Q−ZAKUの
『珍説・考察ガンダム論』
『梶原一騎とガンダム』
あの「巨人の星」が改めてアニメ化しらたしい。まぁアニメ化といっても、劇画に声優さんが声をあてるという、一種の紙芝居みたいなものなのだが・・・・。
実は今回の再アニメ化には見逃せないのが点がある、それはキャスティング、飛雄馬にはおなじみ古谷徹、そしてライバルの花形満には、我らが敬愛する池田秀一。いわゆるシャアとアムロなのだ。
しかし、最近は梶原作品の売り出しが極めて激しい。別冊コミックは発売され、なんと巨人の星、あしたのジョースナックなるのもまで発売している。どういうわけだろう?
まぁそれはさておき、私は以前から、巨人の星の原作者の梶原一騎の作品と、ガンダムの富野監督の、ある部分が共通していると、感じていた。
その前にまず梶原漫画について話をさせていただく。実は梶原漫画はほとんど主人公が死ぬか再起不能になるのである。例えばあしたのジョー、最後は真っ白に燃え尽き、死んでしまった。そしてタイガーマスク、彼もアニメと違い、漫画では車にひかれて死んでしまうのだ。
そして飛雄馬、彼も腕を壊してしまい、球が投げれなくなり、再起不能になる。まるでこれではカミーユではないか・・・といいたい。
私が思うにの両者とも、キャラクターの最後を描く事によって、キャラクターの魅力を引き出す。完結させて、キャラの人生観を演出する。そういう意図を持っているのではないかと、推測される。
さて、今回話題の「巨人の星」は、やはりガンダムファンを意識したようである。しかし私は言いたい。キャスティングを変えるだけでは、手ぬるいのではないか?
どうせやるのなら、新たなキャラクターとして、1番2番3番と必ずヒットを打ち、4番につなげる強打者三人衆の「黒い三連星」とか、バットが鞭のようにしなってヒットを打つ脅威の「ヒートロット打法」を使う西武の重鎮「青き巨星」とか、地元では必ず本塁打を放つ阪神のホームランバッター「甲子園の悪夢」とか、そこまでやらねばダメだ!
ガンダムファンをなめてもらっては困ると私は言いたい。