Q−ZAKUの



『因果の法則』

因果の法則なるものを皆様はご存知だろうか? この世の全て原因と結果で構成されており、過去、現在、未来にわたる世界観を通じて、あらゆる物質、世界、空間がこの法則に当てはまる。

なにを訳のわからない事を言っているのかとおっしゃる方もいるだろう。久しぶりのコラムで頭がどうかしたのか?と思う方もいるかもしれない。しかし、この森羅万象とも言える、因果の法則は古今東西、あらゆる哲学、そして宗教観の根幹になっているといっても過言ではないのだ。今回はそんな因果の法則を、我らが敬愛する、シャア・アズナブルに当てはめてみた、ご拝聴いただければ幸いである。


まず因果の法則を簡単に説明させていただきたい、先に書いたように、この世にあるモノ、そして出来事は全て例外なく、原因と結果によってなりたっている。 水を熱すればお湯になるし、冷やせば氷になる、しかし何もしなければ水はいつまでたっても水なのだ。 熱を加えたり、冷やしたりという原因があればこそ、変化という結果がでてくる。原因と結果・・・・これが因果の法則である。

さて、あらゆる人間社会でよく使われる言葉に 「徳と業」 なるものがある。特に 「業」 はガンダムにもよく登場するお馴染みの言葉、これも因果の法則で成り立っている、人間はいい事をすれば、いい結果(功徳)が生まれるが、悪い事をすれば罰(業)を受ける、これは何も神がかり的や精神世界の事ではなく、実に現実的な話なのだ。

例えば会社勤の場合よくある話で例を上げたい。会社員Qは上司であるB係長にすこぶる不満である、仕事のやり方に対してだ。 Qは係長を見て 「俺ならああする、俺ならこうする」と思いに取り付かれ、周囲に自分の考えを、いいふらすのが日常になっていた。 

最初は、会社の事を憂いる、またB係長を補佐したいという気持があった、会社員Q。 ところが彼は、だんだんそれを自分と比べ、彼が劣っていると思い、彼の仕事を批判する事が己の 「快楽」 になっていったのである。

そして、Qがいよいよ昇進する日がやってきた。 Bの変わりに係長となったのだ、ところが・・・・

係長Bが抱えていた問題は、実は慢性的かつ構造的な問題で、結局だれがそのポストについてもBのような仕事ぶりになってしまうのである。 ここからQの地獄がはじまる。 彼はBを批判し続けた手前、自分の心の中にも他人に対しても、逃げ道を失い、文字通り矛盾の狭間に落ちてしまったのである。

もし、QがBの立場にたち、同じ苦労を分かちある努力をしていれば、彼はBの仕事を引き継いで、壁にぶちあったても、なんの葛藤や苦しみもなかっただろうし、まわりの人間も力になるだろう。 しかし、QはBを指差し、「俺はあいつとは違う!」 という快楽におぼれてしまった。 彼はB係長を傷つけ、快楽のを得た、その代償を背負わされたのである。

ここで言う 「徳」 とは、相手を憂いる気持で得たご褒美であり、「業」 とは、彼が自分の快楽を得るために他人を傷つけた、代償である。 これが、いわゆる因果の法則・・・その一端である。

さて、これをシャアに当てはめて見るとどうなるのであろうか?

1st時代、実はシャアは、少しやりすぎではないかと言われていることが二つある。 (これは私自身の意見というより、総合的、つまり色々な人の見方だということを先に言わせて頂ただきたい)

それは、いくらなんでも二十歳のシャアが、年上のドレンやガデムたちに対して、貴様呼ばわりはいかがなものか?という意見と、ガルマに対して、ひどすぎる、特にラブロマンスぐらいは否定しなくてもいいじゃないか?という話である。

シャアはある意味有能であれば、年齢は関係ないという考えはあったと思う、それに若さゆえに好き勝手にやっていたという点も否定できない。 赤ストラブ掲示板によく来ていただいている、猫様の言葉を借りれば、「1stのシャアは大人のような子供」 この一言につきるといえる。 彼もある意味、若さゆえの・・・・という部分はあったかもしれない。


そして、ラブロマンスを否定するシャア・・・というより、あれは完全にサドっ気が入っていると言われても仕方が無い。 完全にガルマを馬鹿にしている。 あれはやりすぎであるという意見は納得できる。

さて、Zに話を移したい。 実はZ時代のシャア、つまりクワトロ・バジーナはその、1st時代の業を晴らすための(受難の)時期だったと考えれば、おもしろい立場の人物が浮かんでくる、それはカミーユである。

シャアはかミーユと向き合いつづけて、色々と大変な目にあわされる。 特に、シャアが殴り飛ばされる展開など、(恐らくシャア自身も)予想しなかったことだろう。 しかし、シャアはカミーユに二度、殴りとばされることによって、シャアはある意味、自身の業を晴らしたと考えられないだろうか?

どういう事か?とお思いだろうが、シャアが殴られた理由はカミーユという優れた若者(戦力)と正面から向き合った結果である。 そして、レコアの気持をくみ取ることができなかったのも、戦場でのラブロマンスをあざ笑ったシャアにとっては、レコアとの恋愛など論外だったに違いない。(カミーユが若く優れたパイロットという点では1stのシャアと共通している)

あのプライドの高いシャアが、二度にわたって年下で部下の若造に殴り飛ばされる。 彼にとって、こんな屈辱的な話は無いはずである。 ところがどうだろう、レコアの一件で殴られた時のシャアの表情は・・・・

なんという清々しい表情なんだ!! あの名台詞 「サボテンが花をつけている」 のシーンのシャアの笑顔は、恐らくシリーズ中最高の笑顔と言える。 何故彼はあんなに清々しい顔をしたのか?それは、あの受難によって、彼のこころのなかにある罪業が一切晴れきった瞬間ではないか!と私は考える。

シャアは、1st時代の若き過ちを、カミーユという青年と向き合う受難によって、その罪業を晴らした。 結果、逆シャアでは、ナナイとなんのおきなく付き合い、かつてのザビ家を滅ぼし、猛禽類のような鋭さを持った、シャアに戻ったのではないのだろうか?(その鋭さがなければアムロとは対等には戦えないだろう、ある意味シャアとアムロは共鳴している関係だと言える)

己の過ちで出来た 「業」 は受難によって晴らすことが出来る。 これも、原因結果である。 ちなみに、シャアが業を晴らさなけらばいけない立場になったのは、彼が絶えず前に進む人物だからである。 なにもしない、志もない人間には無関係の事だと言う事も付け加えさせていただく。 

最終的に、シャアは人類の業に挑む。 人類とシャア・・・・その関係はZ時代のシャアとカミーユの関係に似ているということはないだろうか?

因果の法則は、宇宙誕生と共にある法則(らしい)ので奥が深い。 なかなか凡人にはわからない部分があるが、今後も研究の余地があるだろう。

しかし、これだけは言える。

いい加減なことばかり書いている快楽の代償はいつか帰ってくるような気が・・・・・。(こいつに)→Q

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