Q−ZAKUの
『珍説・考察・ガンダム論』


『人は正確なモノを嫌う その2』

先日、スタンリー・キューブリックの「人は正確で、確実なモノを嫌う」という言葉について話をさせてもらった、今回はその続きである、ご拝聴いただきたい。

とにもかくにも人は皆、ミステリアスで不完全、怪しげなものに対して興味津々である。前にも書いたように、オカルトやミステリー、占いなどはもちろんの事、これは、ある意味ギャンブルにも当てはまる理屈、先が見えない魅力は万物に共通していると言えるのだ。

実は、この理論を操る能力は何も、キューブリックやスピルバーグの専売特許ではない。いや、むしろ基本といえる部分、あらゆる作品にこの要素は含まれる。ただ、完成度の違い、こだわりの差とでもいうのだろうか、やはり超一流は超一流なのである。

さて、今回私が言いたいのは、この要素をガンダムに当てはめて見るとどうなるか?実は意外な真実が見えてくるのだ・・・・・そう、それはガンダム最大の謎の一つとも言える「ニュータイプ誕生」の過程である。

ご存知の通り、ガンダムは最初の展開は、とにかく宇宙戦争に巻き込まれた民間人が逃げ惑うという構図である。話の焦点はもっぱら、素人のWBクルー達がジオンのエース「赤い彗星のシャア」に追い詰め、追い詰められの緊張感あふれるストーリー、実に良く出来ている。しかし、この話の展開も「不透明な要素」という隠し味がなければ、実にチープなものになってしまう。その不透明な要素はこの場合何が当てはまるか?それは、背後にある宇宙戦争の構図である。冒頭のナレーターによって説明があるのだが、言葉足らずの内容がまた、皆の想像力を刺激する要素になっている。そして、この不透明な世界観は皆の想像力をかきたて、結果的にアムロ対シャアという狭い構図を引き立てているバックボーンになっていると言えるのだ。

だが話の展開が進む度に、背後関係がだんだん見えてくる。ザビ家の独裁、地球連邦の構図、目指すべき敵、シャアやセイラの素性・・・。

そして、宇宙に上がり、いよいよア・バオア・クーでの決戦が見えてきたとき、今まで観る者の想像力をかきたてる「不透明な要素」の役割を果たしてきた、「ぼやけた宇宙戦争の全体像」の焦点が明確になり、その役割を果たす事ができなくなった、作り手たちは新たな不透明な要素を必要としたのである。

もうお分かりだろうか?そう、私はそれが「ニュータイプ」なのではないかと考えているのだ。

普通のアニメだと、最後になればなるほど、最後の敵いわゆるラスボスの存在が、その「想像力をかき立たせる要素」となるわけだが、ガンダムの場合はまったく逆である。最終決戦は、もはや実に単純な「答え」でしかない。これでは、話のバックボーンを失う。そこで出てきた「アイディア」がニュータイプなのではないか?と思うのである。

知っている方は知っていると思うが、ニュータイプの話が出てくるのは、最後の方、しかし映画版では、マチルダやレビルなどが話をしているシーンがある。これは「ニュータイプ」というアイディアが実によかったため、早いうちから話の中に加えたのではないかと考えられる。

クリエイターの常套手段として使われている、「見るものの想像力をかきたてる、不透明な要素」。これが終盤に行き詰まり、出てきたアイディアが「ニュータイプ」ではないか?あいも変わらず、妄想暴走中ではあるが、可能性は否定できないと思う。富野監督の「人類がこのままではないだろう・・・」というコメントははっきりいって後から考えたものだと思われる。つまり、「形から入った結果の答え」なのだ。

ちなみに、このコラムの不透明な要素はなにか?

私自身のぼやけた思考かもしれません。



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