Essay 30 平成・駅弁大学考
アジサイが舗道を飾る季節となった。休みに地元を散歩していたら、駅前の予備校に人だかりができている。近づいてみれば、夏期講習の申し込みで受験生が長蛇の列をつくっていた。彼らにとってはアスファルトを照りつける太陽よりも、志望校への思いの方が遥かに熱いのだろう。振り返れば10年前の今頃、僕も目の前の長蛇の列を構成する一人であった。人生で、最も努力というものをした時代だったかもしれない。目の前にいる受験生たちも、誰も見ていないところで必死に努力を重ねているのだろう。

日本には大学・短大合わせ実に1200校あり、現在300万人の学生がいるという。
「余りに多すぎやしないか!?」
そう思ったあなたの感覚は正しい。戦前、大学といえば数も少なく、華族や一部の超エリートのみが進学できる最高学府であった。それが戦後、学制改革の嵐の中で大学という大学が乱立。その動きをマスコミの神様・大宅壮一は「弁当を売っている駅のある所には大学もある」という意味で“駅弁大学”と名づけた。

昭和から平成になっても新設大学の設立は続いたが、ここにきて少子化のあおりか廃校や募集停止となる学校が出現。山形の酒田短大のように、外国人就労のスケープゴートに成り下がり、解散命令を受けるという信じられない事例まで発生している。

近年最も深刻な問題は、偏差値の低い新設大学に質の悪い学生が集まり、大学がレジャーランドと化してしまっていることだ。予備校の入り口に貼ってあった大学偏差値表を見ると、殆どの大学の偏差値が急落している。僕が最初に籍を置いた大学は、受験時よりも偏差値が10も下がっていた。地方の新設四大・短大に至っては、殆どが偏差値40以下だ。日本の大学生は、確実に頭が悪くなっているのである。親の教育が悪かったのか、ジャンクフードの食べ過ぎか、“ゆとり教育”という名の愚民化政策の犠牲者か。
読者の方も、「なんでこんな奴が大学生なのか?」と思われる事態に遭遇した事があるだろう。新設大学は偏差値の低さを覆う為に豪華な校舎を造る。その費用を取り返す為に高額の授業料を愚かな学生の父兄にふっかける。どんなに不肖の子供でも、親にとっては宝物。かくして底辺の新設大学は、大人になりきれない子供が通う“モラトリアム”という名の遊園地に成り下がった。その入園料は、東京ディズニーランドの何十倍だ。

自分の思想とは対極に位置するが、毛沢東が1938年の著書『持久戦論』でこう書いている。
「若者は無名で失うものがなく、そのエネルギーは山をも砕く。だから、未来は若者のも
のだ」
我々の親の世代は実によく勉強した。真剣に自分達の国の将来も考えた。だから、“安保”という熱狂もあった。今はどうだろうか。原宿で茶髪の彼女を連れた大学生がテレビカメラにマイクを向けられ、「今の憲法はダサイっすね。やっぱ国の誇りは大事っすよ」などとほざいている。お前は、本気でわかって言っているのか?自分が戦争に行く覚悟はあるのか?

私の友人・知人には高卒、専門卒の人が多い。だが、人間的には素晴らしい人ばかりだ。学力とは、あくまで人間の人格を量るひとつのものさしに過ぎない。社会に出れば、学歴よりも人間性やコミュニケーション能力の方が遥かに大切だからだ。どんなにボンクラのボンボンでも、大学に入れてしまうような社会の仕組みは間違っている。

私学助成金を即刻廃止せよ。見てくれだけが一流の新設大学など必要ない。無教養な大学卒の氾濫が、この国の劣化を促進している。真剣に学問を修め、社会に貢献したいと念願している人にこそ、国は助成を強化すべきだ。

最後に、学生運動と恋愛の間で苦悶し、自ら命を絶った奥浩平の詩を紹介して、本稿の締めくくりとしよう。

“どんなに暑い陽が照りつけていても、ポケットに十円しかなくても、僕は輝かしい気持ちで生きている”
Shuichi Hatta 2004.6.24