Q−ZAKUの
日常のの異常


『サッカーと僕』

ついに日本惜敗、よくがんばったと思う。感動をありがとう、感謝を述べたい。

・・・・おい、なにを都合よくサッカーファンになっているのだ?前におまえはワールドカップに興味は無いと書いたではないか。このお調子者!!

まぁワールドカップはお祭りですから・・・。

さて、前に書きましたように、実は私は昔から、体育界系と腐れ縁で小学生の時、今をときめくサッカー部に入っていた経験があります。しかし、当時はまだ、サッカー自身がそんなに確立されたものではなく、非情にいいかげんなものでした。しかし、練習だけは異常に厳しく、当時勢いで入部した、クラス全員(16名)のうち、卒業まで生き残ったのは、私を含め2名だけという悲惨な結末、まさに1年戦争もびっくりの生存率と言えます。期間は3年生から卒業までの約3年半年。理由は先に書きましたようにクラス全員が、勢いで入部しまい、私は最後の最後まで拒みつづけたのですが、ついに最後から2番目、つまり15番目に、サッカー地獄の門を叩いてしまったのです。本日は当時の、理不尽きわまる、練習。凶悪なる暴君であった、(教師兼任)監督のエピソードを紹介させていただきます。まずは練習から・・・。


その一、水たまりスライディング練習   グランドに水がたまると、とにかくそこにスライディングをする。その時「俺達は、かえるだ!!」と叫ぶ者もいた。ちなみにそんな事をすれば、当然グラウンドはぐしゃぐしゃになり、さらに冬の場合、次に日に凍りついて、まるで大根すりのようになってしまう。それでも何故かこの練習は、スタンダードな練習として、認知されていた。

その二、毎朝グラウンド10週  はたして小学生に、こんなトレーニングは必要あるのだろうか?陸上部ではないのだから・・・

その三、水は飲むな  これは、クラブ活動をしていた人なら経験があると思う。今、考えれば危険極まりない事らしい。あの渇水地獄はなんだったのか・・・。ちなみに、試合前日に、監督が選手達にこう指示をしたことがある。「味噌汁を食べるのはいいが、汁は飲むな!みかんも食べるんじゃない!もし脱水症状になっても、医者と俺の許可を受けた上でなければ、水分の補給は許さん!!」信じられないと思うが、事実である。理由は当時最強と言われたチームが訪問先で出された、みかんを食べなかったということがウワサになり、こういう結果になってしまった。

その四、至近距離からのトラップ  選手の両手を後ろに組ませ、至近距離から監督がボールをドッジボールのようになげつけ、体で受け止めるというものである。顔面にめりこみ、鼻血をだすものもいた。当時の体操服は、胸にファスナーが付いており、当然胸は傷だらけになる、特にボールから逃げる者ほど、勢いよくぶつけられた。正直タケシ軍団でもこんな事はしないだろう。 


その五、ぶらさがり  さすがにこれはすぐにボツになった。背の高い鉄棒にぶらさがるというものである。これほど無意味で、疲れる練習はない。

そして言葉の暴力、罵倒もひどかった。当時我々は遠征合宿として、山口県に行くことになり、経費が2万円かかるということがあった。そして、練習のたびに飛び出したのがこれである「お前なんか2万円の価値はないんじゃ!!」少年ながらこれは傷ついた。自分は2万円の値打ちも無いのかと・・・もはやフルメタルジャケットの世界である。

しかし、いい思い出も多く作れたしチームも強かった。勢いだけで勝っていたが、全国大会に大阪代表に連続して選ばれたり、大きな大会で連続優勝したり、それなりに成果も残せた。

6年生の時に合宿へ行ったとき、電車に長く乗るからといって、親に買ってもらった「めぐりあい宇宙大百科」は私にとって、大切な宝物になった。(間違いだらけだったけど・・・)

今でも、当時のサッカー連中はクラブのコーチをしたり、中には名門チームの選手になったり、それぞれがんばっている。

当時のような泥臭いサッカーからみれば、今のサッカーは洗練されて、すばらしいが、当時のサッカーがあって今があると私は勝手に思っている。

ただ、私がサッカーを観るのが苦手になったのは、中学校に上がった時サッカーを辞めてしまい、どこか裏切ったような引け目があるのかもしれない・・・・

今でも友人から「裏切り者!」と呼ばれた事が、頭に残っている・・・。


さて・・・ちなみに私はサッカーの試合でテレビに映ったことがあるのです、その時のシーンは・・・・

実はその時のシーンは超モロに私がファールスローをしたシーンだったのです!(地方のNHKだったけど、あれはめちゃくちゃはずかしかった!!)

あの日に帰りたい!!あの時に戻りたい!!そしてあのスローインをやり直したい!!人生最大の汚点だー!!


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