い。そのせいかどうかは知らないが、篠原が林を追い掛け回している。

……また何かやったのか、と安藤は頭を抱えた。

 

 

「ガキっつーんは元気なもんだよな」

「……それをあなたが言いますか。その考え方でいくなら、人の歯を殴って折るような人は

元気があり余っているということになりますが」

「お? まだ根に持ってんのか?」

「奥歯だったから許せますけどね。前歯だったらきっと考えてましたよ」

「そいつぁ考え違いだな。アタシの拳はマシンガンじゃなくて狙撃銃なんだよ」

「やれやれだ。返す言葉もありませんよ」

「だろう? 相手の刀を折るのがアタシの趣味なんだ」

 

 

風が吹き、風鈴を鳴らす。

 

 

「――そういや、このあたりの同年代で生き残ってるのって、アタシとお前くらいなもんだよな」

「そんな大災害が起きたわけでもあるまいに……。みんなここを出て都会に行っちゃっただけですよ」

「アタシは知らんぞ、そんなの」

「そりゃあそうでしょう。きっとあの学校であなただけですよ? 同窓会名簿も、

連絡網ですらも名前が載っていなかったのは」

「ああ、なるほど」

 

 

得心したように、女主人――千里は手を打った。

彼女は手元にあった独楽を取って、ヒモを巻きつける。

そして中空に向けて回し――それを、人差し指の先でキャッチした。なおも独楽は彼女の指先で回り続ける。

 

 

「にしても不思議なのは、お前との縁が切れてないってことだ。つーか、どうして知り合ったんだっけ?」

「……知ってて言ってるんでしょう。俺が自分から言いたくないってこと。

そういう、どうでもいいことに限って、記憶力が上がるのは誰でしたっけね」

「ありゃ面白かったよ。なかなかいねえぜ? 女にフラれたくらいでブランコでたそがれてる中学二年生は」

「――昔の話ですよ、それは」

「そうだな。昔の話だ」

 

 

千里は独楽が止まる直前に指先だけで投げ上げて、右手でそれを掴んだ。

安藤が口を開く。

 

 

「昔の話でいうなら、千里さんは暗黒時代が多すぎますよ。

高三あたりで一年くらいいなかったし、ふらっと現れたかと思ったらまらいなくなるし」

「あー、ちょいと高三の頃は病気でね、入院してたんだよ」

「病気……ですか?」

「そうさ――って、なんだその顔は。アタシだって人間なんだ。かかるものは、かかるんだよ。

ていうか、正確に言うと入園なんだが……まあ、それはどうでもいい話か」

「はあ……。そうですか。えっと……じゃあ――」

「多分、お前の想像通りだよ。アタシがアイツと出会ったのはそこに行く前だ」

 

 

闇夜に浮かぶ月を見上げて、千里は独白する。

 

 

「懐かしいな……。当時はその病気のせいで、けっこう自暴自棄んなってたんだよ。

やりたいことは思いついた瞬間にやった。それが社会的であれ、反社会的であれ。

だから仲間内からは疎まれてた。つうか、怖がられてた。あいつは何を考えているのか分からない、ってな。

アタシもその内に、自分が何考えてるのか分からなくなってきた。

やりてーこととやりたくもねーことの境目がなくなってきたんだよ。

具体的に何をやったのかなんて言いたくもないが、たった一つ言えっつーんなら

――何もかもが狂ってた。そんな時だ。アイツがアタシの前に現れたんは」

 

 

千里は麦茶でのどをうるおした。

安藤はひたすら聞き役に徹している。

 

 

「アイツは――なんてゆーか、ほっとけなかった。アイツも思いついたら即実行っちゅータイプだった。

ただアタシと違ったのは、アイツには力がなかった。決して阿呆じゃねえし、体力もそこそこあった。

けどな、引き際っていうやつを知らなかった。どこにも線を引かなかったんだよ。三途の川が見えちゃいねえ。

自分の踏んでる土が何なのかも知らねえ。で、問いただしたらよ、アイツぁこう言ったんだよ。

今できることは今できなきゃ一生かかってもできない、ってな。べつに銃弾は一発じゃねえし、

ルーレットは何回だって回せるっつーのに――なのに、その言葉を聞いた時、背筋に何か、すっと降りてきたもんがあった。

そいつがアタシに語りかけるんだよ。お前はそれでいいのか――アタシは即答したよ。

抜かせ、くたばり所はここじゃねえ――ってよ。で、入院……じゃなかった。入園したんだよ。

ある医療機関に。生きるために、な」

「……その間、あの人と連絡は」

「取ってねえ。もともと死人だったんだ。生まれ変わったら会いに行く。それが、アタシの誓約だったのさ」

 

 

二人はスイカを取って、食べ始めた。

 

 

「で、何のかんので病気のほうはどうにかなった。で、探したんだが捕まらねえ捕まらねえ。

どうやらアタシのいない間に世界中をまたにかけ始めたらしくってな。だから、アタシは待ち続けたんだよ。

千載一遇のチャンスってやつを。で、そいつがやってきた。奇しくも、この町の近くにあった孤児院でな」

「孤児院――ですか」

「ああ。お前にゃ明かしてもいいか――。雅巳と春奈はな、アタシの本当の子供じゃないんだよ」

 

 

それは、初めて聞く話だった。

あそこで遊んでいる彼らが、本当の子供じゃない――。

 

 

「アイツの親戚だか何かが一家揃って逝っちまってな。

あいつらは身寄りがなかったから孤児院に預けられることになった。

制度か何か知らんが、アイツじゃ子供を引き取ることができない。

で、考えたのが――孤児院から勝手に連れ出そう、っていう計画だったんだよ」

「……無茶苦茶やりますね」

「だろ? アタシはその話を風の噂で聞いて駆けつけたが――一歩遅かった。

 

 

会ったときには赤ん坊同然の二人を抱えて逃げてるトコだったよ。感動の再会、なんつーイベントもねえ。

アタシの車に乗せて県外まで――ガソリンの続く限り逃げ続けたよ。

まあ、あっちも子供がいすぎてパンク状態だったらしくって追っかけてはこなかったんだけどな。

後から聞いた話じゃあ、孤児院的にはどちらでもよかったらしいんだよ。いい加減にもほどがあるっつーの。

でさ、各地を転々としたんだよ。北海道から九州まで。どこらへんだったっけな? 

そうそう、長野が一番危なかったなー。なんせ一時期、警察に追いかけられたからさ。

いやー、あん時は覚悟してたね、色々と」

 

 

今となっては、笑い話のようだった。

千里の横顔には穏やかさがある。

 

 

「で、どっかでこりゃ結婚するしかない、って思ったんだよ。きっかけは聞くなよ? 

 

 

ウェディングドレスに憧れた? な、なに馬鹿なこと言ってんだよ。んなわけねーっだろうが! 

……ったく、話の腰を折りやがって。まあ、そろそろほとぼりも冷めてきた頃だし、

どっかに定住するのもいいかなって思い始めてたわけだ。で、婚姻届をもらって帰ってきたら

――アイツはいなくなってたんだよ。跡形もなく。二人の子供だけ残して」

 

 

しゃり、とスイカをかじる音が、やけに大きく響いた。

 

 

「置手紙なんて気の利いたもんもなかった。後から考えたら、多分アイツは婚姻届を出して、

公に自分たちの名前が知られたらまずいとでも思ったんだろうな。

どうあったって、アタシとアイツは誘拐犯なんだから。ともあれ、アタシ達は置いてけぼりをくらった。

三行半でもたたきつけられた気分だったよ、実際。アタシにできるのは二つだった。恨むか、信じるか」

「……それで」

「アタシは――どっちか決めかねたよ。けど――」

 

 

そこで、千里は自分の子供たちを見た。

彼らはロケット花火で遊んでいた。

 

 

「あいつらに、せめて自分の第二の父親くらいは教えてやりたいと思った。

まだ雅巳が三歳くらいだったから、二人とも面影を覚えてたらいいほうだ。

だから――アタシは信じることに決めた。また、待つことにしたんだ。初めて出会った、この月見ヶ丘でな」

「……どこへ行ったか、見当はついているんですか?」

「ああ。アフリカ行きの飛行機に乗ったっていうのがアタシの掴んだ情報なんだが

――エチオピアだか、そんな名前の国にいったらしい」

 

 

それで、安藤は息を呑んだ。

昔、そう、確か千里のいうアイツが消えた後、隣の国のソマリアで内戦が広がったはず……。

そのことを、彼女は知っているのだろうか。

 

 

「ん? どうした、圭一? アタシの話はもう終わりだぞ?」

「……一つ、聞かせてください」

 

 

安藤は、彼女に向き直った。

 

 

「もしも、彼が帰ってこなかったとしたら、どうするんですか」

「は? 信じてる、ってアタシ言っただろ?」

「本当に――最後まで、信じられると?」

「――抜かせ」

 

 

千里は言う。まるで少女のように晴れやかに、まるで乙女のように初々しく――頬に笑みを浮かべながら。

 

 

「きっと――きっと、アイツに会った瞬間から、アタシはアイツのものだったんだよ」

 

 

その時、一際大きな音がした。

見上げると、それもまた、花火だった。

どこかでお祭りでもやっているのだろうか、どんどんと打ち上げられていく。

 

 

「辛気くせえ話はこれくれえにしねえか?」

「――そうですね」

「ようし! 行くぞ!」

 

 

千里は安藤の手をとって、子供たちの輪に入っていった。

彼女のことだ、打ち上げ花火を水平方向に発射するくらいのことはやりかねないから、

注意しなければ――。

そんなことを考えながら、安藤は苦笑した。

今日と同じような暑い日、彼と彼女と彼は、同じようなことをして、

その時も、同じようなことを考えていたからだ。

だからこの人は、信じ続けることができるのか。

妙な確信が、安藤の中にあった。

 

 

「よっしゃーっ! 第一撃目標ー、そこで走り回ってるバカップルにけってぇぇいっ!」

「カップルじゃありませんっ!」

「うわあっ! 篠原、お前それツッコミどころ違うし、つうか花火は人に向けちゃいけないんじゃないのっ!?」

「問答無用っ! きっとモウマンタイ!」

「「……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」」

「冬川君と春奈ちゃんって、けっこう息あってますね。

普段はケンカばっかりだから、ちょっと信じられませんけど」

「……生徒会長。俺はこの状況で動じないお前が信じられない」

「5、4、3――」

 

 

 

止めることが、自分の役割だ。

 

 

 

「千里さん、ストーォップッッ!!!」

 

 

 

夏の夜に轟音が響く。

 

 

 

そして――。

外の喧騒とは違って、室内。

引き出しの一番奥の、誰にも見つからない場所。

そこには、夫の名前の入っていない婚姻届が、今も眠り続けていた。

 

 

 

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すべての王道を叩き込め。

コンセプトは、そんな感じ。

過去のことが抽象的なのは、ちょっと理由があったり。

でもまあ、ここで語ることではないですがね。

いやー、女主人と安藤先生にそんなつながりがあったなんて、

お兄さん、書いてて驚きですよ。想定の範囲外でした。

ちなみに、ここで小話。

女主人は重度のメカ音痴で、銭湯の湯加減なんかは春奈がやってたりする。

で、たまに気まぐれで機械をいじったりすると風呂の温度が80℃くらいになってしまうという罠。

で、春奈が一声。「お母さんは触っちゃダメだって言ってるでしょ!?」

かくして冬川家のヒエラルキー、ここに確立。

エロガッパこと冬川雅巳はきっとシュードラみたいな扱いでしょう。