平成17年3月、鹿児島にいってきました。(鉄道に詳しくない人や、青年団を知らない人にはわからない記述があるかもしれませんが、自分的にはあくまでひとつの出来事なのでまとめて書きました。)

平成16年3月、九州新幹線が開業した。その終着である鹿児島には「全国地域青年団応援サイト」や「まいんのおもちゃ箱」の管理人であるまいんさんがいる。九州新幹線が開業した頃「鹿児島にいってみたいですね」とはいっていたのだが、なにぶんにも岩手から鹿児島は遠く、忙しいこともあって「言ってみた」だけの状態であった。しかし、鹿児島は新幹線より魅力的な「路面電車」「築100年の木造駅舎」などがあり、あまり間をおかずに訪れてみたいと感じていたのも事実。今回、新幹線開業1周年を記念し、台風シーズンの前に、鹿児島行きを決意した。
1日目の日程(3/25)
くりこま高原1825(やまびこ66号)2100東京2200(サンライズ出雲)〜車中泊
往路については列車利用とした。勤務終了後東京まで新幹線で行けば、翌朝飛行機に乗るより利便性が高い。サンライズでは個室寝台では最も金額の安い「ソロ」利用。この寝台は部屋が狭く、本当に眠るだけの設備である。それでも車内にはシャワーがあり、310円で汗を流すことが出来た。
2日目の日程(3/26)
(サンライズ出雲)627岡山652(ひかり341号)849博多F910(リレーつばめ5号)1025*熊本市電・熊本電鉄乗り歩き*熊本1552(リレーつばめ49号)1612新八代1615(つばめ49号)1702鹿児島中央
せっかく鹿児島まで行くのだから、ついでに熊本によることにした。博多からのリレーつばめ号で「ハングル語」の車内案内があるのがJR東と違うところである。熊本で下車し、早速路面電車に乗り込む。熊本駅〜田崎橋〜健軍町〜上熊本と乗車し、熊本市電を制覇。お昼は上熊本駅前のラーメン店で「替え玉」を初体験。こういうシステムがあれば、ラーメンライスなどは廃れてしまうのではと思った。上熊本で市営バスから盲導犬が降りてきた。なでてやろうと思ったが彼も勤務中なのでやめておいた。東北のほうでは、公共交通機関を盲導犬同伴の障害者が利用する場面にあったことがない。上熊本からは熊本電鉄に乗車。昔東京急行で活躍した5000系電車が現役でがんばっていることに感慨を覚えた。北熊本〜御代志〜藤崎宮前と元東京都営6000形にのり、熊本電鉄を制覇。途中、藤崎宮前〜黒髪町の間が、併用軌道みたいで面白かった。上熊本に戻り市電を乗り継ぎ熊本に戻る。熊本からリレーつばめ号、新八代で九州新幹線に乗り換えた。木材をふんだんに使った車両は立派だが、トンネルばかりで面白みに欠ける。すっかり眠ってしまったところをアナウンスで起こされると、そこは鹿児島中央だった。

鹿児島県青年会館に宿泊

新幹線の車中でまいんさんから「渋滞で遅れる」とメールが入ったので、下車後とりあえず駅を出ると、鹿児島は思っていた以上の大都市であった。早速市電乗り場に行くと、軌道敷が芝生になっていた。日本にもこんな電停があったのかと感動を覚える。芝生の軌道敷は美観だけではなく暴走車の進入を防ぐ効果もありそうだ。電車の写真をとっていると郡元行きの電車からまいんさんと奥様のミンメイさん(ネット上ではこの名前。日本人である。)がおりてきた。顔をあわせるのは初めてなのだが、お互いにすぐに分かった。聞けば、渋滞がひどいので駐車場に車を置き市電に乗ってきたとのこと。早速ユートラム(鹿児島が誇る低床電車。)で移動し、車に乗り換え鹿児島県青年会館(艸舎)に移動。まず、青年会館の中を案内してもらう。建築してまだ3年なので岩手の青少年会館より新しい。それと、あくまで「青年会館」なので、岩手県青少年会館より青年団の城という感じがする。事務室脇のスペースはギャラリーになっており郷土玩具のお雛様などが展示されていた。本当は応接室にする予定のスペースを設計変更したもので、その効果は大きい。
まいんさんは、岩手の青年大会文化部門を大型SCだ実施したことを高く評価してくれていた。「いまの青年団は、外に向かっての発信がうまくないんだよね。」ともいっていた。
その後、鹿児島市中心部天文館通りに行き、郷土料理をご馳走になった。「鹿児島は黒豚だけではないんですよ。」とまいんさん。キビナゴという小さくてピカピカ光る魚のお刺身や、生の鳥肉のお刺身などをいただいた。鳥肉の刺身はあっさりしておいしい。鹿児島ではハレの日のお祝い料理として、それぞれの家で飼っている鳥をしめて、お客様に振舞うのだそうだ。いまはスーパーのパックでも売っているとのこと。あと、ミンメイさんからは「シロクマ」も鹿児島の名物とのこと。巨大なパフェのことのようだ。続いて「かりゆし酒場OSAME」に移動。私が岩手から来たことを知ると「千昌夫のところだね」と言ってくれた。ここは少し前まで黒糖焼酎の専門店として繁盛していたのだが、いまは麦・芋・黒糖焼酎何でも置いている。「頂点で替えることが、天文館で40年商売を続ける秘訣。」とマスター。その生き様に圧倒されてしまう。青年会館に戻ると財部町青年元気塾の人たちが「研修」を終えたところだが、引き続き「のん方」(飲み会のことを鹿児島ではこういう)をしていた。また、鹿児島県青年団体協議会の役員の方々もいらっしゃった。時期的に来年度役員を続けるかどうか悩んでいるようで、まいんさんとミンメイさんが話を聞いた。私もその場にいて話を聞くには聞いたが、部外者なので発言は控えた。が、その彼が青年団のことをまじめに考えていることはよく伝わってきた。時刻を見ると3時30分ぐらいであっただろうか。さすがに疲れたので、先に休ませてもらった。彼が青年団の役員を来年も続けるかどうかその結論は聞かないでしまったが、元気な青年がいるということは、薩摩料理と並ぶご馳走であった。
霧島神宮から「はやとの風」へ

27日朝には青年会館の理事長松下育郎先生とお話しした。岩手の増田知事や、小沢一郎について聞かれたので僕なりの感想を話した。それにしても昨夜から千昌夫、小沢一郎が岩手のイメージのようだ。村上弘明や山川恵里佳もいるのだが。まいんさんのクルマで霧島神宮に向かう。霧島神宮では君が代に出てくる「さざれ石」の実物を見たり、皇室の伝統性などを書いた表示板があった。スケールの大きな社殿や神木をみて、やはり霧島は神話の国々なのだと思った。ただ、この荘厳さが先の大戦の際、戦争を進めようとする勢力に利用されたのでは?という疑問も少し脳裏をかすめた。そのあと、参道の立派な松の木(松くい虫被害が無い!)を下って霧島神宮駅の足湯に浸かった。ここも、鉄道好きの私のためにまいんさんがわざわざ案内してくれた。ネット上ではよく知っているまいんさんではあるが、実際にあうのは今回はじめてなのに親身になって案内してくれることに私は恐縮していた。道路を隼人町方面に戻りながら日豊本線の菜の花を手前にした撮影ポイントでも「写真をとりますか」と言われたのだが断ってしまった。人の好意を無にしたようで気にしているのだが、そのときの僕は「まいんさん、僕のためにそんなに無理して飛ばさなくてもいいですよ」という気持ちだったのだ。(でも、元日青協常任理事の有馬さんの御宅には寄ってみたかったなあといまになってから思ったりする。)黒豚の館でしゃぶしゃぶで昼食のあと、肥薩線の嘉例川駅に向かう。ところがまいんさんは嘉例川駅に行くのは初めて。探しながら列車の到着10分位前に駅に到着。この日は駅舎を活用しての展示会も開かれており、おおよそ山間の無人駅らしくない賑わい。でも、大勢の人に愛される、建築後102年の駅。この駅で僕はまいんさんとミンメイさんとお別れし、「はやとの風」の人になった。お二人に感謝申し上げる。
3日目の日程(3/27)
 嘉例川1410(はやとの風4号)1445吉松1534(2930D)1700都城1704(6959M)1833鹿児島中央1838(なのはなDX107号)1942山川・・泊
はやとの風を吉松で下車。高橋忠史さんから携帯に電話があり「鹿児島に来ているとの情報を聞いたので電話した。」とのこと。志布志でライブとのことで会いたいが、そうすると予定が狂ってしまうので、涙をのんで岩手での再会を約束した。吉都線で都城へ向かう。かつては熊本〜宮崎を連絡したこの路線は、かつての栄華を広いホームにとどめているが、いまはまったくのローカル線。都城から新型電車に乗って鹿児島中央へ。西都城で見た志布志線の後を痛々しく感じた。途中から雨が降ってきた。鹿児島中央で「なのはな」に乗り換え、指定席を奮発するが指定席車は3人のみの乗車であった。くりや旅館は食堂併設なので、かつおのたたきとわしおうどん(ちゃんぽん風)を夕食に食べた。この旅初めて風呂(天然温泉)に肩まで浸かり新館で眠った。
4日目の日程(3/28)
山川616(5321D)719枕崎724(5322D)831指宿838(1322D)951鹿児島中央*市電のり歩き*1411(きりしま14号)1442隼人1454(4234D)1518嘉例川(バス)鹿児島空港1645(SKY306)1820羽田空港(京浜急行)品川(山手線)東京2016(やまびこ69号)2239くりこま高原
 山川温泉くりや旅館は天然温泉で料金も安い。朝食は館内の食堂で策や包んでもらったおにぎりを、始発の列車の中で食べた。指宿枕崎線でJR最南端の西大山駅を通り枕崎へ。西大山は建設会社の重機が見えるなどあまり観光路線的ではないが、この枕崎へ向かう末端区間は旅情にあふれている。ふと、「機関車トーマス」を作ってここで走らせたらにあうのではと思った。その後鹿児島に戻り市電を完乗した。低床電車ユートラムはかなりの数が就役しており、実際に車椅子の方が利用するのも目にした。一般のお客さんが「新しい電車は座席が少なくてねえ」という声も耳にしたが、鹿児島の市電はバリアフリー化と市街地における大量交通機関として高く評価されるべきものである。昼食はふじ屋食堂の「なんこつラーメン。」ニンニクを勧められたが電車に乗るので断った。でも、熊本のラーメン店でもニンニクを勧められたので、九州の人はニンニクを気にしないのかも知れない。霧島に敬意を表して特急きりしまで鹿児島中央を後にする。隼人で肥薩線に乗り換えるが、改めて山岳路線であることを感じた。最後に前日の喧騒がウソのような嘉例川から空港にバスで抜け鹿児島を後にした。なお、この日台北から成田に向かった飛行機が乱気流に巻き込まれ37人がケガをするという事故が会ったが、おなじ時間帯に鹿児島から羽田に向かった私の飛行機は、かなり揺れたものの事故にはならなかった。きっと、霧島神宮のお守りが効果を上げたのだろう。