Essay 38 輝ける闇の中へ
年が明けた。我が国の戦後も60年。人間に例えるなら還暦である。ある本で読んだが、人間は60歳が最もその能力を発揮できる年齢だという。今までに蓄積した知識や経験を沈潜させ、それを効率よく的確に応用する判断力が充分備わっているからだそうだ。我が国も今はあらゆる面で袋小路に陥ってしまった感があるが、世界第2位の経済大国としての国際的影響力や人的資源はまだまだ充分と言って良いだろう。
我が民族特有の“我慢強さ”を武器に、この世界においてどのような役割を
果たしてゆくか、この“戦後から還暦”という年に国民各層が深く考えることを望む。

私事だが、今年からある有名な私立学校に奉職することになった。子どもはいつの時代も宝物である。まだ入職して日も浅いが、学生たちを見ていて感じたことは、自分たちが非常に恵まれた環境にいるにも関わらず、その幸福にいまひとつ気づけずにいるように見えることだ。以前夜のニュースで、筋ジストロフィーと闘う親子のドキュメントを見た。子は音楽が好きで、移動式のベッドを親に引いてもらい浜崎あゆみのライブを観に行く。そして残り少ない命を前に子は「僕が親孝行できるのは、作詞くらいしかない」と言葉を紡ぎはじめたー

人にはそれぞれ、克服しなければならない人生の課題(テーマ)がある。いつ消えるかわからない命の灯に怯えつつも、難病の子は残された時間を有意義に生きようとしている。なのに五体満足で、上級の学校にも通わせてもらっている我が校の生徒は、何故いきいきとしていないのか。苦悩は真の幸福への序章である。ただ漫然と、“やりたいことが見つからない”と嘆いているばかりでは何も始まらない。

笑って泣いて、人生を動かせ。
走って語って、運命を動かせ。

江戸中期の国学者、伴蒿蹊が、こんな言葉を遺している。
「すえはついに海に入るべき山水も、しばし木の葉の下をくぐるなり」
人生の最初から最後まで、幸福づくめだった人間など過去にひとりもいない。どんなに幸福そうに見える人間も、誰も見ていないところで悩み、もがき、洪水のような涙を流しているのである。木の葉の下をくぐっている時も、あせることはない。流れの遠方を見通して、毎日“気を取り直す”癖をつけながら悠々と生を燃やそうではないか。我々は、魂を鍛えるためにあの世から再びこの世へ修行の旅へとやってきた。我らの前に聳えるのは試練につぐ試練である。そして、それは輝ける闇である。眼前に立ちはだかる壁に身悶えつつも、いつか勝ち栄える日が来ることを信じて、堂々と闇の中へ身を投じよう。私もひとりのエクリヴァン(物書き)として、ささやかな闘いを今年も続けたいと思ふ。

みをいつの  烟の為に残すらん  人を送りて  返る夕ぐれ  紹宅

                            阪神大震災から丸十年の日に
Shuichi Hatta 2005.1.17