出来事




「12歳の報道に思う事」




・・・・・・う〜む、あまりこの事件の話は、ふれたくなかったというのが正直なところなんですが、以前ロックグループの『グレイ』が先のイラク戦争の時に言っていた、この言葉がどうも頭に残ってまして・・・


「俺たちも、もう30歳になる、この歳になったら、世の中のことを考えなくてはいけない」

別にグレイは私にとっての神様じゃないけど、私も、もう32歳、特に世の中に貢献していない事実は、重くのしかかる。
三十路をこえた人間の社会に対する接し方の葛藤は、なにもグレイだけじゃない。その気持は察するに余りある、これが正直な私の心境です。

一連の報道・・・いや、これはずっと以前から・・・そう、それは、いつからか解らないほどの前から続いていることなのですが、少年法の改正問題・・・いや、改悪かも知れません。この報道、そして、様々な意見や議論を聞いて思った、そして今まで思ってきたことなんですが・・・・(あくまでも、私個人の意見です)←ここを強調(汗)

まず、『法律』なるもの・・・・それは、社会の主役ではないということです。あくまで、法律というものは、社会を補佐する道具でしかない。つまり現実社会を作っているのは、人間や社会そのものの『振る舞いや行動』で決定づけられる、私はそう思います。

法が第一と言っているアメリカでも、裁判の前には、聖書に片手を乗せて宣誓します。つまり、法律以前に、宗教や文化的な精神が上位にあるわけです。


・・・・社会を動かしている本質・・・・それは、『人間の内から沸きあがる衝動』でしょう←(グレミーのセリフですが・・・)

はっきり言って、法律では、人間の行動を完全には制御できません。(あくまで、完全にはということです、あくまで・・・)汗

刑罰の強迫観念というものに対して鈍感、あるいはそれを凌ぐ強い『自我』が働けば、人間の行動は刑罰というリスクを背負っても、それを実行してしまいます。これに年齢は全く関係ありません。

つまり、法律に依存した考えでは、何も変わらないし、何も防ぐことはできない。あくまで手段のサブ的な役割だと思うのです、法律なるものは・・・・。厳しい意見を言えば、法律の議論というものは(まぁ不必要とは言いませんが・・・)大人社会の現実逃避ではないかと思います。

結局、人の本質というものが変わらない限り、いくら法律を厳しくしても、悲劇は防げない。しかし、人の本質は変えることはできない・・・・いや、それはどうか?

・・・・人はね・・・・変われるんですよ(笑)専門家に言わせれば、『三つ子の魂百まで』というのは、間違いだそうです(笑)

日本には1億数千人の人間が住んでいて、同じ数だけ『自我や自己』が存在します。不幸になる性格や、他人を傷つける癖も含めて・・・・。

・・・今回お亡くなりになった、4歳の少年のことを、単に上っ面だけでなく、本当にかわいそうだと思うのなら・・・同じ悲劇を繰り返さないように、真剣に考えるのであれば、最終的に、犯罪を犯した少年を悪魔のように言う事ではなく、自分と、そして周囲の人間の『闇』に、どう向き合うか?このことに取り組まなくてはいけないという、答えに行き着くと思うのですが・・・・。←(あくまでも私、個人の意見です)


私が思うに、犯罪を犯した少年は、孤独だったんだと思いますね。それも自分が生んだ結果だと言えばそれまでですが・・・救える方法は無かったのでしょうか・・・・


いきなり、ガンダムになりますが、私は、シャアとアムロの考え方の違いについて、シャアが「一気に人類全体を革新に導く」ということを考えていたのに対して、アムロは、まず「個人の革新が進めば、人類全体の革新へと進んでいく」という考えがあったと思います。

いずれにせよ、二人の力の源は、人間は自分の『業』を克服できるという確信だったんでしょうね。

いかんともしがたい人間の業も、変わる事が出来るということを信じればこそ、恐ろしい未来を回避できる力を得ることが出来るのではないかと私は思います。



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