アウドムラ・ラプソディ

「あ、そ、そうだ――アウドムラの中でも見せてあげたらどうだ、シャ…」
  シャアと言いかけたアムロの足を、カミーユが思いっきり踏んづけた。うわおおっ、
と口をついて出かけた絶叫をアムロは辛うじて抑えると、ものすごい形相でカミーユを
睨みつけた。
 (何をするんだ!)
 (ここでシャアってバラしてどうするんですか!)
  そうだった――
 「シャ…しゃ…しゃれたものはないけど」
  取りあえず、言い繕う。隣りでカミーユが呆れたような顔をした。
 「見せてもらってもいいの?」
 「ああ、かまいませんよ。クワトロ大尉、案内して差しあげるといいでしょう」
  一瞬、シャアはハヤトに異を唱えるかのように柔らかな金髪を揺すったが、ハヤト
のぎょろりとした目が促すようにアウドムラを見あげた。込み入った話はふたりきりの
ほうがしやすいだろう、というハヤトの裁量である。
 「艦長のお許しが出た――おいで」
  自分によく似た青い瞳を振り返ってそう言うと、シャアはマリオンを連れてアウドム
ラのタラップをあがっていった。ふたりの背中を見つめながら、カミーユは声を固くして
アムロに言った。
 「アムロ大尉。あの子、ダカールの演説を聞いていないと思いますか?」
  その疑問は尤もだった。
 「……別人だとは思っていないみたいだったな」
  そう答えながらも、アムロの中にはある疑いが形を取っていた。マリオンのシャア
への接しかたは普通だった。叔父の素性を疑っているような様子はなかった。だが、
地球全土に流れたシャアのあの演説を、カラバの支援者だという神父は聞いている
はずだ。それをマリオンに話さなかったとは考えにくい。話したと考えるほうが自然だ
ろう。つまり、シャアと知っていながら、マリオンはクワトロ・バジーナ大尉を訪ねてきた
ということになる。
 「何をしに来たんでしょう?」
  カミーユは、アムロの危惧を直感で感じていた。
 「わからないな――」
 「まさか…」
  疑いたくはないが、マリオンがティターンズのスパイということだって充分に考えら
れる。クワトロ大尉はこれからのエゥーゴを率いていかねばならない人だ。その身に、
もしも何かあったら――カミーユはさっとアウドムラに視線を走らせた。
 「その危険はないだろう。あの子は、そんな子じゃないと思う。それに」
  アムロはそこで口を噤んだ。
 (悪いことは起きないような気がするんだ)


 「これがモビルスーツ…」
  マリオンはアウドムラのデッキに並んでいるモビルスーツに、圧倒されたように声を
途切れさせた。軍人でもない限り、一般の人間がモビルスーツをこれほど間近に見る
ことはあまりない。
 「叔父さまが乗っているのはどれ?」
 「あれだ――百式と言う」
  シャアは自分の愛機である百式を指さした。
 「これで…これで、戦争をしているのね」
  マリオンの声は幾らか震えていた。自分を見下ろす巨大な人型兵器に恐ろしさを
感じたのだ。無理もない――マリオンの怯えをシャアも感じ取っていた。
 「仕方なくと言い添えておこうか――本当のことを言えば、私は地球で戦いたくない
のだよ。地球で戦うと言うことは、それだけで地球を荒廃させるからだ。だが、連邦や
ティターンズは、それをわかろうとしない」
  子供に向かって言うことばにしては、シャアの語気はいくらか強めだった。
 「叔父さまは、戦争なんか嫌いな人だったわ」
  それに呼応するように、マリオンの語気も鋭かった。マリオンは百式に向けていた
視線をシャアに戻した。先ほどまでおずおずとしていた瞳が、挑みかかるような強い
光を放ってシャアに向けられていた。ふと、シャアはサイド7で出会ったアルテイシア
を思い出した。あのときのアルテイシアも、こんな気丈な眼差しをしていた。
 「どうして、ここに来たのだ?」
  シャアは穏やかな口調でマリオンの真意を問うた。マリオンがここに来た理由は、
おそらく自分が思っているのと同じだろう。
 「叔父さまの名前を騙っている男の顔を見にきたの――赤い彗星のシャア」
  そう言ったマリオンは、自分が口にした名前に身震いしたかのようだった。
 (やはりな――)
  クワトロ・バジーナは天涯孤独の身ではなかった。マス家やアズナブル家の場合と
は違って、死んだ人間の名前を使う以上、身内の存在がどんなに危険かは承知の上
だった。だから、クワトロ・バジーナの名を名乗る限り、いつかこんな日が来るだろうと
いうのは予測の範囲内だった。だが、シャアは思ったことを口にしなかった。代わりに
サングラスをはずし、真正面からマリオンと向き合った。
 「そうか。で、どうだったのかな?」
 「きっと、嫌な男だろうと思っていたのに――」
  意外にも、マリオンの口から出たことばは糾弾のことばではなかった。マリオンは
自分の靴先をじっと見つめ、声を落として続けた。

「赤い彗星のシャアは恐ろしい人だと聞いていたの。一年戦争では、たくさんの人を
殺したって…」
 「否定はしないよ」
  シャアは静かに言った。
 「私はそういう男だ。そうやって生きてきた――君が怖がるのも無理はないな」
  戦争だから、という言い訳をするつもりはシャアにはなかった。戦争とは、如何なる
大義名分をつけてみても、人を殺す行為には違いないのだ。愚かな行為だとわかって
いながら、人は守りたいもののために争いをはじめる。そんな光景を、幾度となく見て
きたシャアだった。
 「あなたに言いたいことがあるの。聞いてちょうだい」
  毅然と顔をあげて言うマリオンに、シャアは頷いただけだった。
 「演説を聞いたわ」
  テレビの画面に大きく映し出されたクワトロ・バジーナ大尉は、自分の大好きだった
叔父さまではなかった。それでも、きれいな金色の髪と、空を映したような瞳の色だけ
はとてもよく似ていて、余計に優しかった叔父さまのことが思い出された。叔父さまは
もういないのだ、とわかったときには哀しくて涙が出た。
 「あなたが叔父さまの名前を口にしたとき、すごく腹が立ったの。でも、とても不思議
なのだけど、演説が終わったら、あなたに会ってみたいと思ったの」
  シャアの演説を聞き終えて、自分の気持ちは少し変わった。もし、シャアが演説を
しないままだったら――クワトロ・バジーナの名で戦っているシャアは赦せなかったと
思う。ただの戦争好きな人間に大切な叔父の名前を利用された、と思うだけだったに
違いない。
 「戦争のことも政治のことも難しくて私にはよくわからないことが多いけど、あなたは
地球を守りたいと思っているのね」
 「そうできればいいと思っている。地球は水の惑星であるべきなのだ。こんな戦いで
荒らしてはならないのだよ」
  マリオンに言いながら、シャアは自分自身にもそう言い聞かせていた。
 「地球より美しい星はないだろうって、叔父さまもよく言っていたわ」
  遠い人の思い出を懐かしむようにマリオンは言い、それから、ひっそりと胸のうちを
シャアに明かした。
 「叔父さまの名前を穢さないでくれてありがとう」
 「………」
  一瞬、シャアは驚いたような顔をしたが、それはすぐに、相手を愛しむような表情に
変わった。マリオンの気持ちが痛いほどわかったからだ。シャアは、いまの自分はこの
小さな少女に応えることばを持っていないと思った。そして、マリオンの気持ちに応えるには、一刻も早く戦いを終わらせねば、と考えた。
 「あなたはシャア・アズナブルに戻るの?」
 「いや――できれば、まだしばらくはクワトロ・バジーナでいたい。かまわないか?」
  やや改まって尋ねたシャアに、そうね、とマリオンはちょっと考え込むような仕種を
した後、悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。
 「クリスマスにカードをくれるなら」
  シャアはマリオンの少女らしい要求に、思わず破顔した。戦いに身を置く自分は、
クリスマスなどとは縁のない生き方をしてきた。最後にカードを贈ったのはいつだった
ろう。確か、地球を離れる前の年のクリスマスだったか。マリオンの顔にアルテイシア
の顔が重なった。
 「おやすいご用だ」
  シャアはにっこりと笑って答えた。


  叔父さまをよろしく、ということばを残し、迎えに来たジープに乗り込んでマリオンは
去っていった。マリオンを見送った後、アムロはぽつりとシャアに言った。
 「なぁ、シャア。あの子、知っていたんだろう?」
 「ああ」
  何をとは訊かずに、シャアは手短に答えた。
 「で、これからどうするんだ?」
 「ん――まずは、可愛い姪に贈るクリスマスカードを探さねばならんだろうな」
 「え?」
  アムロは驚いてシャアの顔をまじまじと見たが、そのときには、シャアはいつもと変
わらぬ澄ました顔に戻っていた。シャアはそれ以上何も語らなかったが、アムロには
マリオンとシャアの間に交されたものが何となく理解できた。
 「そっか。いいのが見つかるといいな」
  アムロはそう呟いて、アウドムラのデッキから空を見あげた。雨のあがった空には
大きな虹がかかっていた。
 「シャア、虹だ」
  アムロが感嘆の声をあげた。
 「虹か――きれいだな。本当にきれいだ」
  自然の作り出した光の帯に、シャアも同じように感銘を受けて呟いた。それから、
ふたりは黙ってアフリカの空をいつまでも眺めていた。



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