特急「まつかぜ」折居駅通過。タブレットキャッチの瞬間!!(昭和50年8月) 因美線の急行砂丘が最後のタブレット通過授受となり、タブレットの通過授受が注目されました。通過速度が遅くなっていたものの最後の急行通過は多くの人々に見送られましたが、特急通過はいつの間にか見られなくなっていました。昭和51年も既に単線自動化が進み、山陰本線でも浜田よりも西の方に行かないと特急通過は見ることができなくなっていました。当時、タブレットはローカル線に行けばだいたいどこでもやっている時期でしたが、特急が走るような主要な幹線は早く自動化が進み特急通過はもうすぐ見れなくなってしまうという危機感がありました。 今にして思うと、特急まつかぜは大阪−博多間を福知山線・山陰本線を経由してロングランしており、自動化される前は毎日50以上の駅をタブレット交換しながら通過するというすごいことしていたんだなと感心しています。また、この頃の特急には威厳があり、同じ区間を同じように通過しても特急の所要時間は急行より当然短かったです。単線では特急の進行をみな道を開けて待っていました。下に昭和51年の山陰本線列車ダイヤを載せましたので参考にご覧下さい。 このページの下に特急通過シーンの動画もあります。本線の高速通過です。他ではなかなか見られない瞬間芸のような一瞬の感動をお楽しみ下さい。動画は昭和51年8月に8ミリフィルムで撮影したものです。(音声はありません) |
特急は窓が開かないので2号車(グリーン車)の車掌室から撮ったものです。少し遠くて走行の揺れによるブレも大きいですが、腕木式信号の現示(遠方信号機が進行、場内信号が進行・通過、出発信号が進行)や駅員さんの配置、受渡し成功の合図など当時の様子がしのばれます。 駅員さんの配置ですが、授器のところにいる駅員さんは授器にタブレットをセットするだけでなく野球で言うとバックアップに相当することもしていました。タブレットキャチではまれにキャッチャーのフックにかからずはじいてしまってエラーすることがあります。エラーすると列車は緊急停止し、授器のところにいた駅員さんが落ちたタブレットを拾い、走って運転助士に渡しにいきます(駅長さんも走ってきます)。タブレットの受けでもまれに受器に入らずにホームを転がっていくところを見たことがあります。夜だったので見にくかったのかもしれませんが、駅長さんが「危ないな〜何やってるんだ!」と怒っていました。転がったタブレットが列車にひかれて破損ということもあったそうです。(九州タブレットなら輪が大きいから入れやすいね) |
最後尾の乗務員室の窓から撮ったものです。雨の日も風の日も雪の日も駅員さんはホームに立ちます。タブレットの受渡し成功を合図で確認し合い、列車の安全運行を見届けます。ありがとう−この想い、届くだろうか−映画「鉄道員」の世界です。 |
昭和51年3月の山陰本線鳥取−益田間の列車ダイヤです。8月まではこのほとんどの区間でタブレットを使用していました。タブレット交換しながらも一直線の特急まつかぜと比較すると急行の傾きはやや緩く、鳥取−益田間で所要時間は約1時間の差があります。鈍行はガタガタですね。特急の優先度の高さがよくわかります。 ピンク : 特急 まつかぜ 緑 : 寝台特急 出雲 オレンジ: 急行 だいせん 青 : 長距離鈍行 |