出来事




「イデオロギーという生き物」



ここのところ、テレビはイラク攻撃一色に染まっている。辛い光景だが、目をそむけず直視するしかないか。

情報のほとんどが改ざんか、捏造がらみの内容だろうけど、想像力を働かせれば背後にあるものは、ある程度見えてくる。おぼろげながらではあるが・・・・

テレビ、及びネットでの皆さんの議論を拝聴させていただいているが、内容は実に様々、まさに人の数だけ意見があるというべきか。

集合的無意識・・・・・・やはり、この半ばオカルトじみた理屈は私の頭から離れない。全ての人間は無意識の領域では、全て連結している。

一人の人間→家族→恋人や友人→地域→国家や民族→人類→全生物

イデオロギーがらみの討論は皆、人が変わる。それは自分のコントロールの効かない領域、制御できない。理性をも無くす。 知的や理性的な人であればあるほど、これらの理屈に当てはまる。

何故なら、人間の力の根源はイデオロギーや宗教だからだ。

人間が力を発揮するのは、イデオロギーや民族意識という巨大な歯車と合致したときである。人間は自分の背後にあるイデオロギーや宗教を表現しようとしたときに、知識を身につけ、精神力を養うことができるからだ。

社会を動かしている高学歴のエリートや政治家のトップに、イデオロギー論者や宗教家が多いのも、そのためである。

イデオロギー論争や民族闘争に関わっている時は、自分の意志ではなく、民族や宗教といった巨大な生き物の一部になっているいっても過言ではないと思う。

民族意識やイデオロギーは一つの生き物だということは間違いない。

日本は古代から、女人の国と呼ばれている。それは、単に女が強いということではなく、男女総じて、女性的な精神が強大だということである。

女性的な精神は、行動ではなく、行動を起こすものを支配しようとする。故に日本はあまり口出しをせず、感情も表にもは出さないが、影響力には強いこだわりが感じられる。現に目に見えないところには強い力を持っている。

日本も捨てたものではない、今後の役割は極めて大きい。

女性的な精神はカオスにおいてはじめて、その力を発揮する。

今はとにかく、真実を見極め、何をなすべきかを考える大事な時なのかもしれない。


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