Essay 33 白球を追いかけた果てに
夏も終わりである。
今年の高校野球は、駒大苫小牧高校の初優勝で幕を閉じた。「優勝旗が初めて白河の関を越えるか」と、東北勢の活躍が期待されていたが、まさか北海道まで行くとは。北国の高校が野球で不利を強いられるのは、冬の間は夜にグラウンドが凍り、昼は融けてぬかるむという気候のためだ。念願叶って甲子園に出場しても、体験したことのない暑さに苦しみ、実力を発揮できないというハンディがあった。


それらのネガティブ・ファクターをはねのけての優勝に、心から拍手を送りたい。ベンチ入りした18人全員が地元出身ということで、感激も一入だろう。
おそらく、今年も甲子園を沸かせた球児たちの何人かが、プロへと進むに違いない。いつまでも純粋な気持ちを忘れずにプレイしてほしいものだが、そのプロ野球の方に暗雲が立ち込めているようだ。

プロ野球1リーグ騒動がいよいよ天王山を迎えようとしている。本来ならこの時期はセ・パ両リーグの首位攻防戦にこそ“天王山”という言葉を使うべきなのだが、プロ野球の存続そのものを問う方向へ事態は進んでいった。
要は慢性的な赤字に悩むパ・リーグの球団が、両リーグ合併で金になる対巨人カードを組みたいという話だが、選手、ファンを無視した球団オーナーたちの傲岸不遜ぶりに世論も沸騰。プロ野球選手会は国民の支持をバックにスト決行を宣言、肝心のペナントレースの方は全くの関心の外といった感じだ。そもそも、何故ここまでプロ野球は凋落せねばならなかったのか?

「たかが選手が」など一連の発言で物議を醸したあの“前オーナー”は、ドラフトでの逆指名制度、フリーエージェント(FA)制度を強力に推進した。この2つの制度導入で何が起こったか?前者は、裏金を含めた契約金だけでなく、選手たちの年俸の高騰を引き起こした。先日発覚した明大・一場選手を巡る裏金騒動は、「スカウト」が“買収”と同義語であることを白日の下に曝してしまった。後者は、数々の日本人有力選手をメジャーへ流出させる結果となった。松井秀喜やイチロー、私の中学の先輩・石井一久といった面々の活躍を見ると、嬉しさと同時に一抹の寂しさを感じてしまう。国内に残った選手も、多くがセ・リーグの一部人気球団へ移籍を希望するなど、結果としてパ・リーグの衰退、日本野球の危機を招いた。あの“前オーナー”こそが、日本野球をダメにしたA級戦犯である。何の経営努力も、有効な手立ても講じ得なかった他球団のオーナーも同罪だ。

広告代理店で営業をしていた頃、グループに某人気球団を持つ会社の社長を顧客に持っていたことがある。その社長は、会う度に口癖のようにこう言っていた。
「私は今は○○貨物にいますが、生粋の○○ファンだ。いづれは○○球団の社長になりたい」

今の各球団の社長は、単なる人事異動で他の子会社から移ってきた人ばかりだ。そこは野球への造詣も、選手への愛も感じられない。きちんと野球を勉強し、球団を愛する人材をトップに据えるべきだ。

いま病床にある長嶋茂雄・アテネ五輪代表監督が、平成4年に巨人軍監督に復帰した際、こんな言葉を残している。
「中学、高校、大学、そしてプロでも、初打席はいつも三振でした。私が立ち上がる時はいつも逆境からという、なにか運命的なものを感じます」

戦後日本の復興とともに歩んだ“神”は今、病床からどんな思いで一連の騒動を眺めているのだろう?ひょっとしたら、今度彼が立ち上がる時、日本のプロ野球も再生の兆しを見せるのかもしれない。野球を、小賢しい金の亡者どもからファンのものへと取り戻すためにも、“神”の復活を待ちわびるばかりだ。白球を追いかけた果てにあるのは、いつまでも変わることのない夢だと信じたい。


・・・昨日買ったベコニアの花が、ベランダで太陽と寡黙に遊んでいる。

Shuichi Hatta 2004.8.31