Essay 8  そろそろ、音楽の話を
物心つく前から、一日中歌を唄っているような子だった。テレビっ子だったから、画面から音楽が流れたらすぐそれに反応して踊っていたらしい。好きなことに関しての記憶は抜群だったから、おかげで昭和50年代後半から現在までのヒット曲はほぼ頭に入っている。
この歌は昭和何年発売、作詞は誰、作曲は誰々でオリコン最高何位、売上何万枚・・・別に憶えようと思っていたわけじゃないのにスラスラと口をついて出るのは、自分が音楽に携わる宿命を背負っていたからだと今では思っている。「歌は世につれ、世は歌につれ」とはよく言ったものだが、今もCDをかける度に、その歌が世に産み落とされた当時の世相に思いを巡らせたりする。

初めて好きになったアーティストはTM NETWORKだ。幼稚園の頃から「ザ・ベストテン」は欠かさず観ていたが、今も「Get Wild」を初めて聴いたときの衝撃は忘れられない。99年の彼らの再結成ライブを、幸運にも目の当たりにする事ができた。

1曲目の「Self Control」のイントロが耳に飛び込んだ瞬間、嗚咽を抑えきれなかった事を昨日のことのように憶えている。今年も、彼らの演奏を肉眼で観る機会を得た。来年は結成20周年だという。一度途切れた青春が、いつまでも続くことを願っている。昭和から平成へと時代が変わった頃は、渡辺美里やPRINCESS PRINCESS(以下プリプリ)など、ガールポップに傾倒した。当時既に詩作を行っていた私は、“女性が書いた女性の詞”を精細に検討し、どうすれば女性の共感を得る詞を大衆に提供できるかを思案していた。特にプリプリのドラマー・富田京子さんは、TM NETWORKの作詞家・小室みつ子さんと並び、僕がもっともリスペクトする女性作詞家だ。そのボキャブラリーの豊富さと絶妙な節回しは、プリプリの幅広い音楽性を世に浸透させた大きな要因と言えるだろう。90年代はCHAGE&ASKA、Mr.Children、サザンオールスターズに注目した。いつの時代もなんとなしに聴いてはいたが、不世出の天才たちが紡ぎだすメロディは、今更僕がどうこう云うこともないだろう。今年はサザンのライブに2度足を運んだが、アンコールで原由子さんが「希望の轍」のイントロを弾いた瞬間は身体に震えを覚えた。人々に感動を与えるとはこういう事なのだ、としみじみ思ったのだった。
先月は、B’zの結成15周年ライブを観に浜松まで足を運んだ。常に時代のトップを走り続けてきた彼らのアクトは、まさに芸術品そのもの。ライブの最後、“お疲れ〜”というお決まりの符丁と共に打ち上がった無数の花火が、夜空に溶けた後も感動の余韻をいつまでも胸に遺してくれていた。

近年、CDの売り上げが著しく落ち込んでいる。長引く不況もあるだろうが、音楽に携わる人間の生活が脅かされるのを見過ごす訳にはいかない。CDを買うという事は、音楽家たちが身を削って戦ってきた軌跡を評価し、未来に向かってその轍をさらに伸ばしてあげるということだ。CDを買って、日本の音楽のクオリティを維持するのに協力してほしい。それは歌をつくる人間としての切なる願いだ。
ジョン・レノンが生前、こんな言葉を遺している。
「懐かしがりたいのなら、昔のレコードが一杯残ってるだろう。素晴らしい音楽は、ちゃんと残ってる」

どんなにつらかった時も、楽しかった時も、僕の隣りには歌があった。歌がある限り、希望の轍が途切れることは、ない。
Shuichi Hatta
2003.10.21