Q−ZAKUの

『珍説・考察ガンダム論』



『元型論とキュベレイ神話とモビルスーツと男と女とカミクワとやおい小説の関係』

実を言うと私は、昔からモビルスーツに対して疑問に思っていたことがあります。それは、何故MSは人の形をしているのか?そして、何故一人乗りなのか?そして、危険な乗り物であるMSを何故リモコンなどの遠隔操作にしないのか?
戦闘能力を考えれば、腕が三本も四本もあってもいいと思うし、複雑なMSの操縦を考えれば、足と腕を別の人間、つまり複数の人間は操縦したほうがよいに決まっている。遠隔操作をすれば戦死者を出さずにすむ。なぜそうならないのか?疑問は続きました。しかし、ここ数年、さまざまな本を読むうちに、その疑問に答えがみつかったのです。

さて、皆様はユングをご存知でしょうか?スイスの心理学者で、以前このコラムでもご紹介させていただきました。心理学者と言えば、フロイトを含めてこの二人が飛びぬけて有名です。
フロイトが個人的な無意識を発見したのに対して、ユングは人間が誰でも持っている同じ無意識、つまり集合的無意識を発見しました。私はフロイトにはまったくと言っていいほど興味が無く、もっぱら、その関心は、ユングの集合的無意識、そして元型論にあります。

元型論とは、人間のこころの形は誰でも例外なく、同じであって、極めて(というか全て)人間に影響を与える心の元型、それについての理論です。

・・・・・・人間は生きているだけで、極めて膨大なエネルギーを消費し、理性を超えて、さまざまな衝動に駆られます。悩んだり、勉強したり、仕事をしたり、人間関係にいきづまったりします。

その躍動や衝動の元と言うべき源・・・・それが元型なのです。

元型は体験やイメージ、シンボルなどに触れて、エネルギーを発生させ、人間に衝動や元気をあたえます。たとえば、家族から元気をもらったり、ネットのHPを閲覧して元気になったり、ガンダムを見て元気になっり、シャアラブラブでウハウハになったりします。これは、心のにある元気のモトの元型が揺さぶられ、エネルギーをくれたり衝動をあたえられたりするからです。そして、その種類は人間の典型的な行動の数だけ存在します。

さて、先に書かせていただいた、私のMSに関する疑問ですが、この元型論に当てはめると、実はおもしろい答えが見えてくるのです。

それは、実はMSとは男女の良好な関係を表現しているからではないか?と考えているのです。

人間は、お母さんのお腹のなかでは全て女であり、途中遺伝子が組み変わり、変形して男になります。これは広く知られている話です。

そして、男の中にも女性的な部分は残され、女性の中にも、男性的な部分が残されますが、人間は本質的に女性的な部分が、人の精神を支配しているようなのです。ここが実は重要なのです。

男は女性がそばにいないと、精神的なアイディンティティーがあやふやになります。ようは何をやっていいのか、わからなくなるのです。具体的な願望が女性に比べ実に抽象的なのです。だから男は「男というのは!」という意見で語りますが女性の場合「私はね!」っと自身の意思を明確に持っています。男は女性に心を支配されたいという願望があり、自分の生き方や人生の目的のような物を女性にゆだねたい、その相手を男は本能的に探しているのです。

女性は自分の意志や、願いを具体的(強く)に持っているため、男は女性と一緒になると、人生の目的観を、ほぼ支配されてしまいます。男にとって、優れた女房とは、自分の能力(男性的な)を引き出してくれる存在であり、女性にとって、いい男とは自分の意志や、目的を純粋に、かつ正確に実現してくれる存在なのです。

こう考えると、MSとパイロット、これは、まさに男女の関係であり、強力な力を持ってはいるが、パイロットがいなければデクの棒のMS、こうしたい、ああしたいという強力な意思を持ってはいるが、MSが無ければ何もできない、パイロット。これはまさに、男女の関係を表現したものであり、見る物にたいして、こころを揺さぶるモチーフとなるのです。(だからMSに関心があるのはほとんど男)

したがって、観る者を楽しませる演出という観点から、MSの形ができたと(そうなってしまった)考えられます。

MSは人の分身という意味では、人の形でなければならず、さらに中に乗ってパイロットが操縦するという設定でなければ融合的な表現から遠ざかります。まして、二人乗りだと、重婚的になってしまい、不快感が生まれるでしょう。ZZで百式がビーチャにとられたことを不快に思った方は、まるでベストカップルが、浮気をしたような、いやな感覚を覚えたのではないのでしょうか?

皆様は「キュべレイ神話」をごぞんじでしょうか?この我々になじみ深い名前の神話を簡単に説明させていただくと、キュべレイは男女両性を共有した神であり、様々なモノを一人で生み出す力を持っていましたが、神様によって男の性器部を切り取られ、女になりました。そして、その切り取られた性器は埋められ、それがやがて木になり、その木の実を食べた女性は懐妊し、子供を産みました。その、子供は美しい美少年になり、やがて、キュべレイと結ばれます。しかし、結果的に悲劇的な結末になるようです。

さて、このキュべレイ神話、キュべレイ信仰はローマ時代に盛んだったそうです。(教義自身はかなりあぶなっかしいものだったらしい)熱狂的信者も多かったようです。

この神話の内容は、キュべレイの男根から生まれた木の実を食べた女性の子供ということで、このキュべレイと結ばれた美少年はキュべレイの子供ということになり、これは近親相姦と男女両性いうモチーフを現していると言えます。

実はこのキュべレイ神話はとてもガンダム的だと私は考えているのです。

上の(勝手な)理屈から言えば、パイロットは表現の上では、女性を現しているといえるのですが、当然男が多いです。(女性パイロットの場合は戦場で戦う《男性的》なモチーフとして扱われる)

実はこの両性的モチーフという意味で、もっとも完成度が高いのが、シャアではないか?と私は考えます。それは優れたパイロット=理想的な女性となります。その一方、シャアほど女性の影響を受けやすい男はいない訳であり、1stのララァの存在、逆シャアのナナイ、といった感じで、シャアはそのとき、そのときのお付き合いする女性によって、かなり高い割合で精神を支配されています。極めて男性的です。

その一方カミーユなどはどうか?カミーユは確かに優れたパイロット(優れた女性的)ではありますが、女性に対してのガードが固く、たとえひっぱたかれても意思を曲げないその姿勢は、まさに女性的であり、表現の上では、いわば女そのものといえます。

したがって、やおい小説のカミクワというモチーフはまさに、両性的な存在であるキュべレイ=クワトロ、美少年=カミーユというモチーフが出来上がり、さらに、同じニュータイプ同士という点は、近親相姦を表現しており、まさに、カミクワは古代人が熱狂したキュべレイ神話そのものといえます。人間は、どんなに文明が発達しようとも、月日が流れようとも、元型(衝動の対象)は普遍的であり、変化する事はないのです。

・・・・といわけです。ガンダムというアニメは、ご存知の通り、神話的な要素が含まれており、もし、ガンダムをユングが観ていれば、元型論を説明する上で使ったキャラクターはゲーテのファウストではなく、シャアだったことは間違いありません。

男はどこまでも、すぐれたパイロットをさがしている、モビルスーツであり、女性は自分にあった性能あるモビルスーツを探しているパイロットなのです。相変わらず勝手な事+妄想爆走中ですが・・・・(したがってセイラの「あなたならできるわ」が名セリフになるわけがここにある)

(注)・・・・・・・私は心理学には全くのド素人で、いいかげんなことばかり書いています。ちゃんと知りたい方は、専門家に聞いてください


TOPページ