Essay 37 この世のことは夢のまた夢
早いもので今年も終わりである。昨日は、横浜アリーナで行われたサザンオールスターズの年越しライブに足を運んだ。天才・桑田佳祐の圧倒的なパフォーマンスと対峙した2時間半、これは夢か、それとも現(うつつ)か。至上の幸福とも言える熱狂に酔いしれた帰途、この一年のことを静かに思い浮かべていた。

個人的に気掛かりなのは、この国の病巣が深いことに一層気づかされたことだ。中学生が麻薬に手を出したり、ニセ札をつくったというニュースには正直戦慄を覚えた。3年前の少年法改正で14歳から刑事罰に問えることになったが、問題は罰則の強化ではなく戦後の教育体制そのものである。

街にはニート(Not employment,education or training)と呼ばれる無業者が溢れ、社会保障制度は崩壊寸前。茨城では「祖父を殺す為には親が邪魔だ」と長男が両親を惨殺するなど、25年前の朝倉泉事件を想起させるような事件も起こった。今年初め、Essay21で取り上げた児童虐待問題は、更に混迷の度を深めている。この国は、一体いつまで持つのか。

悼ましい事件も多かった。新潟中越地震、奈良の幼女誘拐殺人、プーケットの津波で10万人規模の犠牲者・・・天災で亡くなられた方々には、心から哀悼の意を表したい。中越地震の際に目を見張ったのは、新宿の人気ホスト達が仕事を終えた後新潟へ直行し、店の売上金400万円を県にポンと寄付したことだ。どんな職業に就いていても、人間は人間である。人間の心の中には神が住んでいる。
そんなことを感じた出来事だった。

一本の指を言葉の海に突っ込んで、もうすぐ20年になる。自分の言葉で社会を変革しようなどと大それたことは考えていないが、それでも自分の言葉に触れた人の人生に、少しでも希望の光を与えたいというささやかな野望を持ってやってきた。それがどれだけ届いているかはわからない。しかしこれからも、己の手のひらを一生涯、言葉の海に浸し続けたいと思う。言葉を遺すこと。それが僕のこの世での使命であり、縁あってめぐり逢えた人々とのスーベニール(思い出、記念)に他ならないと考えるからだ。

マザー・テレサが昭和56年に来日した際、記者会見でこんなことを話している。
「この美しい東京で祈りましょう。誰からも必要とされていない、愛されていないと感じてしまう人が いなくなるようにと」
この世のことは夢のまた夢。同じ夢なら、汚れのない祈りを抱いて素晴らしい夢を見ようではないか。

この世からすべての争いが消えるよう、今宵もささやかな祈りを捧げたい。

来年も共に、希望への試みを続けましょう。ご愛読とご支援、重ねて深謝。

今年はこれにて失敬。
Shuichi Hatta 2004.12.31