Essay 32 我が女優論
「女性は歳をとればとるほど美しくなる」と言ったのはデンマークの思想家・キルケゴールだ。全く同感である。
女性の美しさというのは、確かに外面的なものを指すのかもしれない。だがしかし、やはり内面の美しさ、体験から滲み出た思慮深さというものが、いくつになろうとも母親の心を求めてやまない男を惹きつけるのではなかろうか。

渋谷へ舞台を観に行った。人気の脚本家と実力派俳優陣がコラボレートする、今夏の注目作だ。お目当ての女優は、今回が初舞台。稽古に入る前に、私生活で不幸があったという。それでも、持ち前の明るさを振り撒いて周囲には気を遣わせまいと一所懸命だったようだ。心の中で、作品の面白さよりも彼女の演技が成功することを祈っていた。
幕が上がる。テレビや映画でお馴染みの男優が、所狭しと板の上で躍動する。何かが乗り移ったような動きと、鬼気迫る眼光ーこれが舞台の醍醐味だ。そして暗転。ライトが点くと、僕の眼前にその女優はいた。いつもバラエティー番組やCMで見せる屈託のない笑顔とは、180度違う鋭い顔つきだ。長い科白、観衆の眼は彼女に集中する。少し口がもつれたが、初舞台にしては上出来だろう。フランスの哲学者・ベルグソンは「角砂糖が溶けるには一定の時間がかかる」と言った。人間は、場数を踏むと強くなる。成熟には、一定の時間がかかるのだ。一昨年、紫綬褒章を受章した池内淳子さんは、若い頃に科白の語尾が不明瞭だと注意を受けたという。昭和の大女優・故杉村春子さんには「語尾は、相手に渡す言葉」と諭された。自分の科白が躍動し、直後の声を発する共演者も演じやすいからだ。今、目の前にいる若き女優も、何十年か経てばその努力や経験を沈潜させた深い演技を見せてくれることだろう。幕が下りた後、女優に激励のメールを送った。公演は秋まで、全国を回るという。体に気をつけて、観衆に最高の芸を見せてくれることを祈っている。女優は今、外面の可愛さではなく、真の意味での尤物への道を静かに歩き始めた。
「椿姫」やジャンヌ・ダルクを演じたフランスの大女優サラ・ベルナールは、71歳の時に舞台で負った傷がもとで右足を切断。しかし、死の直前まで演技への執念は衰えを見せなかった。『オズの魔法使い』でドロシーを演じたジュディ・ガーランドは、酒とドラッグの海で溺れながらも、天使の如き歌声で大衆を魅了した・・・
『女優』という字は、“優しい女性”と書く。普通の人間の何十倍も辛い経験をしてきたからこそ、誰かに優しくなれる。そこから、多くの人の心を動かす演技力が生まれる。命を削って削って、凛とした生き方を観る者へ提示する。そんな人に、観衆は感涙し、惜しみない拍手を贈る。

劇場を出ると、少しだけ懐かしい熱風が僕を包んだ。最終電車に間に合うよう、渋谷駅まで急ぐ。すれ違う女性たちが、派手な衣装でフラフラしている。それはまるで夜の海に浮かぶ、プラスチックの浮遊物のようだ。彼女たちの言葉にならない叫びが、道玄坂の喧騒に同化してゆく。人は皆、哀しい天使なのか。

来年は正月早々、森光子さん主演の『放浪記』を観に行く予定だ。御年八十四歳、神々しいまでの美しさを放つ大女優が“でんぐり返し”をする勇姿を、この眼にしかと焼きつけておこうと思う。その森さんが、『おしん』の小林綾子さんに語ったという言葉を最後に紹介して、東京駅までひと眠りするとしよう。

“花は色、そして香り。人は心、そして優しさ”
Shuichi Hatta 2004.8.9