通いなれたさかりを後に
平成2年4月から運転しているレトロ列車2編成のうち、おやしお号(緑色のほう)が平成16年6月をもって引退することになりました。
横浜博覧会のアクセス用として製造されたおやしお号は、三鉄入線後は快速サーモン号や、「青少年ふるさと発見銀河鉄道」などの団体輸送に活躍しました。
6月27日のさよなら運転では、午後2時20分、さかり駅を久慈に向けて出発。2度と来ることはない盛の発車を、岩手開発鉄道の貨物列車が、まるで名残を惜しむように立体交差の地点まで並走しました。
三陸駅では、6月は検査中だったはずの「さんりくしおかぜ」と列車交換。後輩たちの見送りといったところでしょうか。
三陸駅は、第一回目の「青少年ふるさと発見銀河鉄道」で、訪問地活動で管理人が訪れたところでもあります。あの時、入ってくる列車をみながらあわてて子どもたちに「はしれぇ!」と叫んだことが、昨日のことのように思い出されました。
乗車証明書を配布
車内ではおやしお号のしおりと、「乗車証明書」が配られました。しおりによれば、平成元年に横浜博覧会のアクセス輸送に活躍した後、三陸鉄道には平成2年に入線、平成4年の「三陸・海の博覧会」でもアクセス輸送に活躍するなど、まさに三陸鉄道の看板車両でした。
釜石からはJR山田線に入りましたが、ここでも男子高校生が「おれ、この車両に幼稚園の頃乗った」と話していました。みなさんから愛された車両です。
大槌では、これも名残を惜しむかのようにJRの「kenji」号と交換。陸中山田でもJR車両と最後の顔合わせとなりました。
岩手船越では、しばらくこないうちに駅舎が建て替えられ姿を消していました。昔はマリンパーク山田もあり、にぎやかだったのですが・・・。
そして追憶のかなたへ
宮古から北リアス線に入ると、三陸鉄道の観光案内のアナウンスと共に、繰り返し「おやしお号は6月末で引退することになりました。永い間のご愛顧ありがとうございました。」と放送が流れ、いよいよ終着が近いことを感じました。大沢橋梁、安家川橋梁でも名残の徐行運転。野田玉川で最後の列車交換を終えると、おやしお号は定刻午後6時50分、夕暮れの久慈駅に到着しました。
ありがとう、そしてお疲れ様、おやしお号。
※おやしお号は6月30日の快速サーモンにて運転を終了しました。くろしお号は引き続き運転を続けます。