Essay 34 星条旗よ、謙虚であれ
マイケル・ムーア氏が監督した『華氏911』という映画が話題になっている。主演はジョージ・W・ブッシュ。泣く子も黙るアメリカ大統領を徹底的に茶化した、痛烈な政治映画だ。内容を端的に言うと、ブッシュ一族とサウジアラビアのビンラディン一族はグルで、お互いの石油利権を守る為に“9.11”を演出した。アメリカの能力をもってすればテロリストなどすぐに殲滅できるのに、あえて逃がすことで世界中の恐怖心を煽り、一国覇権を確立するのが最終目標だ・・・これが真実ならば、ブッシュは最低の情性欠如者(人間らしい良心を持ち得ない人)ということになる。自国の国民に希望を沮喪させ、他国に畏怖と緊張しかもたらしえない政治家に、果たしてレーゾンデートル(存在理由)などあろうか?
アメリカのユニラテラリズム(一国主義)が、この5〜6年で加速度を増している。最も気掛かりなことは、アメリカが占領期以来、再び日本を直接統治下に入れようとしていることだ。具体的に言えば、経済支配である。98年10月に破綻した旧日本長期信用銀行は、2年後にアメリカの投資会社・リップルウッド社に僅か10億円で売却された。同社は旧長銀に1200億円を投入、新生銀行と名を変えた同行は再び上場を果たす。この時、新生銀行の時価総額は1兆円を超えていた。これを“濡れ手に粟”と言わずして何と言おうか。リップルウッドの役員にはクリントン政権の財務長官だったルービンが名を連ねている。政府間の取引で“何かがあった”と思わない方がおかしい。今度の大店法改正では、今まで500平方メートルの規制があったものが、1万平方メートルまでアメリカ系店舗が自由に入れるようになった。これでは地元の個人商店は皆吹き飛んでしまう。倒産や自己破産が各地で頻発し、失業率や自殺率がまた伸びてしまうだろう。ペリー来航から150年。今度の黒船は、あの時よりも容赦がないのかもしれない。

現代の素地をなす日本の近代化は、敗戦後の物質的困窮という状況を背景にした消費文化崇拝の気運によってもたらされた。GHQの下級役人が書いた日本国憲法をありがたく貰い、チョコレートをほおばりながらもひたむきに、必死になって働いた。日本人は自らが自己拡散(相手に合わせる)民族であることを自覚しながら、それを美徳と信じて生きてきたのである。吉田茂から田中角栄までの宰相たちは、有能な官僚を徹底的に使いこなして宗主国・アメリカと五分に渡り合った。“51番目の州”のフリをしながらも、決してイエスマンにはならなかった。日本人が文字通り一丸となった、幸福な時代だったのかもしれない。あれから30年。政治家は業界の御用聞きに成り下がり、官僚は自信を喪失した。モラルの頽廃ここに極まれり。そして、究極の“自己凝縮国家”アメリカの逆襲が始まった。正確に言えば、アメリカには“国”の意識がない。あの怪物を覆っているのは「我こそが世界だ」という傲慢の酩酊である。わが国は今こそ、戦後築かれたアメリカとの“親分・子分”の関係から脱却し、真の独立国として新たな道を模索せねばならない。現内閣は、戦後最もアメリカに追従した政権として歴史に刻まれることだろう。救国の志を持った、新しい政治集団の登場を待ちたい。

大正・昭和に一世を風靡した漫談家・徳川夢声が、終戦直後の昭和20年8月25日、東京駅で復員兵を見た時のことを日記にこう書いている。
「心から戦意をぬき去られた彼らは、ただの卑しげな人夫と化した。敗けたので斯んな姿になったのか、もともと斯んな連中だったので敗けたのか??何故、敗けても、もっと毅然たる姿をたもっていられないのか」

・・・ゆきあいの空を眺めながら、雄弁こそが金だと思った。今こそ、毅然たる姿勢で何度でも訴えようではないか。
日の丸よ、サムライたれ!星条旗よ、謙虚であれ!
Shuichi Hatta 2004.9.23