その知らせを聞いたのは、あの夏の日から3年経った日のことだった。
Acquired Monochromat
それはもう、**ではなかった。俺の知っているものではなかった。
じゃあ誰なんだ。え、『誰』って人間に使う言葉だろ? 何だこれ。
何だ、何なんだこれ。知らない。俺は知らない。こんなもの知らない。俺はしらない。
知らない、知らない、しらない、シラナイ、知らない知らない知らない知らない知らない――――
しっている。
「……っ、帰る」
そう言って立ち上がると、隣にいた母さんが俺を見て、止めようとして、やめたようだった。
自分でもわかる。焦点が合っていない。何も考えられない。ここは何なんだ。
この堅苦しい黒いスーツやネクタイも鬱陶しいだけだ。ああ、早く帰って脱いでしまいたい。
参列する人々の間を潜り抜けて式場の外に出る。
白と黒に彩られた世界。モノクロだ。そうさ、色なんか必要なかった。
黒いスーツが熱を吸収する。汗が頬を伝った。
ポケットに手を突っ込むと、中でくしゃりと音がした。
取り出せば煙草が一箱と百円ライター。普段吸わない身としては銘柄が何かもよくわからない。
……そういえば、大学入ってすぐ、サークルの新歓コンパで先輩に持たされたんだった。
けど吸わないから、クローゼットの中で眠っている、着る予定も無いこのスーツのポケットに押し込んだのだと思う。
一本咥えて、火をつける。驚いたことに咽なかった。初めて口にしたときはあんなに咳き込んだのに、それが嘘のようだ。
「……未成年」
「……中にいなくていいのかよ、理央」
「…………」
理央は黙った。俺と同じような黒いスーツを着て、髪の先から汗が落ちてもまるで気にしていないようだ。
息苦しさに俺はネクタイを緩めた。シャツが肌に張り付いて気持ち悪い。
気持ち悪い、何が? この状況が。この状況って何だ。俺は知らない。知らない、知らない、絶対に。
理央とあても無く道を歩いた。
このクソ暑い夏の日に、スーツ着こんだ男が2人。端からみたらどんなに奇妙だろう。
「がっこー……行くか」
「は?」
俺の提案に理央はそう返してから難色を示した。
しかし、行くところなんて他には思い当たらない。そこに行くべきだというような感じさえする。
「古河絢矢、来てなかったよな、まだ」
「……この時期はあれだろ、夏期講習」
「――――そう、だな」
俺もそうだった。見事に現代文の補習に引っかかって、みっちりご指導受けて。
その後部活でめいっぱい泳いで、そうすると歌が。歌が聞こえる。
翼をください。
……お前は勝手に翼作ったじゃないか。――お前って、誰なんだよ。
道端の自販機でコーラを2本買った。1本を理央に向かって投げる。
ぱしん、と小気味のいい音。ナイスキャッチ、そう言って笑おうとしたけど、頬の筋肉は固まったまま動かなかった。
「っわ、なっつかしー……」
卒業以来ほとんど顔を出さなかった、この校舎。
古河絢矢とは卒業した後も夕飯食べに行ったりして遊んだりはしていたけど、敷地に踏み入るのは本当に久々だ。
思い出す、卒業式。少し早い桜が咲いて、みんな泣いてて、絶対泣くと思ってたのに俺は泣かなくて、
――あれ? **はどうだったんだっけ。泣いてたかな。寂しいけど嬉しいね、って笑ってたんだっけ。
「……うわ、お前ら」
ちょうど職員玄関から出てきたのは、俺たちと同じようなスーツに身を包んだ古河絢矢だった。
変わらない憎たらしい顔。
「行かなくていいのか? 特に理央は――身内なのに」
また理央が黙った。理央と古河絢矢は2,3言葉を交わして、古河絢矢はどこかへ向かったらしかった。
俺はその場にいる必要がないと思った。俺には関係のない話だ。知らない。
理央の身内の話なんか――俺は、知らない。
歩いて中庭のベンチのところまでいく。少し向こうにプールが見える。
夏の青さ。空の青さ。**が好きだと言った青さ。それは、どんな色だっただろうか。
「……瀬川、いい加減戻って来いよ」
後ろから理央が声を掛けてきた。
セミの声。うるさい。じりじりと照りつける太陽。暑い。
――ここは**が歌ってた場所なんだ、邪魔するな。
「奈央は死んだんだ」
「……な、おなんて知らない」
「知ってる」
「知らない」
「……知ってる」
**……*お、な*、なお、奈央。
その名前を口にすれば、思い出が溢れて流れ出して止まらない。
止めることなんかできない。奈央は今だってすぐそこに、俺たちのすぐ傍に、居て当然なんだから。
「奈央はいつも、ここで、歌ってて、」
いつも、翼をください、と歌っていた。
そして翼をつくった。
「泳いでる俺を、好きだって、言ってくれて、」
俺が好きな、あの笑顔でそう言っていた。
そして、二度と言わなくなった。
「水の中、音があって、無くて、好きだって言ってて、」
あの笑顔で、俺と同じことを考えていた。
そして、音の無い世界へ旅立った。
「歌手のオーディション受けたって、最終選考の通知がもうすぐ来るんだ、って言ってて」
コーラス部のソプラノパートの彼女の美声は誰もが知るところだった。
そして、もう歌わない。歌えない。歌エ。歌わない。歌えない。
「……全部忘れたら、楽だって思った。奈央なんて最初からいなかったことにすればいいんだと思った」
だから俺は忘れた振りをした。奈央なんて名前、最初から知らなかったんだと、そう思い込もうとした。
誰の葬式かなんてわからなかった。理央の身内なんて、父親と母親しか知らない。
古河絢矢が誰に慕われてたのかなんて、知らない。俺があの日、誰にプレゼントをあげようとしたかなんて、知らない。
鈴城 奈央なんて、俺が大好きだった奴のことなんか、俺は知らない。俺はもう知らない。
知らなくなる。いつか忘れる。それが怖いんだ。
忘れようとすれば、忘れなくなる。そうやって俺は奈央を記憶に留めておきたかった。
だってほら、――あんなにも、こんなにも好きだったのに、もう声だって思い出せなくなってる。
「何でだよ……! 何で奈央は死んだんだよ!! 奈央が自殺なんてするはずない、そうだろ!?」
「っ…………」
警察は自殺だって処理したみたいだけど、納得いかない。
どうしてあの奈央がそんな。考えられなかった。もしそれが事実なら、俺は俺を殺してやりたかった。
「あんな、あんな、嬉しそうだったのに、俺と会ってくれるって、言ってたのに!」
理央のネクタイを掴んで、がくがく揺すった。
理央は無抵抗だった。奈央が失踪したあの日も、俺は同じことをした。理央も同じ反応だった。
何度も何度も、どうしてだと訴える。理央に? いいや、セカイに。
「……奈央は、死んだよ、瀬川」
諦めたように、諭すように、今にも泣きそうに、理央は呟いた。
どこか自分に言い聞かせているようにも、聞こえた。
――そんなことわかってたんだ。逃げてただけで、よく、わかってたんだ。
奈央がここにいないなんてこと、理央が一番よく知ってる。俺はその次に知ってる。
「………分かってんだよ、本当は……! 古河絢矢も、俺も、理央も、奈央も、何も悪くないって!!」
燦燦と降り注ぐ夏の日差しに頭を殴られた。俺は為す術なく地面に膝をついて、手をついた。
誰も、何も悪くない。
「奈央が、……奈央がっ、何したってんだよ……!! 俺が何したってんだよ……!!!」
どうしてセカイは俺たちから奈央を奪ったんだ。
セカイに人は掃いて捨てるほどいるのに、どうして掃かれて捨てられるのが奈央だったんだ。
どうして、俺じゃなかったんだ。
「……俺を殺してくれよ、理央」
俯く理央の前髪から地面へ、ぽつぽつとまるで雨のように汗が滴っていた。
俺の前髪からも同じように、ぽつり、ぽつりと。
「……俺を殺せよ」
「……できない」
「……そっか。……そうだよなぁ……」
苦笑するしかなかった。自分で自分を殺すことも、誰かに殺してもらうこともできない。
奈央の世界は終わったのに、俺はまだまだ世界を途切れさせることができないらしい。
コンクリートの地面にごろんと横たわった。背中に強い熱さを感じる。
相変わらず燦燦と輝く太陽が、全身を串刺しにした。
この日差しが槍だったら、俺は今頃死んでいるのに。
空を仰ぐ。だだっ広い夏の空。
奈央が好きだと言ったこの空の色は、どんな色だっただろうか。
もう思い出せない。
奈央の瞳や、仕草や、声も、この空の色も、思い出せない。
奈央の居ない世界に色なんか必要なかった。
セカイはもう、ただ俺の死を待つ葬儀場だ。
白と黒だけが、途方もない俺の人生のレールに用意されていた。
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* あとがきゃ。*
せっかくの1周年だのに、めっさ暗いわ。
空と理央って言うから、これしか思いつきませんでした。
色盲って意味の時点で「先天的な」が入ってるのに無駄にあがいてみました。
えーと、空色のすぐ後(っていっても3年後)のお話。奈央の葬儀。
空は、奈央への感情が家族愛だってことにまだ気づけてないんですよ。哀れ。
クリチューでもそう。空→奈央とかその逆は家族愛です。
とかまともなこと語ってみたけどごめんなさい。
マジで暗くてごめんなさい。
つーか意味わかんなくてごめんなさい。
空と一緒に心中したい気分ですごめんなさい。
私のを最後にするよりまいるど氏の作品を最後にして思いっきり笑うべきではないのだろうか。
宿題が終わりませーん。(逃避)